いつの間にか、庭のサザンカが咲いていた。咲き終わり、ぜんぶ散るころには寒くなる。




2003ソスN11ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 06112003

 柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな

                           正岡子規

山に行くので、子規が読みたくなって読んでいる。松山どころか、四国に渡るのは生まれてはじめて。仕事があるとはいえ、楽しみだ。例によって飛行機ではなく、地べたを這ってゆくので、三鷹からおよそ七時間ほどかかる。先の萩行きの深夜バスに比べれば、ラクなものである。揚句は、しかし松山ならぬ奈良での即吟だ。明治半ばころの奈良の横町はこんなだったよと、セピア色に変色した写真を見せられているようだ。名句なんて言えないけれど、いまの私にはこんな何でもないような句のほうが心地よい。張り切った句には疲れるし、技巧に優れた句にもすぐに飽きてしまう。非凡なる凡人ではないが、凡なる凡句にこそ非凡を感じて癒される。まったく、俳句ってやつは厄介だ。我が故郷の「むつみ村」がいまだにそうであるように、昔の奈良の横町あたりでも、柿などはなるにまかせ、落ちるにまかせていたのだろう。熟したヤツがぼたっと落ちると、びっくりした犬が一声か二声吠えるくらいだ。いまどきの犬は、柿が落ちたくらいでは吠えなくなったような気がする。実に、犬は犬らしくなくなった。あるいはそんな直接的な因果関係き何ももなくて、柿は柿として勝手に落ち、犬は犬として勝手に吠えているのかもしれない。どっちだっていいのだが、往時ののんびりした古都・奈良の雰囲気が、かくやとばかりによく伝わってくる。柿が大好きだった子規には、「もったいない」と少々こたえる場面ではあったろうが、その後でちゃんと「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んでいるから、心配はいらない。子規の柿の句のなかに「温泉の町を取り巻く柿の小山哉」もある。「温泉(ゆ)の町」は道後だ。ちょっくら小山の柿の様子も見てきますね。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


November 05112003

 啄木鳥に俤も世もとどまらず

                           加藤楸邨

語は「啄木鳥(きつつき)」で秋。くちばしで樹の幹をつつき、樹皮の下や樹芯にいる虫を食べる。日本にはコゲラ、アカゲラなど十種類ほどが棲息しているそうだが、私が子供のときによく見かけたのは何という種類だったのか。ちっぽけで敏捷だったが、よく漫画に出てくるような愛嬌は感じられなかった。汚ねえ奴だなくらいに思っていたので、我ら悪童連もつかまえようという気すら起こさなかった。タラララララと樹を打つ音は時に騒々しいほどで、「うるさいっ」とばかりに石を投げつけたりしたが、むろん命中するわけもない。なんという風流心の欠如。可哀想なことをしたものだ。作者は大人だし風流も解しているので、そんなことはしない。昔に変わらぬ風景のなかで、相変わらずのせわしなさで樹を打つ音を聞きながら、昔とはすっかり変わってしまった人の世を思っている。この風景のなかにいた人たちの多くはこの世を去り、世の仕組みも大きな変化をとげた。俤(おもかげ)も世も、ついにとどまることはないのだ。変わらぬものと変わりゆくものとの対比。よくある感慨ではあろうが、変わらぬものとして、山河などではなく啄木鳥の音をもってきたところが手柄だ。心に沁みる。そういえば、今度の故郷行では啄木鳥の音を聞くことがなかった。昔はあれほどいたのに、やはり近年では林業も盛んになった土地ゆえ、樹々が伐採されるたびに棲む場所を失っていったのだろう。すなわち、俤も世も、啄木鳥までもがとどまってはいなかった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 04112003

 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

                           松尾芭蕉

存知『おくのほそ道』の掉尾を飾る一句だ。「行秋」は「ゆくあき」。どんな文集でもそうだが、終わり方、しめくくり方には大いに気をつかう。終わり方如何で、作品全体の印象が決定づけられる。竜頭蛇尾に終われば、それまでの苦労が水の泡だ。よく知られているように、芭蕉は『おくのほそ道』の推敲にはずいぶんと長い年月をかけた。したがって、文中の句に即吟そのままというのは、あまりないだろう。萩と遊女の句のように、まったくのフィクション句もある。この句は大垣の港から二十年に一度の伊勢の遷宮を拝むために、舟で出発したときに詠まれた。すなわち、芭蕉の旅はまだまだ続くわけだが、彼はあえて大垣をもって旅の終着地としている。せっかくの伊勢詣でなのだから、遷宮の様子もレポートしたかったとは思うが、それをしなかった。なぜなら、伊勢を書けば「ほそ道」一巻を貫く思想が崩れてしまうからなのだ。凡俗の徒の営為などは、あっという間に神の懐に吸引吸収されてしまう。「月日は百代の過客にして」の人間としての一種の悟りも、神の前ではちっぽけな考えでしかないだろう。下世話な言葉を使えば、それではヤバかったのである。だから、大垣で止めた。掲句の「ふたみ」が蛤(はまぐり)の蓋と身にかけてあるように、この句には他にも芭蕉の教養と機知と感覚とがいろいろと詰まっている。詳細についてはしかるべき評釈書を参照していただくとして、ここで芭蕉がねらったのは読者をして一巻冒頭の一行目に回帰せしめることだったと思う。だから惜しみつつ惜しまれつつ別れていく人情を、行く秋への惜別の情に巧みに切り換えることで、芭蕉は素早くも個に立ち返っているのだ。つまり、旅立ちのときの個と同じ位置に戻っている。舟が出たのは午前八時ころだというが、早春に江戸を旅立ったのも早朝であった。時間的にも、ぴしゃりと合わせてある。要するに「ほそ道」は円環体に構成されていて、永久に終わりのない読み物なのだ。それもこれもが、この最後の句の工夫にかかっている。(清水哲男)




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