今日明日と、JR中央線百余年の歴史上初の大工事。夜には三鷹国分寺間が完全に止まる。




2003N927句(前日までの二句を含む)

September 2792003

 かの岡に稚き時の棗かな

                           松瀬青々

語は「棗(なつめ)・棗の実」で秋。楕円形の実は秋に熟して黄褐色になり、食べられる。庭木としても植えられてきたが、句の棗はむろん野生種だ。私の田舎にもあったけれど、好んで食べた覚えはない。あまりジューシーでなくパサパサしていたので、一秋に、なんとなく付き合いで二三粒ほど食べたくらいだ。でも、舌はよく覚えているもので、掲句を読むとすぐにあのパサパサ味を思い出していた。いまや棗取りなどには縁がなくなった作者も、「稚き時」に遊んだ岡を遠望して、なっていた様子や味を懐しく思い出している。作者は子規門、明治から昭和初期にかけて活躍した俳人だ。こういう句を読んでつくづく思うのは、いかに私たち日本人が同じ自然とともに生きた時間が長かったかということである。作者の食べた明治の棗も、私の昭和の棗も同じ棗だと言ってよい。江戸期やそれ以前の棗だって、おそらくは同じなのである。自然破壊が進行した今では、なんだか不思議な気がするくらいに、この同一性は保たれつづけてきたのだった。有季定型の俳句文芸は、この同一性に深く依存している。「季語」の発明は、自然と人間とのいわば永遠の共存関係を前提にしたものであり、その関係が現実的に破綻した現在、俳句がギクシャクとしているのも当然と言えるだろう。はっきり言って、もう有季定型に未来は詠めなくなった。伝統的な自然との親和力は、過去と、そしてかろうじての現在に向いてしか働かないからだ。このままだと、遠からず有季定型句は滅びてしまうに違いない。でも、それだっていいじゃないか。というのが、私の立場である。『新歳時記・秋』(1989)所収。(清水哲男)


September 2692003

 銀漢や三つの国の銀貨持ち

                           中田尚子

ロシア銀貨
語は「銀漢(ぎんかん)・天の川」で秋。かつての三高(現・京大)寮歌「紅萌ゆる」に、銀漢が出てくる。「千載秋の水清く 銀漢空にさゆる時 通へる夢は昆崙の 高嶺の此方ゴビの原」。いかにも気負った壮士気取りの歌詞であるが、天の川を仰いで世界に思いを馳せる気持ちは、古今東西の人々に共通するものだろう。銀砂子を撒いたような銀漢を眺めながら、作者もまた世界を思っている。それは、この同じ空の下にある、かつて旅した懐しい国々だ。記念に、大事にしている「三つの国の銀貨」。天にきらめく星の数に比べれば、取るに足らない「三つ」でしかないけれど、作者にはこの「三つ」で十分に雄大な銀漢と釣りあい響きあっているのだ。先の三高寮歌に対するに、なんとつつましやかで心優しく、無垢な少女のように純情可憐な作品であることか。「銀漢」と「銀貨」の視覚的な、そして音律的な響きあいもよく効いている。「持ち」と余韻を残して止めたところも、よい。句にちなんで、星の図柄の銀貨がないかと探して見つけたのが、画像のループル銀貨(ロシア)である。双子座。とても可愛らしいけれど、日本の記念銀貨のように実際に流通していないのではなかろうか。ロシア事情に詳しい方がおられたら、ご教示願いたい。私が社会人になったころに何を記念するのでもない百円銀貨(稲穂のデザイン)が発行されたことがあり、ごく普通に使っていたように覚えているが、どうやらあれがこの国の流通銀貨の最後だったようだ。『主審の笛』(2003)所収。(清水哲男)


September 2592003

 このごろの蝗見たくて田を回る

                           小島 健

語は「蝗(いなご)」で秋。この季節になると、こんな気になるときがある。でも、元来が出不精なので一度も実行したことはない。さすがに、俳人はフットワークがいいなあ。普通、わざわざ蝗を見に行ったりはしないだろうけれど、俳人となれば実作の上で、こうした小さなことの積み重ねが物を言う機会があるのだと思う。で、実際はどうだったのだろうか。「このごろの蝗」を見ることができたのだろうか。「田を回る」とあるから、かなり見て回ったらしいが、収穫は乏しかったように受け取れる。環境的に、さすがに元気者の蝗も育ちにくくなっているのだろう。私の子供のころには、蝗は常に向こうからやって来た。通学のあぜ道などでは、いっせいに飛び立った蝗たちが頬にぶつかってきたりして、「痛てっ」てなものだった。まさに傍若無人とは、あのことだ。稲作農家にとっては一大天敵であった彼らも、しかし正面から見てみると、なかなかに愛嬌があって憎めない顔立ちをしていた。そんな思い出があるから掲句に惹かれたわけで、わざわざ見に行った作者の心持ちにも素直に同感できる。ところで世の中には、この蝗を焼いたりして平気で食う人がいる。就職して東京に出てきてから目撃したのだが、思わず目を覆いたくなった。あの愛嬌のある顔を見たことがある人ならば、とてもそんな残酷な真似はできないはずなのだ。以降、たまに飲み屋で出されたこともあるが、ただちに目の前から下げてもらってきた。「美味いのに……」と訝しげな顔をされると、「幼友達を食うわけにはいかない」と答えてきた。「俳句研究」(2003年10月号)所載。(清水哲男)




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