漠然と将来というときに、何年くらい先を思いますか。若い頃には三十年だったけれど。




2003ソスN9ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0392003

 いなびかり生涯峡を出ず住むか

                           馬場移公子

語は「いなびかり(稲光・稲妻)」で秋。何度か書いたと思うが、雨の中でゴロゴロピカッとくる雷鳴に伴う光りとは違う。誤用する人が多いけれど、「いなびかり」は遠くの夜空に走る雷光のことで、音もしないし雨も伴わない。晴れた夜の彼方の空が突然に光るので、不思議な感興を覚える。おそらく、作者三十代の句だ。二十二歳で結婚。わずか四年後の二十六歳のときに夫が戦死し、秩父の生家に戻って養蚕業を継いだ。一日の労働が終わってほっとしたところで、秩父の山の彼方に走る雷光を認めたときの感慨である。ときは敗戦後も間もなくのころだから、秩父辺りだと、東京などの都会に出ていく友人知己も少なくなかっただろう。しかし、私は残る。残らざるを得ない。「生涯」をこの山の中で暮らすことになるだろうと、まだ若い未亡人が我と我が身に言い聞かせているところが、健気であり美しい。そして句のとおりに、移公子(いくこ)は生涯を秩父の山中で過ごしたのだったが、自然の中の生活に取材した佳句を数多く残している。また、時代の変遷も自然の中に曖昧に溶かし込まずに、それはそれできちんと詠み込んである句も多いので好感が持てる。揚句と同じ句集に収められた作品では、「亡き兵の妻の名負ふも雁の頃」、「曼珠沙華いづこを行くも農婦の日」「日雇ひと共に言荒れ養蚕季」など。山国の中での少年時代、私は絶対にこんなところに残るものかと思い決めていただけに、こうした句には弱い。ただただ賛嘆するばかりである。『峡の音』(1958)所収。(清水哲男)


September 0292003

 鈴虫を放ちわが庭売りにけり

                           柳田風琴

活のために「わが庭」を売った。しかし愛惜の情やみがたく、売る前に、飼っていた「鈴虫」をそっと放してやったというのである。このことからだけでも作者の哀感は十分に伝わってくるが、揚句のよさは、売った庭のその後のことをひとりでに読者に想像させてしまうところにある。売ってしまったからには、他人の持ち物だ。現状のまま維持されるわけはない。少なくとも、すぐに境界には柵くらいはたてられるだろう。が、目と鼻の先の庭が、実際にはどのような姿に変貌するのかはイメージできない。たとえ買い手から利用方法を聞いていたとしても、具体的にどうなるのかは想像が及ばない。いったい、この庭はどうなるのか。放してやった鈴虫は、この秋の生命を全うできるのか。そんな作者の不安を、読者も共有することになるのだ。いつだったか、地元では名の通った旧家にお邪魔したことがある。当然のことながら、家全体の造りも古く、玄関を入っただけで大昔にタイムスリップしたような感じを受けた。ちょうど桃の節句のころで、江戸期から伝わるという雛飾りを拝見することができた。まことに気品のあるお雛様を見せていただき、堪能して客間に通されたときに、あっと思った。これほどのお宅ならば、立派な庭を拝見できるだろうと期待していたこともあったので、ショックだった。窓には、視界いっぱいに、隣接したベージュ色の建物の壁面が見えるのみ。察したのか、ご主人が「そこ、去年売っちゃったんですよ」と言われた。『童子珠玉集』(2002)所載。(清水哲男)


September 0192003

 鼻を流れる目薬九月のひかる船出

                           蔦 悦子

のところ目の調子がよくないので、この句が目についた。「鼻を流れる目薬」は目薬をさしそこなったのではなく、一滴か二滴多めにさしたので、目を閉じたときに少し溢れて鼻梁を伝って流れている状態を言っている。そのひんやりした感触と再び目を開けたときに見える「ひかり」との取り合わせに、作者は「九月」を感じたのだ。よく晴れた朝だろう。目薬をさし終えた直後に見えるのは、眼前の具体物ではなく、目の中の目薬に乱反射する「ひかり」である。その束の間の「ひかり」の戯れをさざ波のようだとイメージし、鼻を伝い落ちる雫の清涼感と合わせて、「九月のひかる船出」と見立てたわけだ。「鼻を流れる目薬」に着目したところが、数多い目薬の句のなかでも異彩を放っている。ご覧のように、掲句は五七五で詠まれていない。いわゆる字余りと字足らずが混在したかたちだ。私の読み方だと十一・四・六となり、破調もいいところである。ここまで来ると、定型に愛着のある人は眉をひそめるだろう。同じようなイメージなら、五七五に収められるのにと思うかもしれない。私も、上手な詠み手ならば可能だろうとは思う。だが、作者はあえてそれをしなかった。理由は、おそらく「九月」のはじまりころの季節感の中途半端性にあると見たい。まったき秋でもなく、残暑が厳しい日中でも夏というにははばかられる。そんなぎくしゃくがたぴしした季節の「船出」なのだ。定型のなめらかな口調では、そのリアリティは伝えられないのではなかろうか。ただし、このような音数律の使用は、べつに珍しくはないことを付記しておく。ある種の傾向の俳句にとっては、ほとんど定型と言ってもよい書き方だ。これについては、いつか触れる機会もあるだろう。金子兜太編『現代俳句歳時記』(1989)所載。(清水哲男)




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