甲子園のサイレンは空襲警報を思い出させる。不気味な音だと、赤瀬川隼。同感だ。




2003N813句(前日までの二句を含む)

August 1382003

 盆芝居婆の投げたる米袋

                           沢木欣一

語は「盆芝居」で秋。句は、歌舞伎座で行われる「盆狂言」などの立派な舞台ではなく、田舎の小屋掛け芝居だ。どさ回りの一座がやってきて、一夜だけ怪談劇や人情噺を演じて去っていく。私の子供時代には、お盆の時期がいわば村の娯楽週間であり、盆踊りに野外映画会、漫才や浪曲の集い、そして盆芝居と、いろいろなイベントにワクワクしたものだ。芝居の時には夕暮れを待ちかねて早くから出かけ、舞台作りから見た。トラックから背景や大道具小道具が降ろされ、だんだんと舞台がそれらしくなっていく様子を飽かず眺めたものだったが、私など子供にとっては、もう準備それ自体が芝居だったと言ってよい。そしていよいよ芝居がはじまると、掲句のような情景が見られた。いわゆる「おひねり」をにわか贔屓になった役者めがけて投げるわけだが、この「婆」は現金ではなくて小さな「米袋」を投げている。お婆さんにしてみれば、何も投げない芝居見物は淋しかったのだろう。といって自由になる小遣いはないので、家を出る前に一所懸命に考えて、あらかじめ用意してきたのだ。泣けてくるようなシーンである。私の田舎では、入場料は無料だった。芝居がかかると決まると、集落ごとに寄付金を集めて興行料をまかなったからである。小屋の周囲には寄付した家の名前と金額がずらりと張りだされたが、我が家の名前はいつもなかった。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


August 1282003

 西日中電車のどこか掴みて居り

                           石田波郷

語は「西日」で夏。敗戦直後に詠まれた句だ。「電車」は路面電車ではあるまいか。だまりこくっている満員の乗客。そして窓外をのろのろと流れていくのは、一面の焦土と化した東京の光景だ。西日は容赦なくかっと照りつけ、車内にも射し込んでくる。むろん冷房装置などあるわけもないから、頭の中が白くなるような暑さだ。吊り革か、他の部分か。「電車のどこか掴(つか)みて居り」には、そんな暑さから来る空漠感に加えて、明日の生活へのひとかけらの希望もない心の荒廃感が重ね合わされている。とにかく、何かどこかを掴んで生きていかなければ……。戦後の復興は、こうした庶民の文字通りに必死の奮闘によってなされた。そこにはまず、自分さえよければいいというエゴイズムが当然に働いたであろう。食うため生きるためには、他人への迷惑やら裏切りやら、さらには法律もへったくれもあるものかと、がむしゃらだった。誰も彼もが栄養失調で、目ばかりがぎらぎらしていた。掲句の電車の客も、そういう人ばかりである。このことを後の世代は庶民の逞しさと総括したりするけれど、一言で逞しさと言うには、あまりにも哀しすぎるエネルギーではないか。この筆舌に尽くしがたい国民的な辛酸の拠って来たる所以は、言うまでもなく戦争だ。往時のどんなに「逞しい」エゴイストでも、二度と戦争はご免だと骨身に沁みていたはずだ。理屈ではない。骨身が感じていたのである。あれから半世紀余を閲したいま、この国は再び公然と戦争や軍隊を口にしはじめている。情けなくて、涙も出やしない。これからの若い日本人は、それこそ何を掴んで生きてゆくのだろうか。『雨覆』(1948)所収。(清水哲男)


August 1182003

 炎天下亡き友の母歩み来る

                           大串 章

省時の句だ。句集では、この句の前に「母の辺にあり青き嶺も沼も見ゆ」が置かれている。久しぶりの故郷では、山の嶺も沼も昔と変わらぬ風景が広がっていて、母も健在。なんだか子供のころに戻ったようなくつろいだ気持ちが、「母の辺にあり」からうかがえる。暑い真昼時、作者は縁側にでもいるのだろう。懐しく表を見ていると、遠くから人影がぽつんと近づいてきた。「炎天下」を、昔と変わらぬ足取りでゆっくりと歩いてくる。すぐに「亡き友の母」だとわかった。田舎では、めったに住む人の移動はないから、はるかに遠方からでもどこの誰かは判別できるのだ。このときに、作者の心は一瞬複雑に揺れたであろう。歩いてくるのは、友人が生きているのなら、こちらのほうから近寄っていって挨拶をすべき人である。だが、それをしていいものか、どうか……。自分の元気な姿は、かえってその人に亡き息子のことを思い出させて哀しませることになるのではないか。結局、作者はどうしたのだろう。私にも経験があるが、むろんきちんと挨拶はした。が、なるべく元気に映らないように、小さな声で、ほとんど会釈に近い挨拶しかできなかった。その人のまぶしそうな顔が、いまでも目に焼きついている。風景は少しも変わらなくても、住んでいる人の事情は徐々に様々に変化していく。掲句は、まことに静かな語り口でそのことを告げている。『山童記』(1984)所収。(清水哲男)




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