昨日は一日中イラクのことで気が重かった。日本は既にイラク民衆の敵だったのだ。




2003ソスN12ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 01122003

 古書街に肩叩かるる歳の暮

                           皆川盤水

二月に入った。毎年感じることだが、この一ヵ月は飛ぶように過ぎていく。まさに「あれよあれよ」が実感だ。そう言ってはナンだけれど、この多忙な月の「古書」店は、さして商売にならないのではあるまいか。ゆっくりとウィンドウや棚を見て本を選ぶ時間的な余裕など、たいていの人にはないからである。句の「古書街」は、おそらく東京・神田だろう。あのあたりにはオフィスもたくさんあるので、年末でも人通りは普段とあまり変わらないかもしれない。でも、古書を求めて歩く人は少ないはずだ。そんな街を、作者は明らかに本を探しながらゆっくりと歩いている。めぼしい店の前で立ち止まりウィンドウを眺めているときに、後ろからぽんと肩を叩かれた。振りむくと、知った顔が微笑している。この忙しいのに、お前、こんなところで何やってるんだ。そんな顔つきである。だが、どうやら彼も同じように本を求めてやってきたらしい。一瞬でそうわかったときに、お互いの間に生まれる一種の「共犯者」意識のような感情。この親密感は、やはり「歳の暮」に特有なものである。私は若い頃に、大晦日には映画を見に行くと決めていた。正月作品を、ガラ空きの映画館で見られたからだ。もちろん私も他の客からそう思われていたのだろうが、大晦日に映画を見る人々は、よほどヒマを持て余しているか、家にいられないだとか何かの事情がある人たちに違いない。そういう時空間では、お互いに見知らぬ同士ながら、なんとなく親密感が漂っているような雰囲気があったものだ。ましてや掲句の場合には知りあい同士なのだから、その密度は濃かっただろう。きっと、そこらで一杯というくらいの話にはなったはずである。『寒靄』(1993)所収。(清水哲男)


November 30112003

 サルトルもカミユも遥か鷹渡る

                           吉田汀史

語は「鷹」で冬。一般的に長い距離は移動しないが、種類によっては寒くなると南へ「渡る」のもいる。眼光炯々として姿態清楚な猛禽が、群れをなして「遥か」彼方へと去っていく。ちょうどそのように、熱い情熱で時代を告発し説得しつづけた「サルトルもカミユ」も二人ともが、既に故人となり、その思想も「遥か」な地平へと没してしまったかのようである。昨今の世の動きを見るにつけ、彼らが火をつけ世界中に共鳴者を獲得した思想とは何だったのかと思う。単なる郷愁句ではなく、作者はやりきれない思いの中で反問しているのだ。私もまたサルトルやカミュに強い共感を覚えた一人だっただけに、彼らの思想を一時のファッションとしてやり過ごすわけにはいかない。当時、ある人が「実存主義とは何か」という問いに答えて、こう言った。「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも、みんなアタシのせいなのよ。これが実存主義さ」。むろん小馬鹿にした揶揄の言だけれど、あながち当たっていないこともないだろう。なぜなら、実存主義最大の主張はアタシ(個人)の存在と尊厳をあらゆる価値の最上位に置くことだからだ。簡単な例で言えば、いかなる事態にあろうとも、常に国家よりも個人が大切ということである。そのためには、他方で当然数々の困難をもアタシが引き受ける思慮と勇気とが必要となる。第二次世界大戦の悲惨な熾きがまだくすぶっていた時代のなかで、出るべくして出てきた考え方だ。なんだい、そんなことなら「常識」じゃないか。今日、サルトルもカミュも読まない世代の多くは言うだろう。その通りだ、「常識」なのだ。言うならば、当時だって当たり前の言説だったのである。が、この「常識」は、今の世の中でいったいどこでどういうふうに機能し通用しているのかね。つらつら世の中を見回してみるまでもない。「あれよあれよ」の間に、どんどん実質的には非常識化している現実に怖れを抱いてしかるべきではないのかね。それこそ私の常識は、実存主義の鷹がいまや絶滅の危機に瀕していると告げている。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


November 29112003

 茶の花やインドは高く花咲くと

                           中西夕紀

語は「茶の花」で冬。作者はたぶん、垣根などに植えられた茶の木の花を見たのだろう。というのも、農家の茶畑では花を咲かせないからだ。花が咲けば実がつく。その分、木の栄養分は花や実に取られてしまう。昔から、農家では「花を咲かせたら恥」とまで言われてきた。私は二十歳のころに茶所宇治に暮らしたけれど、茶の花はついぞ見かけたことはなかった。また茶の木は、放っておくと七、八メートルの高さに生長する品種もあるそうで、茶畑にせよ垣根にせよ、刈り込んで低い木に育てるのが常だ。したがって、見かけるのはいつも低いところに咲く花であり、作者もまた低所で下俯いて咲いている白い花を見ている。そんな地味な花の姿から、「インドの花」に思いを馳せた飛躍のありようが揚句の魅力だ。句は花の咲く位置の高低を述べていて、それはおのずから寒い冬の日本から暑い夏のインドへの憧憬を含んでいる。実際のインドの酷暑たるや凄まじいと聞くが、作者は「花咲くと」と伝聞であることを明確にしており、ここでの憧憬の対象は現実のインドではなく、いわば物語的神秘的なインドであることを指しているのだ。そのロマンチシズムが、寒くて低いところに咲く地味な花を、逆に生き生きと印象づけてくれる。この句を読んだときに、私はリムスキー・コルサコフの「インドの歌」(歌劇「サドコ」より)を思い出した。歌詞には花こそ出てこないが、メロディも含めて、ここにあるロマンチシズムは作者のそれに共通するものがある。「俳句」(2003年2月号)所載。(清水哲男)




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