お盆明けウィルス注意。でも、システム担当者の常駐する会社がどれほどあるのか。




2003ソスN8ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1882003

 かの夏の兄が匂わすセメダイン

                           的野 雄

セメダイン
い日の夏休みの思い出だ。夏休みも後半になってくると、宿題の工作の必需品として「セメダイン」が活躍する。船や飛行機の模型を作ったり、筆立てや状差しなどの文具作りにと、この接着剤は欠かせなかった。チューブを絞ってしかるべき場所に塗り、手早く接着するには慣れとコツが必要だった。ぼやぼやしていると乾いて役立たずになるので、小さい子が扱うのはとても無理。学校の工作でも、セメダインを使うのは小学生だと高学年になってからだったと思う。だから、小さかった作者には、セメダインをこともなげに使える「兄」が羨ましかったのだろう。使う当人には手についてなかなか取れないで困るあの刺激臭すら、羨望の対象だったのだ。はるか昔の甘酢っぱくも懐しい夏の日々よ。作者は七十代の後半。この素敵なお兄さんは、ご健在だろうか。ところで、セメダインは接着剤の代名詞のように言われることが多いのだが、ホッチキスなどと同様に商標登録された固有名詞である。セメダインの語源はセメント(cement)と力を表す単位ダイン(dyne)による合成語で「強い接合、接着」という意味だ。しかし一説には創業当時、市場を独占していたイギリス製の接着剤「メンダイン」を市場から「攻め(セメ)出す」という意味でつけられたという話もあるそうだ。命名は1923年(大正十二年)のことだから、「攻め」の意が込められたとしても不思議ではないけれど。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)


August 1782003

 盆過ぎや人立つてゐる水の際

                           桂 信子

盆が終わった。久しぶりに家族みんなが集まり親類縁者が交流しと、盆(盂蘭盆会)は血縁共同体のためのお祭りでもある。そのお祭りも、慌ただしくするうちに四日間で終わってしまう。掲句は、いわば「祭りの果て」の風情を詠んでいて巧みだ。死者の霊魂もあの世に戻り、生者たちもそれぞれの生活の場に帰っていった。作者はそんな祭りの後のすうっと緊張が解けた状態にあるのだが、虚脱の心と言うと大袈裟になるだろう。軽い放心状態とでも言おうか、日常の静かなバランスを取り戻した近辺の道を歩きながら、作者は川か池の辺にひとり立っている人の影を認めている。しかし、その人が何故そこに立っているのかだとか、どこの誰だろうだとかということに意識が向いているのではなく、ただ何も思うことなく視野に収めているのだ。私の好みで情景を勝手に決めるとすると、時は夕暮れであり、立っている人の姿は夕日を浴び、また水の反射光に照り返されて半ばシルエットのように見えている。そして、忍び寄る秋を思わせる風も吹いてきた。またそして、あそこの「水の際(きわ)」に人がいるように、ここにも私という人がいる。このことに何の不思議はなけれども、なお祭りの余韻が残る心には、何故か印象的な光景なのであった。今日あたりは、広い日本のあちこちで、同様な感懐を抱く人がおられるだろう。この種の風情を言葉にすることは、なかなかに難しい。みずからの「意味の奴隷」を解放しなければならないからだ。『草樹』(1986)所収。(清水哲男)


August 1682003

 宙に足上げて堰越ゆ茄子の馬

                           鈴木木鳥

の故郷では盆の十六日の夜に、精霊流しを行った。環境汚染とのからみがあるので、現在もやっているかどうか。盆踊りとセットになっており、踊りが終わるとみんなで川辺に集まり、盆のものを流したものだ。なかには大きな精霊舟を流す家もあり、それらは前もって簡単に転覆しないようテストを繰り返した労作だった。数人の若い衆が腰くらいまで漬かる川に入り、竹竿を持って待機するうちに精霊流しがはじまる。流灯が漂いはじめると、ときどき思いがけないところから若い衆の姿が浮き上がり、なんだか小人国のガリバーみたいだった。彼らの役目は、燈篭や船が近くの岸や堰にひっかかって転覆しないよう竹竿を操ることだ。とくにすぐ下流の堰は難所で、全部が無事に乗り越えられるわけじゃない。掲句は、そんな難所にさしかかった船の「茄子の馬」が、あたかも生きているように前足を「宙」に上げ、懸命に乗り越えていった様子を描いている。思わずも「やった」という声を、小さく発したかもしれない。これでご先祖様も、無事にあの世にお帰りになれるだろう。茄子の馬の躍動感をとらえたところが見事だ。ところで、今夜は京都大文字の送り火だ。夜の八時にいっせいに点火されると、街全体がざわめく感じになる。毎年八月十六日と決まっているが、敗戦の年はどうしたのだろう。ふと、気になった。大きな戦災にあわなかった京都にしても、なにしろ玉音放送の次の日の行事だから、やはりそれどころじゃなかったろうとは思う。調べてみたけれど、わからなかった。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)




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