すでに秋 !……しかしなにゆえに永遠の太陽を惜しむのか(ランボー・宇佐美斉訳)。




2003ソスN8ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2082003

 秋が来る美しいノートなどそろえる

                           阪口涯子

子(がいし・1901-1989)にしては、珍しく平明な句だ。代表作に「北風列車その乗客の烏とぼく」「凍空に太陽三個死は一個」などがあり、なかには「門松の青さの兵のズボンの折り目の垂直線の哀しみ」のような短歌ほどの長さの作品も書いた。観念的に過ぎると批判されることもあったと聞くが、とにかくハイクハイクした俳句を拒否しつづけた俳人である。その拒否の刃はみずからの俳句作法にも向けられており、自己模倣に陥ることにも非常な警戒感を抱いていて、常に脱皮を心掛けていた。揚句は、そんな脱皮の過程で生まれているという観点に立って見ると、非常に興味深い。いろいろと模索をつづけているうちに、ふっと浮かんだ小学生にでもわかるような句だ。口語俳句の一人者だった吉岡禅寺洞門から出発した人だから、初学のころならば、このような句は苦もなくできただろう。しかし、この句が数々の試行錯誤の果てに出現していることに、ささやかな詩の書き手である私としても、大いに共感できる。しかも、この句は作者のたどりついた何らかの境地を示しているのでもない。詩(俳句)に境地なんか必要ない、常に新しく生まれ変わる自己を示すことが詩を書くことの意義なのだとばかりに、彼の句はついにどんな境地にも到達することはなかった。そのために必要としたのは、したがってせいぜいが「美しいノートなど」だけだったのである。八十六歳の涯子は語っている。「僕は新興俳句の次をやりたかったんですが、それは、ゴビの砂漠で相撲を取るようなものです。ゴビの砂漠には土俵が無い。土俵が無い場に立ってみたんです」(西日本地区現代俳句協会会報・1988年11月号)。(清水哲男)


August 1982003

 炎昼の血砂を吐けり落馬騎手

                           山本光篁子

語は「炎昼(えんちゅう)」で夏。燃えるように暑い真夏の競馬場で、落馬した騎手が地面に叩きつけられた瞬間を押さえた句だ。「血砂」は「けっさ」と発音するのだろう。騎手が吐いたのはむろん「血」であるが、それが地面の「砂」にぱっとかかった様子を描写するのに、作者はあえて「血砂」という造語をもってした。あたかも騎手が「血」と「砂」を同時に吐いたかのようだが、それがこの句の情景をかえって鮮明にしている。飛び散った「血」と「砂」に、瞬間的にピントを正確に合わせた写真のように、落馬の情景は読者の網膜にくっきりと焼き付けられるのだ。そして、このときに現場では起きたであろう観客のどよめきも、委細構わずに走り去っていく他の馬群のとどろきも、句からは何も聞こえてこない。奇妙なほどに、あたりはしいんとしている。ただあるのは、既にしてどす黒くも鮮かな「血砂」に倒れ込んだ騎手の無音のストップモーションだ。状況は違うけれど、読んだ途端に私は、スペイン戦線で被弾した瞬間の兵士を撮ったロバート・キャパの写真に共通するものを感じたのだった。すなわち、非情の世界にはいつだって音などは無いものなのだと……。いずれにしても、このシャッターチャンスを逃さなかった作者の眼力が素晴らしい。競馬に取材した句は数あれど、なかでも出色の一句と言ってよいだろう。俳誌「梟」(2003年8月号)所載。(清水哲男)


August 1882003

 かの夏の兄が匂わすセメダイン

                           的野 雄

セメダイン
い日の夏休みの思い出だ。夏休みも後半になってくると、宿題の工作の必需品として「セメダイン」が活躍する。船や飛行機の模型を作ったり、筆立てや状差しなどの文具作りにと、この接着剤は欠かせなかった。チューブを絞ってしかるべき場所に塗り、手早く接着するには慣れとコツが必要だった。ぼやぼやしていると乾いて役立たずになるので、小さい子が扱うのはとても無理。学校の工作でも、セメダインを使うのは小学生だと高学年になってからだったと思う。だから、小さかった作者には、セメダインをこともなげに使える「兄」が羨ましかったのだろう。使う当人には手についてなかなか取れないで困るあの刺激臭すら、羨望の対象だったのだ。はるか昔の甘酢っぱくも懐しい夏の日々よ。作者は七十代の後半。この素敵なお兄さんは、ご健在だろうか。ところで、セメダインは接着剤の代名詞のように言われることが多いのだが、ホッチキスなどと同様に商標登録された固有名詞である。セメダインの語源はセメント(cement)と力を表す単位ダイン(dyne)による合成語で「強い接合、接着」という意味だ。しかし一説には創業当時、市場を独占していたイギリス製の接着剤「メンダイン」を市場から「攻め(セメ)出す」という意味でつけられたという話もあるそうだ。命名は1923年(大正十二年)のことだから、「攻め」の意が込められたとしても不思議ではないけれど。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます