昨夜は新宿の蹴飛ばし屋(馬肉専門の料理店)で忘年会。共に飲んだ友人たちの遺影と。




2003年12月14日の句(前日までの二句を含む)

December 14122003

 大根のぐいと立ちたる天気かな

                           原田 暹

練馬大根
語は「大根」で冬。収穫期から言う。大気は冷たいが快晴、すっきりとして気持ちの良い「天気」である。そんな冬の上天気を、大根畑の様子だけで描ききったところは見事だ。なかなか、こうは詠めない。畑を見たことのない人だと、「立ちたる」の状態がわかりにくいだろう。根菜の知識が災いして、根がすっぽりと地中に埋まっていると思ってしまうからだ。でもたしかに、大根は「ぐいと」立っている。品種にもよるけれど、根の白い部分が地表に出てくるのが普通で、いちばん出るものだと30センチくらいが見える。まさに「立つ」という言い方がふさわしい。作者は関西の人なので、どんな品種の大根だろうか。昨今は圧倒的に雑種が多いそうなので、特定は無理かもしれない。東京の有名な練馬大根も長年雑種に押しまくられていたが、ここのところ復活の動きが活発化してきた。見た目で言うと葉の広がりの大きいのが特徴である。何万年もの昔の富士噴火の灰が降り積もった関東地方の土(関東ローム層)の厚さは、深いところで七メートルほどもあるそうで、根菜類の生育に適している。大根を素材にした料理にもさまざまあるが、私の好物は素朴な味噌汁だ。繊六本に刻んだ大根以外には、何の具も入れない。小さい頃、母がよく作ってくれた。貧しかったので、他の具は入れようもなかったのだろうが……。寒い朝、ふうふう言いながらこいつを食べると、身体の芯から暖まった。写真は練馬区のHP「よみがえれ練馬大根」より借用。『天下』(1998)所収。(清水哲男)


December 13122003

 白に帰す雪合戦の逸れ玉も

                           泉田秋硯

近はあまり降らなくなったようだが、昔は山口県でも山陰側ではよく雪が降り、よくつもった。大雪で、学校が休みになることもあった。元日の学校の式典に雪を踏んで登校した覚えがあるから、この時期くらいから降り始めていたのではなかろうか。作者は島根県・松江市の出身だ。同じ山陰である。友だち同士での遊びとは別に、体操の時間にもさせられたと自註にあるが、これも同じ。いや、体操の時間以外にも、時間割が急に変更されて校庭に出たこともあったっけ。小学生のときに私はずうっと学級委員長をやらされていて、教師によく聞かれたから覚えている。「清水よ、次の時間は勉強がいいか、それとも雪合戦か」。すると、一瞬教室がしーんとなる。いまの子供ならワーワー言うところだろうが、当時の先生には権威があった。怖かった。教室で騒ぐなどもってのほかと言い含められていたから、勝手に発言しようものなら、せっかくの雪合戦がおじゃんになってしまう。しーんとしたなかで、みんなの期待が私に集まる。実は、私の本音は勉強のほうがよかったのだ。でも、勉強が好きだったわけじゃない。あんな寒いところは、往復二時間の通学路だけでたくさんだと思っていたからだ。といって、みんなが雪合戦をしたいというよりも、勉強をしたくない気持ちのほうが強いのもわかっていたから、いつも「雪合戦のほうがいいです」と答えざるを得なかった。思い返すに、あのころの教師が学級代表である私に時間割変更の同意を求めたのは、子供の意見を尊重したという言質を取っておく必要があったからに違いない。やたらと民主主義が叫ばれ、振り回された時代であった。雪合戦の「逸れ玉」は、落ちるとすぐに周囲の雪と見分けがつかなくなる。作者は、往時茫々の感をその様子に重ねている。私はそれにもう一つ、いつしかどこかに逸れてしまった戦後民主主義なる雪玉も加えておきたいと思う。自解100句選『泉田秋硯集』(2002)所収。(清水哲男)


December 12122003

 丞相のことば卑しく年暮るゝ

                           飴山 實

近はあまり見かけない言葉だけれど、「丞相(じょうしょう・しょうじょう)」は昔の中国で、天子を助けて国政を行った大臣のことだ。転じて日本では大臣の異称として用いられるが、句の場合は総理大臣だろう。では、この「ことば卑し」き総理大臣とは、誰をさしているのだろうか。句集の出版年次から推して考えると、中曽根康弘か竹下登に絞られる。彼らの「ことば」の中身についての諸評価はあろうが、二人のうちのどちらが詠まれているにせよ、当たっているように思われる。彼らあたりから首相としての発言のレベルは下がり、品位も下落した。私は歴代総理の政策にはほとんど反対の立場であるが、いまにして思えば、大平正芳や鈴木善幸までは老獪さも含めて、まだマシだった。少なくとも、自分に恥じるような卑しい言葉はほとんど吐かなかった。作者は、一国の宰相ともあろう人物がここまで成り下がったのかと憮然としている。この調子では世の中がどんどん悪くなるだろうと、一年の来し方を振り返って慨嘆しているのだ。抒情句の名手であった作者にしては、出来の芳しくない作品だが、それをおそらくは自覚しつつも敢えて句集に収めた心情は見上げたものだ。俳句は庶民の文芸である。花鳥風月も大いに結構だが、やはり庶民の生活ベースを左右する事どもについても述べておくのは当然だろう。そんな作者の声が聞こてくるような気がする。もしも作者が存命ならば、彼は今回の自衛隊派遣をめぐる一連の小泉純一郎の「ことば」をどう捉え、どう詠んだであろうか。もはや「卑しき」程度のやわらかな形容ではすまさなかったはずである。『次の花』(1989)所収。(清水哲男)




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