早速、無花果の料理法を教えてくださる方がありました。一個いくらくらいするんだろう。




2003ソスN10ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 04102003

 遼陽に夜も更けたる声ひとつ

                           山口和夫

季。「遼陽(りょうよう)」は、中国遼寧省の都市。さきごろ日本領事館の門前で、いわゆる脱北者の女性と子供を中国警官が引き戻す出来事のあった瀋陽の南側に位置する。遼・金時代には東京(とうけい)と称した。さて、いま遼陽と聞いて、ある歴史的なエピソードを思い浮かべられるのは、七十代以上の方々だろう。日露戦争時の最初の激戦地だ。ロシア兵23万、対する日本側は14万。日本軍はロシア側の損害を上回る3万人近い犠牲者を出しながらも、勝利する。まさに両軍、血みどろの闘いだった。このときに戦死した一人が橘周太歩兵第一大隊長で、死後は軍神として崇められ、「軍神橘中佐の歌」までが作られ大いに流行したという。前書も注釈もないが、掲句はおそらく、この歌を踏まえていると読む。「遼陽城頭 夜は闌(た)けて 有明月の 影すごく 露立ちこむる 高梁の  中なる塹壕 声絶えて 目ざめがちなる 敵兵の 肝驚かす 秋の風」。突撃命令が下る前の、寂として声も無い緊張の一瞬だ。そして歳月は流れゆき、現代人の作者ははるかなる古戦場に「声ひとつ」を聞いている。その声は、むろんお国のためにと死んでいった兵士の声でなければならない。それも決して勇ましい鬨(とき)の声などではなく、かそけくも悲哀の淵に沈んだ呻きのような苦しげな声である。時は移り人は代わり、もはや忘れられてしまったかつての大会戦の地に、なおも死者の声だけが彷徨っている……。勇ましい軍神の歌を踏まえつつ、作者は反対に戦争の空しさを訴えているのだ。いちおう無季としたが、遼陽の会戦は1904年(明治37年)八月末のことだったので、作者の意識には秋季があったと思う。『黄昏記』(2002)所収。(清水哲男)


October 03102003

 無花果を煮るふだん着の夕べかな

                           井越芳子

語は「無花果(いちじく)」で秋。無花果は生で食べるのがいちばん美味しいと思うが、煮たり焼いたりする料理法もある。ジャムにする話はよく聞く。ただそういう知識はあっても、無花果を煮たことがないのでよくわからないのだが、なんとなく弱火で煮る必要がありそうな感じがするし、時間がかかりそうな気もする。「ふだん着の」、つまり仕事に出かけない日でないとできない料理でしなかろうか。そう想像すると、秋の夕べの台所に流れる落ち着いた静かな時間が感じられる。「夕べ」というと、働く女性にとってはいつもならばまだ勤務先にいるか、あるいは帰宅途中の時間帯だ。だから、句に流れているような時間は、なかなかに得難い時間なのである。ささやかではあるけれど、休日の幸福で満ち足りたひととき。煮えはじめた無花果の香りが、ほのかに漂ってくる。ところで無花果で思い出したが、世の中には判じ物みたいな苗字があるもので、「九」の一文字、これで「いちじく」と読ませる。この苗字のことを誰かに教えられ、ホンマかいなと思ってずっと以前に調べたときには、東京都の電話帳にちゃんと載っていた。無花果にこだわりがあって、どうしても苗字にしたくて、しかし花の無い果実の表記では縁起が悪いので、窮余の頓智で「九」とつけたのだろうか。明治初期、平民にも苗字をつけることが義務づけられたときのテンヤワンヤには、面白いエピソードがたくさんある。私は「清水」。残念ながら、面白くもおかしくもない。『木の匙』(2003)所収。(清水哲男)


October 02102003

 夜霧とも木犀の香の行方とも

                           中村汀女

語は「木犀(もくせい)」で秋。三日前に、突然といった感じで近所の金木犀が甘い香りを放ちはじめた。窓を開けると、噎せるほどの芳香が入ってくる。このところ好天つづのこともあって、暑くもなく寒くもなく、まさに秋本番を迎えたという実感が湧く。句は具象的には何の情景も描いてはいないけれど、木犀の香りのありようを実に巧みに捉えている。夜のしじまに流れているのは霧のような芳香であり、かつまた芳香のような霧でもある。うっとりと夢見心地の秋の夜。そんな気分の良さが滲み出ている句だ。この句は、先ごろ亡くなった(9月13日、享年七十二)平井照敏の編纂した河出文庫版の『新歳時記・秋』(1989)で見つけた。平井さんは詩人として出発し、俳句に移った人だ。楸邨門。この歳時記は平井さんから直接いただいたもので、ここを書くのにとても重宝してきた。まず、季語の解説がわかりやすい。一通りの説明の後に「本意」という別項目があり、語源や命名の由来などが書かれている。たとえば「木犀」の「本意」としては、こういう具合だ。「もくせいと呼ぶのは幹の模様が犀の皮に似ているためである。中国では金桂(うすぎもくせい)、丹桂(きんもくせい)、銀桂(ぎんもくせい)と名づけていた。とくに銀桂がよい。桂の花ともいわれる」。本意だけでも大いに助かるのだが、選句にも筋が一本通っていて参考になる。何句か例句を掲げ、なかで平井さんがベストと判断した句には*印がつけられている点も、類書には見られないユニークなところだ。掲句には*がついている。ぜひお薦めしたい歳時記なのだが、残念なことに版元で品切れがつづいているようだ。ぜひとも増刷してほしい。(清水哲男)




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