天気がよければ松山をぶらぶらします。悪ければ、さっさと引き上げてきちゃおうかな。




2003年11月8日の句(前日までの二句を含む)

November 08112003

 地玉子のぶつかけご飯今朝の冬

                           笠 政人

語は「今朝の冬」、立冬のことだ。雪の便りもちらほらと聞こえてくる。まだ東京あたりではそんなでもないが、もう名実ともに冬に入っている地方もあるだろう。長くて厳しい季節のはじまりである。作者は、そんな寒い地方の人だろうか。ほかほかのご飯に玉子をぶっかけて、勢い良く掻き込んで食べている。さあ「冬よ、やってこい」と、身構えている。わざわざ「地玉子」と玉子に「地」をかぶせたのは、新鮮で栄養価の高い玉子をイメージさせることで、句の勢いを増すためだろう。単に玉子と言うよりも、よほど迫力が出る。すぐに連想したのは、高村光太郎の詩集『道程』に収められている「冬が来た」だった。昔、小学校の教室で習った。「きっぱりと冬が来た/八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった」というのだから、季節的にはもう少し寒くなってからの詩だ。最後の二連は、こうなっている。「冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ//しみ透れ、つきぬけ/火事を出せ、雪で埋めろ/刃物のような冬が来た」。こちらも相当な迫力で、子供のときにも圧倒された。掲句の作者にしても光太郎にしても、とにかく若くて元気だ。若くて元気でなければ、こういう詩は書けない。そこへいくと今の私などは、冬と聞くだけでへなへなとなりそうだ。あ〜あと、溜め息の一つもついてしまう。これではならじ。句の作者にならって、今朝はいっちょう、ご飯に玉子をぶっかけて食うことにしようかな。今日、立冬。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


November 07112003

 成り行きに任す暮しの返り花

                           鯨井孝一

語は「返り花・帰り花」で初冬。かえり咲きの花。暖かい小春日和がつづくと、梅や桜、桃の花が咲くことがある。狂い花とも。岡本敬三の小説『根府川へ』(筑摩書房)を読んだあとだけに、この句には身につまされる。会社にリストラされ、妻には別れられ、「成り行きに任す暮し」を余儀なくされている初老の男の物語だ。彼は一年中、寒い季節に生きているようなものなのだ。しかし、そんな彼にも、たまにはポッと返り花が咲く。目立たないささやかな花ではあるけれど、社会的にも経済的にも零落した者でなければ見られない花が咲くのである。その花は、羨ましくなるくらいに美しく味わい深い。何かをあきらめた人間には、あきらめた分だけ、それまでには気づかなかったきれいなものが見えるのだろう。句の作者は零落者ではないだろうが、そういうことを言っている。小説に戻れば、こんな場面がある。久しぶりに静岡の根府川から上京した高齢の叔父と、主人公は神田で酒を呑む。彼のポケットには全財産の1500円しかない。飲んでいるうちに、叔父も1000円しか持っていないことがわかる。どんどん注文する叔父にはらはらしながら、さて、どうしたものか……。叔父の機転でその店からは無事に脱出、つまり飲み逃げをするわけだが、お茶の水駅での別れ際に、叔父は「うっかりしていた」と白い封筒をさしだした。生きていくことはほんのちょっとしたペテンだ、と言い添えながら……。開けてみると、その薄い封筒には指の切れそうな一万円札が五枚入っていた。あわてて彼はさきほどの店に取って返し、勘定を払おうとするが、女将はもう済んでいるという。たとえば、これが成り行き任せの暮しに咲いた返り花。そして、この金を返しに主人公が叔父を訪ねて根府川へ行くのも、またもう一つの返り花だ。著者の岡本敬三君は、実は私の若い友人です。読んでやってください。面白いこと受け合い、ペーソス溢れるいぶし銀のような都会小説です。『現代俳句年鑑』(2003・現代俳句協会)所載。(清水哲男)


November 06112003

 柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな

                           正岡子規

山に行くので、子規が読みたくなって読んでいる。松山どころか、四国に渡るのは生まれてはじめて。仕事があるとはいえ、楽しみだ。例によって飛行機ではなく、地べたを這ってゆくので、三鷹からおよそ七時間ほどかかる。先の萩行きの深夜バスに比べれば、ラクなものである。揚句は、しかし松山ならぬ奈良での即吟だ。明治半ばころの奈良の横町はこんなだったよと、セピア色に変色した写真を見せられているようだ。名句なんて言えないけれど、いまの私にはこんな何でもないような句のほうが心地よい。張り切った句には疲れるし、技巧に優れた句にもすぐに飽きてしまう。非凡なる凡人ではないが、凡なる凡句にこそ非凡を感じて癒される。まったく、俳句ってやつは厄介だ。我が故郷の「むつみ村」がいまだにそうであるように、昔の奈良の横町あたりでも、柿などはなるにまかせ、落ちるにまかせていたのだろう。熟したヤツがぼたっと落ちると、びっくりした犬が一声か二声吠えるくらいだ。いまどきの犬は、柿が落ちたくらいでは吠えなくなったような気がする。実に、犬は犬らしくなくなった。あるいはそんな直接的な因果関係き何ももなくて、柿は柿として勝手に落ち、犬は犬として勝手に吠えているのかもしれない。どっちだっていいのだが、往時ののんびりした古都・奈良の雰囲気が、かくやとばかりによく伝わってくる。柿が大好きだった子規には、「もったいない」と少々こたえる場面ではあったろうが、その後でちゃんと「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んでいるから、心配はいらない。子規の柿の句のなかに「温泉の町を取り巻く柿の小山哉」もある。「温泉(ゆ)の町」は道後だ。ちょっくら小山の柿の様子も見てきますね。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)




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