今年のボジョレ・ヌーボーが評判だ。ワインは苦手だが、あまり美味いと言われると…。




2003ソスN11ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 23112003

 素人が吹雪の芯へ出てゆくと

                           櫂未知子

日本に大寒波襲来。お見舞い申し上げます。日本海側で暮らしていた私には多少の吹雪の体験はあるが、北国での本当の怖さは知らない。作者は北海道出身なので、そのあたりは骨身に沁みているのだろう。なによりも「吹雪の中」ではなくて「吹雪の芯」という表現が、そのことを裏付けている。実体験者ならではの措辞だと、しばし感じ入った。それこそ「素人」には及びもつかない言い方だ。そんな「芯」をめがけて、怖いもの知らずの奴が「出てゆく」と息巻いている。止めたほうがいいと言っても、聞く耳を持たない。根負けしたのか、じゃあ勝手になさい、どうせ泣きべそをかいて戻ってくるのがオチだからと、半ば呆れつつ相手を突き放している。しかも、突き放しながら心配もしている。「出てゆくと」と、あえて言葉を濁すように止めたのは、そんなちょっぴり矛盾した複雑な心情を表すためだと思う。実際、素人ほど無鉄砲であぶなっかしい存在はない。吹雪に限らず何が相手でも言えることだが、素人は木を見て森を見ず、と言うよりも全く森は見えていないのだから、何を仕出かすかわかったものじゃない。たまたま巧く行くこともあるけれど、それはあくまでも「たまたま」なのであって、そのことに他ならぬ当人が後でゾッとすることになったりする。そこへいくと「玄人」は、まことに用心深い。猜疑心の塊であり、臆病なことこの上ないのである。片桐ユズルに「専門家は保守的だ」という詩があるけれど、そう揶揄されても仕方がないほどに慎重には慎重を期してから、やっと行動に移る。面白いものだ。『蒙古斑』(2000)所収。(清水哲男)


November 22112003

 掻爬了へ女寒がる首飾り

                           田川飛旅子

季句。えっ、「寒がる」とあるから冬の句じゃないの。そう思った読者は、もう一度読み直していただきたい。「掻爬(そうは)」は最近一般ではあまり使われない言葉になってきたが、本義は「組織を掻きとること」で、この場合は人工妊娠中絶を意味している。1975年(昭和五十年)の作。いわゆる性解放が進み、安直な堕胎が社会問題化しはじめたころだったろうか。もぐりの中絶医がはびこっているとも、よく聞いた。私は少年時代に、若い女性の三分の一がパンパンガールだと言われた基地の町近くに住んでいたので、どこからか「掻爬」についてのある程度のことは聞いていた。耳学問と言うのかしらん。そんなことはどうでもよろしいが、この句をはじめて読んだときには、作者は婦人科医かなと思った。掻爬した女性本人はもとより、関係当事者がこんな句を公表するはずはないと思ったからだ。でも、作者は技術者であって医者ではないと、後で知った。では、体験句だろうか、それともまったくの想像句なのだろうか。野次馬根性が動かないわけではないけれど、そんな詮索もまたどうでもよろしい。たった十七音で、これだけの影のあるドラマを描きえた作者の腕前に感心させられる。掻爬までの経緯によって愚かな女とあざ笑われようが、逆に周囲の同情を集めようが、句には術後の女性の哀しみが静かに滲み出ている。手術を「了へ」てやつれた姿のおのれを、なお半ば本能的に飾ろうとする性(さが)の痛々しさ。その象徴としての「首飾り」。見て見ぬふりをしたいところだが、作者は目をそらさなかった。作家魂のなせる業とでも言うべきか。このときに寒いのは外気ではなく、女性の身体と精神そのものだろう。真夏の句と読んでも、いっこうに差支えはない理屈だ。『邯鄲』(1975)所収。(清水哲男)


November 21112003

 旅人われに雨降り山口市の鴉

                           鈴木六林男

季句。句とは裏腹に、今回の山口への旅は晴天に恵まれた。山道のあちこちが懐しく何度も立ち止まったが、深閑とした山の中で鴉(からす)の鳴き声が聞こえてきたときにも、思わず足が止まった。鴉の鳴き声など珍しくもないのにと思われるかもしれないけれど、都会の鴉とはかなり違う鳴き声だったからだ。実にのんびりと鳴いていて、気分がよくなる声だった。東京の鴉のように、ケンを含んだ声じゃない。「♪カラスといっしょに帰りましょ」と、歌いたくなるような声とでも言えばいいのか。こんな鴉を東京に移住させたら、苛烈な生存競争にひとたまりもなく敗れてしまうだろうな、などと余計なことも思った。掲句の鴉も、きっと同じようにのんびりとした声だったに違いない。「山口市」は、全国でいちばん辺鄙な場所に位置する県庁所在地だ。わずかに瀬戸内海に接している部分もあるが、山の中という印象がだんぜん濃い「町」である。昔から人口は少なく、現在でも14万人と私の住む三鷹市よりも少ないし、際立った産業があるわけでもない。戦後間もなく、そんな山口市を作者が訪ねたときの句である。わざわざ訪ねたのは、作者が高商時代を過ごした青春の思い出の地だったからだ。それもかつての大戦(フィリピンのバターン・コレヒドール要塞攻防戦に参戦)で九死に一生を得て引き揚げてきた身とあっては、私の呑気な旅などとは思い入れの度合が違うのだ。ただこうした註記が必要なところに、句として普遍性に欠ける恨みは残る。が、山河や建物よりも「鴉(の鳴き声)」に何よりも懐しさを覚えているところに、我が意を得たりの思いがした。たとえ降る雨は冷たかろうとも、青春懐旧の念のなかでは、かぎりなく優しく甘く感じられたことだろう。『荒天』(1949)所収。(清水哲男)




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