長年同一選挙区だった三鷹市と武蔵野市が次回からは別々に。その意味では注目区だな。




2003ソスN9ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2592003

 このごろの蝗見たくて田を回る

                           小島 健

語は「蝗(いなご)」で秋。この季節になると、こんな気になるときがある。でも、元来が出不精なので一度も実行したことはない。さすがに、俳人はフットワークがいいなあ。普通、わざわざ蝗を見に行ったりはしないだろうけれど、俳人となれば実作の上で、こうした小さなことの積み重ねが物を言う機会があるのだと思う。で、実際はどうだったのだろうか。「このごろの蝗」を見ることができたのだろうか。「田を回る」とあるから、かなり見て回ったらしいが、収穫は乏しかったように受け取れる。環境的に、さすがに元気者の蝗も育ちにくくなっているのだろう。私の子供のころには、蝗は常に向こうからやって来た。通学のあぜ道などでは、いっせいに飛び立った蝗たちが頬にぶつかってきたりして、「痛てっ」てなものだった。まさに傍若無人とは、あのことだ。稲作農家にとっては一大天敵であった彼らも、しかし正面から見てみると、なかなかに愛嬌があって憎めない顔立ちをしていた。そんな思い出があるから掲句に惹かれたわけで、わざわざ見に行った作者の心持ちにも素直に同感できる。ところで世の中には、この蝗を焼いたりして平気で食う人がいる。就職して東京に出てきてから目撃したのだが、思わず目を覆いたくなった。あの愛嬌のある顔を見たことがある人ならば、とてもそんな残酷な真似はできないはずなのだ。以降、たまに飲み屋で出されたこともあるが、ただちに目の前から下げてもらってきた。「美味いのに……」と訝しげな顔をされると、「幼友達を食うわけにはいかない」と答えてきた。「俳句研究」(2003年10月号)所載。(清水哲男)


September 2492003

 子は電柱の裏側通る鰯雲

                           宮坂静生

者は雑誌「俳句」(2003年10月号)で、「子どもの歩き方には秘密がある。わざわざ電柱の裏へ回って」とコメントしている。その通りではあるのだが、掲句を実感するには、あらためて子供の動きを観察するよりも、自分の子供のころに戻ってみるほうが手っ取り早い。そうすると、大人の目からすれば「秘密」や「わざわざ」と見える振る舞いも、子供にしてみれば「秘密」でもなければ「わざわざ」でもなかったことに思いが至るだろう。考えてみれば、電柱があるような全ての長い道は大人の必要から作られたものだ。子供には、ただ点から点へと移動する目的の道なんぞは必要がないのである。幼稚園や小学校に通う道だって、無ければ無いでいっこうに構わない。それで困るのは、子供ではなくて大人のほうなのだ。だから、子供は道を移動するための場としては捉えずに、ほとんど細長い遊び場として理解している。というか、それ以外の場としての理解が及ばない。したがって、子供自身の意識としては「わざわざ」電柱の裏に回るのではなく、しごく「当然」なこととして回るのである。そのほうが面白いからだ。愉快だからだ。つまり、道の理解については、子供のほうが大人よりもずっと空間的に捉えている。比べて大人は、ずっと二次元的にしか捉えていない。高村光太郎の詩「道程」に、「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」とある。むろん光太郎の道は観念的なそれなのだが、しかし、この道には大人としてのまぎれもない二次元的な道の解釈が前提にある。もはや子供ではなくなった人間の多くの不幸は、このような道の理解からもはじまってゆく。「道程」は、詩人の意に大いに反してではあろうが、そう読まれても仕方のない詩だと思う。掲句を読んだ途端に、ふっと思ったことを書いた。『青胡桃』所収。(清水哲男)


September 2392003

 南無秋の彼岸の入日赤々と

                           宮部寸七翁

日は秋分の日、「秋の彼岸の中日」。俳句で、単に「彼岸」と言えば春のそれを指す。作句の時には注意するようにと、たいていの入門書には書いてある。それかあらぬか、秋彼岸句には「彼岸」そのものに深く思い入れた句は少ないようだ。秋の彼岸は小道具的、背景的に扱われる例が多く、たとえば来たるべき寒い季節の兆を感じるというふうに……。これにはむろん「暑さ寒さも彼岸まで」の物理的な根拠もあるにはある。が、大きな要因は、おそらく秋彼岸が農民や漁民の繁忙期と重なっていたことに関係があるだろう。忙しさの真っ盛りだが、墓参りなどの仏事に事寄せて、誰はばかることなく小休止が取れる。つまり、秋の彼岸にはちょっとしたお祭り気分になれるというわけで、このときに彼岸は名分であり、仕事を休むみずからや地域共同体の言いわけに近い。勝手に休むと白い目で見られた時代の生活の知恵である。「旧家なり秋分の日の人出入り」(新田郊春)、「蜑のこゑ山にありたる秋彼岸」(岸田稚魚)など。「蜑」は「あま」で海人、漁師のこと。どことなく、お祭り気分が漂っているではないか。その点、掲句は彼岸と正対していて異色だ。「南無」と、ごく自然に口をついて出ている。赤々とした入日の沈むその彼岸に、作者の心の内側で深々と頭を垂れている感じが、無理なく伝わってくる。物理的な自然のうつろいと心象的な彼岸への祈りとが、見事に溶けあっている。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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