アメフト。法政を一蹴した立命館は史上最強ではなかろうか。ライスボウルが楽しみだ。




2003ソスN12ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 23122003

 落日をしばらく見ざり十二月

                           五味 靖

二月の特性を、物理的な面と心理的な側面の両面から浮き上がらせた佳句だ。十二月は冬至を含む月だから、一年中で最も日照時間が短い。夜明けも、そして日没も早い。だから、オフィスなど室内で仕事をしていると、仕事が終わるころにはもう日が暮れていて、「落日」は物理的に見られない理屈だ。加えてこの月は多忙なので、たとえ日没時間に戸外にいたとしても、悠長につきあう心理的なゆとりのないときが多い。したがって「しばらく見ざりし」いう思いが、たとえば今日のような休日にぽっとわいてくるわけだ。なんでもないような句だけれど、会社勤めの読者には大いに共感できる世界だろう。十二月の句には多忙を詠んだ心理的主観的かつ人事的なものが多いなかで、ちゃんと物理的な根拠も踏まえているところが気に入った。ちなみに、今日の東京地方の入日は四時三十二分だ。暗くなってから「まだこんな時間なのか」と、あらためて実感する人もいるだろう。そのものずばりの句が、岡田史乃にある。「日没は四時三十二分薮柑子」。季語である「薮柑子(やぶこうじ)」の赤い実は正月飾りに使われるから、これまた物理的心理的に押し詰まった感じをよく描き出している。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)


December 22122003

 古暦ひとに或る日といふ言葉

                           長谷川照子

語は「古暦」で冬。昨年の暦という意味ではなく、年もおしつまり、来年の暦が用意されたころの今年の暦を言う。つまり、新しい暦に対する古い暦というわけだ。落語「桃太郎」は、夜遅くなっても寝ない息子の金坊に、親父が昔話をして寝かせてやろうという咄だ。ところがこの金坊はこましゃくれたガキで、いちいち聞き返してくる。「昔々」とやると「いつの時代?」、「あるところに」とつづければ「それどこの国、どこの町、何番地?」といった具合だ。同様に、句の「或る日」などという特定の日もあるわけはないのだが、しかし、「ひと」は「或る日といふ言葉」を持っている。それは、人生のほとんどが、記憶され特記されるに足らない凡々たる日々の繰り返しに過ぎないからだろう。昨日と今日を区別する必要がないのである。残り少なくなった暦に、過ぎ去った今年の日々のことを回想しつつ、作者はあらためて「或る日」としか言いようのない日の連続であったと感じているのだ。「ひと」のみが持つ「或る日」という観念の寂しさよ。にもかかわらず、「或る日」など一日もない暦を吊るして生きる不思議さよ。私の部屋の古暦は「JTB」カレンダー。新しい暦は、ラジオ局でもらった「TOKYO DISNEYLAND」カレンダーです。可愛らしすぎるけど。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 21122003

 海鼠腸や予報は晴の明日へ酔ひ

                           小泉もとじ

語は「海鼠腸(このわた)」で冬。海鼠(なまこ)の腸の塩辛だ。これにウニとカラスミとを並べて、日本三大珍味と言う(人もいる)。いずれも酒の肴として親しまれてきた。アツアツのご飯に添えても美味いというが、私にはピンとこない味だ。いわゆる酒飲みではないからだろう。若い頃には何でも飲めたが、いつしか日本酒もウィスキーも、ワインすら飲めなくなった。いや、無理すれば飲めるし良い気持ちにもなったりするのだが、次の日がいけない。猪口に三杯くらい飲むと、翌朝は決まって頭が痛くなるのだ。したがって、ここ三十年ほどはビール専門。これだけはいくら飲んでも大丈夫なのだから、人間の身体とは不可解なものである。でも、それこそ海鼠腸などで日本酒をちびりちびりやっている人を見るのは好きだ。当方のソーセージにビールなんて取り合わせは、どうもガサツでガキっぽく感じられてならない。そこへいくと日本酒をたしなむ人たちには、男女を問わず、どこかに大人の風格というものがある。晦日ソバにお銚子一本なんて、粋なものです。私はソバもアレルギーで駄目だから、この取り合わせは見果てぬ夢だ。いつの暮れだったか、それでも友人たちと神田の有名なソバの店に出かけ、ひとりビールを舐めた侘しさを、きみ知るや。なんだか俳句が二の次になってしまい申し訳ないが、句のよさは「海鼠腸」ばかりか天気「予報」も肴になると言ったところだ。表で仕事をする人なのかもしれない。明日に何か特別に嬉しいことが控えているわけではないが、ただ晴れるというだけで気分がよくなる。こういう気持ちは誰にでもあるのだけれど、ここまできちんと句にした人は少ないだろう。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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