Alida Valli。『第三の男』。ロングショットの余情あふれるラストシーンは忘れられない。




2003ソスN10ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 10102003

 木守柿妻の名二人ある系図

                           秦 夕美

語は「木守柿(きもりがき)」で秋。代々長くつづいている家だと、寺に行けば過去帳(鬼籍)なるものがある。寺で、檀徒の死者の戒名(法名)、実名、死亡した年月日などを記入しておく帳簿だ。我が家では父が分家初代なので存在しないが、義父が亡くなったときに見たことがある。三百年ほど前からの記録だったと記憶しているが、眺めていると、他人の家のことでもじわりと感慨が湧いてくる。はるか昔から生き代わり死に代わりして、現在まで血がつづいてきたのか。会ったこともないご先祖様のあれこれも想像されて、そこには単なる記録を越えた何かがあった。作者の家には仏壇の抽き出しに、同様の書類が残されてきたという。なかに、後妻○○と記された何人かの女性名がある。むろん最初の妻との死別による再婚もありうるが、なかには「家風に合わぬ」「子なきは去れ」と追い出された先妻のあとの座にすわった女性もいるかもしれない。いずれにしても、家中心の社会、男中心の社会のなかで、犠牲になる女性は多かった。「妻の名二人」のどちらかは、そのような犠牲者だったことはあり得るわけだ。そこには、どんなドラマがあったのだろうか。作者はそんな女たちの怨念を思いながら、次のように書く。「高い梢には夕日のしずくのような赤い実が残されていた。その『木守柿』が私には未練を残しつつ去った女たちの魂のように思えてならなかった」。『秦夕美・自解150句選』(2002)所収。(清水哲男)


October 09102003

 地図に見る明日行くところ萩の卍

                           池田澄子

語は「萩」で秋。原句には仮名が振ってあるが、さて、この「卍」を何と読むか。国語辞書的に読めば「まんじ(意味は万字)」で、それ以外の読み方はない。「梵語 svastika ヴィシュヌなどの胸部にある旋毛。功徳円満の意。仏像の胸に描き、吉祥万徳の相とするもの。右旋・左旋の両種があり、わが国の仏教では主に左旋を用い、寺院の記号などにも用いる[広辞苑第五版]。というわけで、作者は「てら」と読ませている。なるほど、句の「卍」は漢字じゃなくて地図記号だから、逆に「まんじ」と読んでは変なのだ。と、気がついてにやりとさせられる。そういえば、地図は記号だらけである。いや、地図の全ては記号でできている。作者のように、ふだん私たちは何気なく地図を使っているけれど、そう思うと、相当に高度なことをやっているわけだ。小学校の低学年くらいまでは、まず地図を見ても何が何だかわからないだろう。でも、かくいう私が、それではどのくらい地図記号を知っているかというと、およそ160種あると言われる記号の半数も知らない。掲句に好奇心を触発されて、調べてみてがっかりした。いい加減に覚えているものも多い。たとえば学校を表す記号は「文」であるが、この「文」を○で囲った記号もある。どう違うのかを、ついさっきまで知らなかった。単に「文」とあれば小中学校を示し、○囲いは高等学校を示すのだそうだ。全ての記号には根拠があり、「卍」や「文」などには誰にでもうなづけるそれがある。しかし、なかには見当もつかないのがあって、×の○囲いは警察記号だけれど、この根拠は那辺にあるのだろうか。こんなところにお世話になっちゃいけませんぞ。みたいにも感じられるが、まさかねエ。ちなみに「卍」が地図に登場したのは、1888年のことだという。俳誌「豈」(2003年10月・37号)所載。(清水哲男)


October 08102003

 裏山に椎拾ふにも病女飾る

                           大野林火

語は「椎(の実)」で秋。寝たり起きたりの「病女」は、妻ないしは母だろう。今日はよほど気分がよいらしく、裏山に椎の実を拾いにいくと言う。こんなときに、男だったら髭も剃らずに無造作な格好で出かけてしまうところだが、女性は違う。鏡に向かって、念入りに「飾」っている。誰かに会う気遣いもほとんどないのに、しかも短時間で椎の実をいくつか拾ってくるだけなのに……。女性のたしなみというのか、身を飾ることへの執着というのか、作者はその思いの強さに感嘆しているのだ。弱々しい病気の女性と地味な椎の実との取り合わせが、いっそう「飾る」という行為に精彩を与えている。子供のころ、近所に椎の大木があったので、通りがかりによく拾って食べたものだった。物の本には、栗についで美味と書いてあったりするけれど、そんなに美味じゃなかったような記憶がある。当時見た映画に『椎の実学園』というのがあって、肢体不自由児を持つ父親が教員の職を捨て、そうした子供たちだけを集める施設を作り、みんなで励ましあいながら暮らすという話だった。椎の実が熟するには二年もかかるというから、学園名はそのことに由来しているのかもしれない。主題歌があり、歌詞はおぼろげながらメロディはきちんと覚えている。♪ぼくらは椎の実 まあるい椎の実、お池に落ちて遊ぼうよ……と、そんな歌詞だった。でも、映画を見ながら、私は「まあるい椎の実」に引っ掛かった。嘘だと思った。私が拾っていた椎の実に丸いものはなく、いずれもが扁平な形をしていたからである。映画だから嘘もありかな。長い間そう思っていたのだけれど、実は椎の木には二種類あることを、大人になってから知ることになる。私が拾っていた実は「スダジイ」の実であり、映画のそれは「ツブラジイ」の実なのであった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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