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October 19102003

 りんご箱りんごの隙の紅い闇

                           日野口晃

そらく、作者は「りんご」の生産農家の人だろう。でなかったら、こんなにじっくりと「隙」まで見ることはしない。昔は籾殻(もみがら)に埋めて出荷したので「隙」は見えなかったが、現在ではパックに詰めるので見えるというわけだ。尻まで紅みのついた完熟りんごを、傷がついていないかを念入りに確かめながら詰めてゆく。詰め終わったら、最後の仕上げに箱詰めにするのだが、このときの句だ。手塩にかけて育ててきたりんごたちを、蓋をする前に、もう一度ていねいに眺めている。さながら画家が描いた絵を手放すときのように、達成感といささかの寂しさとが胸中に交錯し去来するときである。その思いを「紅い闇」にぽっと浮き上がらせたところが、なんとも美しくも素晴らしい。現場の人でなければ、とても思いつかない措辞だろう。愛情が滲み出ている。掲句は、青森県弘前市で開かれた第14回俳人協会東北俳句大会(2003年8月31日)の大会賞受賞作。開催地にふさわしい秀句だ。ところで、いまと違って、昔のりんご箱やみかん箱は木箱だった。だから、本来の用途が終わっても、いろいろに活用された。箱だけでも売られていた。私の場合には、二十歳前までは勉強机や本箱代わり。ちゃんとした自分の机が持てたのは、大学生になってからだった。思えば、ずいぶんと長い間お世話になったものである。そしてまた、現在は「りんご印」のパソコンという箱のお世話になっている。俳人協会機関紙「俳句文学館」(2003年10月5日付)所載。(清水哲男)




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