彼岸の「中日」を「なかび」と読んだアナウンサー。野球より相撲が好きなのかしらん。




2003ソスN9ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2392003

 南無秋の彼岸の入日赤々と

                           宮部寸七翁

日は秋分の日、「秋の彼岸の中日」。俳句で、単に「彼岸」と言えば春のそれを指す。作句の時には注意するようにと、たいていの入門書には書いてある。それかあらぬか、秋彼岸句には「彼岸」そのものに深く思い入れた句は少ないようだ。秋の彼岸は小道具的、背景的に扱われる例が多く、たとえば来たるべき寒い季節の兆を感じるというふうに……。これにはむろん「暑さ寒さも彼岸まで」の物理的な根拠もあるにはある。が、大きな要因は、おそらく秋彼岸が農民や漁民の繁忙期と重なっていたことに関係があるだろう。忙しさの真っ盛りだが、墓参りなどの仏事に事寄せて、誰はばかることなく小休止が取れる。つまり、秋の彼岸にはちょっとしたお祭り気分になれるというわけで、このときに彼岸は名分であり、仕事を休むみずからや地域共同体の言いわけに近い。勝手に休むと白い目で見られた時代の生活の知恵である。「旧家なり秋分の日の人出入り」(新田郊春)、「蜑のこゑ山にありたる秋彼岸」(岸田稚魚)など。「蜑」は「あま」で海人、漁師のこと。どことなく、お祭り気分が漂っているではないか。その点、掲句は彼岸と正対していて異色だ。「南無」と、ごく自然に口をついて出ている。赤々とした入日の沈むその彼岸に、作者の心の内側で深々と頭を垂れている感じが、無理なく伝わってくる。物理的な自然のうつろいと心象的な彼岸への祈りとが、見事に溶けあっている。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 2292003

 迎へ水足し野井戸汲む秋の昼

                           棚山波朗

つう「迎へ水」というと、盆棚に供える水を思う人が多いだろう。しかし、掲句の水はそうではない。「呼び水」「誘い水」とも言う。でも、この人、よくこんなことを知っているなア。と、句集の略歴を見てみたら、私と同世代で出身地は石川県とあった。さもありなん。「野井戸」だから、ポンプで汲み上げるのではなく釣瓶を使う井戸だ。浅い井戸ならば、柄杓で汲める。日頃あまり使われないので、ちょっと覗くとほとんど水が無い状態か、枯れてしまっているようにすら見えることがある。だが、そこはそれ地下水脈だ。めったに枯れるなんてことはない。そこで必要なのが「迎へ水」というわけである。別の場所から調達してきた水を井戸に注いでやると、あら不思議。しばらく待つうちに、信じられないくらいに水が湧いてくる。水が水を迎えに行った、つまり途中で断たれていた水の道を、「迎え水」が逆方向から浸透して再開通させたという理屈だ。昔の人の知恵の一つである。秋の昼、天高し。野には、気持ちの良い風が吹いている。そんな清々しい野での、この「迎へ水」による達成感も清々しい。はるかな北陸での少年時代の思い出だろうか、それとも最近の体験を詠んだのだろうか。いずれにしても、あまり使われなくなった季語「秋の昼」にふさわしい情景だ。季語がぴしゃりと効いている。そして「秋の昼」と言える時間は短い。やがてこの野には、それこそ釣瓶落しに日暮れがやってくる。『料峭』(2003)所収。(清水哲男)


September 2192003

 颱風の心支ふべき灯を点ず

                           加藤楸邨

後もしばらくまでは、木造住宅が多かったこともあり、都市部でも「颱風」は脅威だった。東京に住んでいた学齢前のころの記憶だが、颱風が近づいてくると、近所のそこここから家などを補強するための鎚の音が聞こえてきたものだ。家々は早くから雨戸を半分くらいは閉めてしまい、それでなくとも昼なお暗くなっていた室内はまるで夕暮れ時のようになった。子供心には、なにやら得体のしれない魔物が襲ってくる感じで恐かった。そんなただならぬ気配のなかで、作者は心細さを少しでも減じようと、電灯を点したのだろう。いい年をした大人が、などと笑う勿れ。昔は今のように、テレビが刻々と進路を告げてくれるわけじゃない。唯一の情報源であったラジオが告げるのは、よくわからない気象用語まじりの予報であり、天気図なしにあの放送を理解できた人は稀だったろう。その予報にしてからが、精度は極めて粗かったのだ。だから、接近を告げられれば、誰だって今の人以上に心細さを覚えたに違いない。せめて一灯を点ずることによって、作者はその暖かい明りに癒されようとしたのである。こういうときの一灯は、本当にありがたい。元気づけられる。作者のひとまず安堵した顔が目に浮かぶようだ。しかし、表の風雨の勢いはだんだんに強くなってくる……。風が激しくなると、昔の電灯は時折ふうっと消えそうに暗くなって、またしばらくすると明るくなったりした。ついに、そのまま消えてしまうことも多かった。掲句を味わうためには、この句の「つづき」を想像しておく必要があるだろう。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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