今宵は学生時代仲間の忘年会。「京大新聞」と「学園評論」。意気盛んだった、あの頃。




2003ソスN12ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 09122003

 遠ざかる人と思ひつ賀状書く

                           八牧美喜子

度も書いているように、作句の要諦は読者に「なるほどね」と思い当たらせることだ。季語は、言ってみれば思い当たらせるための最も有効な補助線である。たとえば「雪」と書けば「冬ですよ」と季節を限定できることから、それだけ「なるほどね」と中身にうなずいてもらえる必要条件が整うわけだ。この条件を逆用して、あっと驚かせるドンデンガエシ句を作る場合もあるけれど、驚かすための布石としてはやはり当たり前の補助線を当たり前に引いているにすぎない。掲句はとても素直な補助線が引いてあるので、わからない人はいないだろう。なるほど、こういうことってあるよなあ。と、納得できる。ところが句を「暑中見舞書く」としたら、どうだろうか。大半の人は、共感しかねるに違いない。賀状だからこそ、納得がいくのだ。そして掲句には、その先もある。中身は一見平凡に写るが、読者を簡単に納得させたその先に、実は一つの疑問を提示していると読むべきだろう。すなわち、年賀状って、いったい何なのかという疑問だ。儀礼だとか虚礼だとかとは別な問題として、出す側をかくのごとくに拘束する力の不思議さ。「遠ざかる人」と思うなら、書かなければよいというわけにもいかない心理が、年賀状に限って働くのは何故なのだろうか。鋭く疑問を呈しているのではないけれど、読者が本当に思い当たっているのは、こうしたことが自分にも起きるという事実そのことではなくて、毎年のように自問しているこのような漠然たる疑問そのものであるはずだ。おそらくは出す相手の側も、作者と同じ心理を働かせながら、結局は書いている。そう思うと、なんだか滑稽でもあり、しかし笑い捨てることもできない変な気持ちにさせられた。2004年版『俳句年鑑』(角川書店)所載。(清水哲男)


December 08122003

 軍艦と沈んでゐたる海鼠かな

                           吉田汀史

語は「海鼠(なまこ)」で冬。十二月八日と聞いて、なんらかの感慨を覚える人も少なくなってきた。かつての開戦の日だ。私の世代はまだ幼かったので、実感的に思い出せるのは七十代以上の人たちだろう。句は直接この日を詠んだものではないが、戦争の悲惨を静かに告発している意味で挙げておきたい。海深く沈没させられた軍艦の周辺に、物言わぬ海鼠が寄り添うように「沈んで」いる。多くの海鼠は陸地に近く棲息するから、句の海鼠は死んでいるのだろう。それはさながら、軍艦と運命をともにした兵隊たちの精霊のようでもあろうか。地上の人間からはとっくに忘れ去られた闇の世界に、いまなおゆらめく恨みをのんだ霊魂か。想像するだに、あまりにもいたましい情景だ。句で思い出されたのは、開戦後二年目(1943年)の今日の日付で封切られた映画『海軍』(田坂具隆監督・松竹)である。十数年前に、ビデオで見た。海軍報道部の企画で作られた映画だから、完全な国威昂揚を目的とした作品だ。鹿児島の雑貨屋の息子が家業のことを気にしつつも、お国のためにと海軍兵学校に進学する。無事卒業していまや中尉となった主人公は、十二月八日のこの日、特殊潜航艇に乗り組み、真珠湾近くの深海に身を潜めていた。作戦どおりにやがて静かに艇を浮上させ、潜望鏡で覗いた真珠湾には、空からの奇襲の被害を免れた敵艦の姿があった。ここで映画は終わる。いや、本当はこれから彼が華々しい戦果をあげるシーンがつづくのだが、戦後に米軍がこの部分のフィルムを没収して持ち帰り、行方不明というのが真相らしい。しかしここで終わっているほうが、むろん海軍情報部の意図には反しているけれど、戦争の悲惨を訴えるがごとき余韻が残る。史実はともあれ、奮戦の甲斐もなく潜航艇が大海の藻くずと化すシーンも、十分に暗示されていると思えるからだ。そこで私のなかでは、映画と掲句とが結びついた。勝手な連想でしかないことは承知だが、しばしば人のイマジネーションはこのように働く。加えて俳句の様式自体が、読者の自由な連想を喚起する装置として機能する以上、勝手な連想の居心地もよいというものだろう。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


December 07122003

 福助のお辞儀は永遠に雪がふる

                           鳥居真里子

しかに「福助」は、いつもお辞儀の姿勢でいる。多くの人が福助を知っているのは、人形そのものとしてよりも、関西の足袋屋から出発した下着メーカーの商標としてだろう。だから作者が福助を見ていて、(足袋から)雪を連想したのは心の自然の動きである。句はアダモのシャンソン「雪がふる」にも似て、私たちの漠然とした郷愁を誘う語り口だ。静かに降る雪を見ていると「永遠に」ふりつづけるようであり、目の当たりにしている福助のお辞儀も、また変わることなく永遠に繰り返されていくことだろう。このときに、読者は雑念からしばし解放され、真っ白な無音の世界へと誘われてゆく。福助といういわば俗っぽいキャラクターが、かえって静謐な時間を際立たせているところに注目。ところで、福助とはいったい何者なのだろうか。むろん足袋屋さんが作ったのではなく、江戸は吉宗時代からのキャラクターらしい。頭が大きく背の低い異形だが、実は大変な幸運をもたらす人物として創出されている。人は見かけによらぬもの。そうした教訓を含んでもいるので、あやかろうとする人々にも、濡れ手で粟のような後ろめたさがなかったと思われる。荒俣宏によれば彼は子供なのだそうだが、一方では女房子供のいるれっきとした大人だとする説もある。他にちゃんと愛人もいて、その名が「お多福」。ついでに母親の名が「おかめ」ときては、眉に唾をつけるよりも前に笑ってしまう。ちなみに、姓は「叶(かのう)」だそうな。願いが「かのう」というわけか。それからこれは本当の話だが、今年の梅雨のころに、福助が消えて無くなるかもしれない出来事があった。「福助」株式会社が、大阪地方裁判所に民事再生の適用を申請したからだ。商標が消えたからといって掲句の魅力に影響はないけれど、やっぱり消えるよりは存在していたほうがよい。ここで、ちらっと福助の動くお辞儀が見られます。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)




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