Jeanne Moreau。『死刑台のエレベーター』。笑顔は、劇中に出てくる写真のなかでだけ。




2003年10句(前日までの二句を含む)

October 21102003

 舌噛むなど夜食はつねにかなしくて

                           佐野まもる

語は「夜食」で秋。なぜ「かなし」なのかといえば、夜食は本来夜の労働と結びついおり、夜遊びの合間に食べるというものではないからである。夜遅くまで働かないと生活が成り立たない、できればこんな境遇から逃げ出したい。そんな暮しのなかにあっての夜食は、おのれの惨めさを味わうことでもあった。ましてや「舌噛むなど」したら、なおさらに切ない。虚子にも、夜食の本意に添った「面やつれしてがつがつと夜食かな」がある。現代では早朝から夜遅くまで働きづめの人は少なくなったので、本意からはかなり外れた意味で使われるようになった。したがって、楽しい夜食もあるわけだ。京都での学生時代に、銀閣寺から百万遍あたりを流していた屋台のラーメン屋がいた。深夜零時過ぎころから姿を現わす。学生なんて人種は、勉強にせよ麻雀などの遊び事にせよ、宵っ張りが多いので、ずいぶんと繁盛していた。カップラーメンもなかった時代、むろんコンビニもないから、腹の減った連中が切れ目無く食べに来るという人気だった。いや、そのラーメンの美味かったこと。食べ盛りの食欲を割り引いても、そんじょそこらのラーメン屋では味わえない美味だったと思う。醤油ラーメン一本だったが、その後もあんな味に出会ったことはない。いま行くと、百万遍の交差点のところにちょっとした中華料理店がある。そこの社長が、実はあのときの屋台のおじさんだという噂を聞いたことがあるけれど、真偽のほどは明らかではない。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 20102003

 山桜もみぢのときも一樹にて

                           茨木和生

の紅葉は早い。早い地方では九月の終わりころから色づきはじめ、他の樹の紅葉を待たずに早々と散ってしまう。ただ、句の場合は「山桜」だから、どうなのだろうか。子供のころの山の通学路に、それこそ山桜の「一樹」があったけれど、花の季節ならばともかく、紅葉のことなどは何も覚えていない。子供に、紅葉を鑑賞するような風流心はないし、あったら気色が悪い。端正な句だ。かくされているのは「花が咲くときも」であり、こうしてひっそりと年輪を重ねていく山桜の存在感をよく表している。私はこの種の自然のありようを人生の比喩として捉えるのは好まないが、掲句にはおのずからそのように読ませてしまう力が働いているようだ。やはり「一樹」だからだろう。盛りのときも枯れてゆくときも、せんじ詰めれば、しょせんは人も「一人」という思いを誘い出される。二十年も前のことだが、黒衣のシャンソン歌手ジュリエット・グレコが私の番組に出演してくれたことがあった。スタジオの窓からは皇居の紅葉がよく見える季節で、しばらく眺めていた彼女は「あれは私の色よ」と、かすかに微笑した。「私の色、人生の秋の色ね」と繰り返した。さすがにシャンソン歌手らしく上手いことを言うなと感心すると同時に、日本人なら「人生の秋」とまでは誰もが言うけれど、その色(紅葉)までを自分の年齢になぞらえることはしないなとちらりと思った記憶がある。むろんグレコが見たのは山桜の紅葉ではなかったが、掲句を読んで、ふっとそんなことも思い出されたのだった。『野迫川』所収。(清水哲男)


October 19102003

 りんご箱りんごの隙の紅い闇

                           日野口晃

そらく、作者は「りんご」の生産農家の人だろう。でなかったら、こんなにじっくりと「隙」まで見ることはしない。昔は籾殻(もみがら)に埋めて出荷したので「隙」は見えなかったが、現在ではパックに詰めるので見えるというわけだ。尻まで紅みのついた完熟りんごを、傷がついていないかを念入りに確かめながら詰めてゆく。詰め終わったら、最後の仕上げに箱詰めにするのだが、このときの句だ。手塩にかけて育ててきたりんごたちを、蓋をする前に、もう一度ていねいに眺めている。さながら画家が描いた絵を手放すときのように、達成感といささかの寂しさとが胸中に交錯し去来するときである。その思いを「紅い闇」にぽっと浮き上がらせたところが、なんとも美しくも素晴らしい。現場の人でなければ、とても思いつかない措辞だろう。愛情が滲み出ている。掲句は、青森県弘前市で開かれた第14回俳人協会東北俳句大会(2003年8月31日)の大会賞受賞作。開催地にふさわしい秀句だ。ところで、いまと違って、昔のりんご箱やみかん箱は木箱だった。だから、本来の用途が終わっても、いろいろに活用された。箱だけでも売られていた。私の場合には、二十歳前までは勉強机や本箱代わり。ちゃんとした自分の机が持てたのは、大学生になってからだった。思えば、ずいぶんと長い間お世話になったものである。そしてまた、現在は「りんご印」のパソコンという箱のお世話になっている。俳人協会機関紙「俳句文学館」(2003年10月5日付)所載。(清水哲男)




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