月に一度の定例会議で四谷まで。必ず寄るのが民放会館の喫茶店。いつも空いているから。




2003ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102003

 無花果を煮るふだん着の夕べかな

                           井越芳子

語は「無花果(いちじく)」で秋。無花果は生で食べるのがいちばん美味しいと思うが、煮たり焼いたりする料理法もある。ジャムにする話はよく聞く。ただそういう知識はあっても、無花果を煮たことがないのでよくわからないのだが、なんとなく弱火で煮る必要がありそうな感じがするし、時間がかかりそうな気もする。「ふだん着の」、つまり仕事に出かけない日でないとできない料理でしなかろうか。そう想像すると、秋の夕べの台所に流れる落ち着いた静かな時間が感じられる。「夕べ」というと、働く女性にとってはいつもならばまだ勤務先にいるか、あるいは帰宅途中の時間帯だ。だから、句に流れているような時間は、なかなかに得難い時間なのである。ささやかではあるけれど、休日の幸福で満ち足りたひととき。煮えはじめた無花果の香りが、ほのかに漂ってくる。ところで無花果で思い出したが、世の中には判じ物みたいな苗字があるもので、「九」の一文字、これで「いちじく」と読ませる。この苗字のことを誰かに教えられ、ホンマかいなと思ってずっと以前に調べたときには、東京都の電話帳にちゃんと載っていた。無花果にこだわりがあって、どうしても苗字にしたくて、しかし花の無い果実の表記では縁起が悪いので、窮余の頓智で「九」とつけたのだろうか。明治初期、平民にも苗字をつけることが義務づけられたときのテンヤワンヤには、面白いエピソードがたくさんある。私は「清水」。残念ながら、面白くもおかしくもない。『木の匙』(2003)所収。(清水哲男)


October 02102003

 夜霧とも木犀の香の行方とも

                           中村汀女

語は「木犀(もくせい)」で秋。三日前に、突然といった感じで近所の金木犀が甘い香りを放ちはじめた。窓を開けると、噎せるほどの芳香が入ってくる。このところ好天つづのこともあって、暑くもなく寒くもなく、まさに秋本番を迎えたという実感が湧く。句は具象的には何の情景も描いてはいないけれど、木犀の香りのありようを実に巧みに捉えている。夜のしじまに流れているのは霧のような芳香であり、かつまた芳香のような霧でもある。うっとりと夢見心地の秋の夜。そんな気分の良さが滲み出ている句だ。この句は、先ごろ亡くなった(9月13日、享年七十二)平井照敏の編纂した河出文庫版の『新歳時記・秋』(1989)で見つけた。平井さんは詩人として出発し、俳句に移った人だ。楸邨門。この歳時記は平井さんから直接いただいたもので、ここを書くのにとても重宝してきた。まず、季語の解説がわかりやすい。一通りの説明の後に「本意」という別項目があり、語源や命名の由来などが書かれている。たとえば「木犀」の「本意」としては、こういう具合だ。「もくせいと呼ぶのは幹の模様が犀の皮に似ているためである。中国では金桂(うすぎもくせい)、丹桂(きんもくせい)、銀桂(ぎんもくせい)と名づけていた。とくに銀桂がよい。桂の花ともいわれる」。本意だけでも大いに助かるのだが、選句にも筋が一本通っていて参考になる。何句か例句を掲げ、なかで平井さんがベストと判断した句には*印がつけられている点も、類書には見られないユニークなところだ。掲句には*がついている。ぜひお薦めしたい歳時記なのだが、残念なことに版元で品切れがつづいているようだ。ぜひとも増刷してほしい。(清水哲男)


October 01102003

 夜学果て口紅颯とひきにけり

                           岩永佐保

語は「夜学」で秋。灯火親しむの候からの季語のようだ。昔は夜学というと、苦学のイメージが強かった。杉山平一が戦中に出した詩集『夜学生』に、同題の詩がある。「夜陰ふかい校舎にひゞく/師の居ない教室のさんざめき/あゝ 元気な夜学の少年たちよ/昼間の働きにどんなにか疲れたらうに/ひたすら勉学にすゝむ/その夜更のラッシュアワーのなんと力強いことだ/きみ達より何倍も楽な仕事をしてゐながら/夜になると酒をくらつてほつつき歩く/この僕のごときものを嘲笑へ……」。むろん戦後のことになるが、私の通学していた高校にも夜間の定時制があった。中学の同級生が通っていたので、その辛さはわかっていたつもりだ。偉いなあと、いつも秘かに敬意を抱いていた。しかし、昨今の夜学には従来の定時制もあるけれど、一方には小学生の塾があり、資格を取るための専門学校があり、カルチャースクールなどもあって、かつての苦学とはすっと結びつかなくなっている。とはいっても、昼間働いて夜學に通うのは大変には違いない。強い意志が必要だ。掲句の若い女性は、何を勉強しに来ているのだろうか。授業が終わって席を立つ前に、「颯(さっ)と」口紅をひいたところに、彼女の強い意志の片鱗が見える。疲れてはいるけれど、身だしなみは忘れない。きちんとした性格の清潔な女性の姿が浮び上ってくる。うっかりすると見過ごしてしまうような仕草から、これだけの短い言葉で、一人の女性像を的確に描き出した作者の腕前は見事だ。『丹青』(2003)所収。(清水哲男)




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