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2003ソスN8ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1782003

 盆過ぎや人立つてゐる水の際

                           桂 信子

盆が終わった。久しぶりに家族みんなが集まり親類縁者が交流しと、盆(盂蘭盆会)は血縁共同体のためのお祭りでもある。そのお祭りも、慌ただしくするうちに四日間で終わってしまう。掲句は、いわば「祭りの果て」の風情を詠んでいて巧みだ。死者の霊魂もあの世に戻り、生者たちもそれぞれの生活の場に帰っていった。作者はそんな祭りの後のすうっと緊張が解けた状態にあるのだが、虚脱の心と言うと大袈裟になるだろう。軽い放心状態とでも言おうか、日常の静かなバランスを取り戻した近辺の道を歩きながら、作者は川か池の辺にひとり立っている人の影を認めている。しかし、その人が何故そこに立っているのかだとか、どこの誰だろうだとかということに意識が向いているのではなく、ただ何も思うことなく視野に収めているのだ。私の好みで情景を勝手に決めるとすると、時は夕暮れであり、立っている人の姿は夕日を浴び、また水の反射光に照り返されて半ばシルエットのように見えている。そして、忍び寄る秋を思わせる風も吹いてきた。またそして、あそこの「水の際(きわ)」に人がいるように、ここにも私という人がいる。このことに何の不思議はなけれども、なお祭りの余韻が残る心には、何故か印象的な光景なのであった。今日あたりは、広い日本のあちこちで、同様な感懐を抱く人がおられるだろう。この種の風情を言葉にすることは、なかなかに難しい。みずからの「意味の奴隷」を解放しなければならないからだ。『草樹』(1986)所収。(清水哲男)


August 1682003

 宙に足上げて堰越ゆ茄子の馬

                           鈴木木鳥

の故郷では盆の十六日の夜に、精霊流しを行った。環境汚染とのからみがあるので、現在もやっているかどうか。盆踊りとセットになっており、踊りが終わるとみんなで川辺に集まり、盆のものを流したものだ。なかには大きな精霊舟を流す家もあり、それらは前もって簡単に転覆しないようテストを繰り返した労作だった。数人の若い衆が腰くらいまで漬かる川に入り、竹竿を持って待機するうちに精霊流しがはじまる。流灯が漂いはじめると、ときどき思いがけないところから若い衆の姿が浮き上がり、なんだか小人国のガリバーみたいだった。彼らの役目は、燈篭や船が近くの岸や堰にひっかかって転覆しないよう竹竿を操ることだ。とくにすぐ下流の堰は難所で、全部が無事に乗り越えられるわけじゃない。掲句は、そんな難所にさしかかった船の「茄子の馬」が、あたかも生きているように前足を「宙」に上げ、懸命に乗り越えていった様子を描いている。思わずも「やった」という声を、小さく発したかもしれない。これでご先祖様も、無事にあの世にお帰りになれるだろう。茄子の馬の躍動感をとらえたところが見事だ。ところで、今夜は京都大文字の送り火だ。夜の八時にいっせいに点火されると、街全体がざわめく感じになる。毎年八月十六日と決まっているが、敗戦の年はどうしたのだろう。ふと、気になった。大きな戦災にあわなかった京都にしても、なにしろ玉音放送の次の日の行事だから、やはりそれどころじゃなかったろうとは思う。調べてみたけれど、わからなかった。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


August 1582003

 玉音を理解せし者前に出よ

                           渡辺白泉

書に「函館黒潮部隊分遣隊」とある。いわゆる季語はないが、しかし、この句を無季句に分類するわけにはいかない。「玉音」放送が1945年(昭和二十年)八月十五日正午より放送された歴史的なプログラムであった以上、季節は歴然としている。天皇は「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」云々と文語文を読み上げたのだから、すっと「理解」するには難しかった。加えて当時のラジオはきわめて感度が悪く、多くの人が正直なところよく聞き取れなかったと証言している。なかには、天皇が国民に「もっと頑張れ」と檄を飛ばしたのだと誤解した人さえいたという。句の「理解」が、どんなレベルでのそれを指しているのか不明ではあるけれど、作者の怒りは真っすぐに直属の上官たちに向けられている。すべての下士官がそうではなかったにせよ、彼らの目に余る横暴ぶりはつとに伝えられているところだ。何かにつけて、横列に整列させては「前に出よ」である。軍隊ばかりではなく、子供の学校でも、これを班長とやらがやっていた。前に出た者は殴られる。誰も出ないと、全員同罪でみなが殴られる。特攻志願も「前に出よ」だったと聞くが、殴られはしないが死なねばならぬ。いずれにしても、天皇陛下の名においての「前へ出よ」なのであった。作者はそんな上官に向けて、天皇の威光を散々ふりかざしてきたお前らよ、ならば玉音放送も理解できたはずだろう。だったら、今度は即刻、お前らこそ「前に出よ」「出て説明してみやがれ」と啖呵を切っているのだ。この句を、放送を理解できなかった上官が、いつもの調子で部下を脅している情景と読み、皮肉たっぶりの句ととらえる人もいる。が、私は採らない。そんなに軽い調子のものではない。句は、怒りにぶるぶると震えている。『渡辺白泉句集』(1975)所収。(清水哲男)




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