Ingrid Bergman。享年67と長生きではなかった。遺骨はスウェーデン沖の海に散骨。




2003ソスN10ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 29102003

 斬られ役また出て秋を惜しみけり

                           泉田秋硯

語は「秋惜しむ」。山口県の萩市で開かれた中学の同窓会に出席した後で、三十年ぶりに故郷(山口県阿武郡むつみ村)を訪れてみた。快晴のなかの村の印象はいずれ書くとして、村を離れる前に友人宅に立ち寄って二時間ばかり話をした。私がいろいろ昔の思い出を確認する恰好の話のなかで、秋祭のことを尋ねたら、いまでも昔と同じ形式で続けられているという。奉納されるメインイベントのお神楽も、伝統を守って昔ながらに演じられているようだ。ただ子供の私には神楽はたいして面白いものではなく、その後に行われる村芝居が何よりの楽しみだったのだけれど、さすがにこちらは途絶えてしまっていた。集落単位で何年かごとの交代制で一座をこしらえて、主に国定忠次や石川五右衛門などの時代劇を上演したものだ。これが、いろいろな意味で面白かった。日頃無口な近所のおじさんが舞台に上がって「絶景かな、絶景かな」なんて叫んでいたりして、大いにたまげたこともある。句は、そんな芝居の事情を詠んでいる。なにしろ出演者が少ないので、ちょっとしか出ない「斬られ役」は、すぐに別のシーンで別の役を演じざるを得ないわけだ。ついさっき情けなくもあっさり斬られて引っ込んだ男が、また出てきて、今度は神妙な顔つきで月を見上げたりして行く秋を惜しんでいる図である。なんとなく妙な感じがして可笑しいのだが、一方ではどことなく哀しい。村芝居には、素人ならではの不思議な魅力がある。むろん作者の力点も、この不思議な味にかけられているのだろう。『宝塚より』(1999)所収。(清水哲男)


October 28102003

 枇杷男忌や色もて余しゐる桃も

                           河原枇杷男

語は無い。無季句だ。もちろん「桃(の実)」は秋の季語だけれど、こういう場合の分類は忌日がメインゆえ、それを優先させる。では「枇杷男忌」が四季のいずれに当たるかということになるわけだが、それが全くわからない。なぜなら、枇杷男は現在関西の地に健在存命の俳人だからである。もっとも彼には「死にごろとも白桃の旨き頃とも思ふ」という句があって、西行の「花の下にて春死なん」じゃないけれど、どうやら桃の実の熟するころに死にたいという希求はあるようだが、希求はあくまでも希求であって確定ではない。勝手に自分の命日を決めてもらっては困る。……とまあ、ここまでは半分冗談だが、けっこうこれは方法的には恐い句だ。中身としては、人の忌日だというのにあまりにも健康そうに熟した桃が、恥じておのれの色艶をもて余している情景である。本当は喪に服して少しは青く縮こまっていたいのに、なんだかやけに溌剌として見えてしまう姿をどうしようもないのだ。おお、素晴らしき善なる桃の実よ。私が恐いというのは、やはり自分の命日を自分で作って詠むというところだ。辞世の句なら生きているうちに詠むのが当たり前だが、たとえ冗談や遊び半分、あるいは悪趣味のつもりでも、そう簡単に自分の命日を詠めるものではない。論より証拠、試してみればわかります。私も真似してみようと思ったけれど、すぐに恐くなって止めてしまった。よほど日頃から自分の死に対して、人生は生きるに値するかの答えの無い命題を真摯に考え、性根が坐っている人でないと不可能だと思われた。その意味で、掲句の方法は作者の生き方につながる文芸上の態度を明確に示したものだと言わなければならない。枇杷男を論ずるに際しては、欠かせない一句だろう。『河原枇杷男全句集』(2003)所収。(清水哲男)


October 27102003

 鶉飛ぶ広い世界を見るでなく

                           笠井 円

語は「鶉(うずら)」で秋。雑誌「俳句」に「17字の冒険者」というページがあって、毎号若手の句を載せており、若い人の感覚や感性が興味深くて愛読している。掲句は発売中の11月号に掲載されていた。作者は1973年生まれというから、ちょうど三十歳だ。鶉はラグビーボールみたいにずんぐりとした体形で、鳴き声も良く、なかなか愛嬌のある鳥である。ただ無精というのか何というのか、この鳥はなかなか飛ぼうとしない。人や犬が近づいてきても、まずはチョコマカと走って草叢のなかに隠れようとする。鳥なんだから飛んで逃げればいいのにと思うが、もはやギリギリに切羽詰まったときでないと飛ぼうとしない。しかも高くは飛ばず、低空飛行だ。それでいて、寒くなると暖かい土地へ長距離移動していくのだから、なんだ、飛ぼうと思えばちゃんと飛べるんじゃないか。句は、そうした鶉の生態をよく捉えていて、面白い。せっかくの羽を持ちながら「広い世界を見るでなく」、ナニ考えてんだろ、こいつらは。そんな趣である。だいたい人間が飛行機を発明したのは、鳥への憧れがあったからだ。あんなふうに高いところを飛んで、広い世界を見てみたいと願ったからである。「鳥瞰」という古くからの言葉もあるくらいで、その憧れには長く熱い歴史もある。だから、もしもこの世の鳥が鶉だけだったとしたら、おそらく飛行機は発明されなかったに違いない。町の自転車屋だったライト兄弟も、ついに自転車屋のおじさんのままで一生を終えただろう。なお近年野性の鶉は減少しているが、飼育種が増えているため、総個体数としては昔と変わらないそうだ。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます