我がマンションも、やはり静かな雰囲気です。それぞれの夏。私は高校野球三昧也。




2003ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1182003

 炎天下亡き友の母歩み来る

                           大串 章

省時の句だ。句集では、この句の前に「母の辺にあり青き嶺も沼も見ゆ」が置かれている。久しぶりの故郷では、山の嶺も沼も昔と変わらぬ風景が広がっていて、母も健在。なんだか子供のころに戻ったようなくつろいだ気持ちが、「母の辺にあり」からうかがえる。暑い真昼時、作者は縁側にでもいるのだろう。懐しく表を見ていると、遠くから人影がぽつんと近づいてきた。「炎天下」を、昔と変わらぬ足取りでゆっくりと歩いてくる。すぐに「亡き友の母」だとわかった。田舎では、めったに住む人の移動はないから、はるかに遠方からでもどこの誰かは判別できるのだ。このときに、作者の心は一瞬複雑に揺れたであろう。歩いてくるのは、友人が生きているのなら、こちらのほうから近寄っていって挨拶をすべき人である。だが、それをしていいものか、どうか……。自分の元気な姿は、かえってその人に亡き息子のことを思い出させて哀しませることになるのではないか。結局、作者はどうしたのだろう。私にも経験があるが、むろんきちんと挨拶はした。が、なるべく元気に映らないように、小さな声で、ほとんど会釈に近い挨拶しかできなかった。その人のまぶしそうな顔が、いまでも目に焼きついている。風景は少しも変わらなくても、住んでいる人の事情は徐々に様々に変化していく。掲句は、まことに静かな語り口でそのことを告げている。『山童記』(1984)所収。(清水哲男)


August 1082003

 台風来屋根石に死石はなし

                           平畑静塔

の上で秋になったら、早速「秋の季語」の「台風」がやってきた。そんなに律義に暦に義理立てしてくれなくてもいいのに……。被害を受けられた方には、お見舞い申し上げます。写真でしか見たことはないが、昔は地方によっては板葺きの屋根があり、釘などでは留めずに、上に石を並べて置いただけのものだった。その石が「屋根石」だ。一見しただけでは適当に(いい加減に)並べてある感じなのだが、そうではない。少々の風雨などではびくともしないように、極めて物理的に理に適った並べ方なのだ。台風が来たときの板屋根を見ていて、はじめてそのことに気づき、一つも「死石(しにいし)」がないことに作者は舌を巻いている。ところで「屋根石に死石はなし」とは、なんだか格言か諺にでもなりそうな言い方だ。と、つい思ってしまうのは、もともと「死石」が囲碁の用語だからだろう。相手の石に囲まれて死んでいる石、ないしはもはや機能しない石を言うが、私の子供のころには別に囲碁を知らなくても、こうした言葉がよく使われていた。大失敗を表す「ポカ」も囲碁から来ているそうだけれど、将棋からの言葉のほうが多かったような気がする。囲碁よりも将棋が庶民的なゲームだったからだと思う。「王より飛車を大事がり」「桂馬の高飛び歩の餌食」「攻防も歩でのあやまり」「貧乏受けなし」「形を作る」等々、最近ではあまり使われない「成り金」も将棋用語だ。もう十数年前の放送で「桂馬の高上がり」と言ったら、リスナーから「何のことでしょうか」という問い合せがあった。ついでに、もう一つ。野球中継などで「このへんでナカオシ点が欲しいところですね」などと言うアナウンサーがいる。囲碁では「チュウオシ(中押し)」としか言わないのになア。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


August 0982003

 百姓の手に手に氷菓滴れり

                           右城暮石

語は「氷菓(ひょうか)」で夏だが、種類はいろいろとある。この場合はアイスクリームといったような上等のものではなく、果汁を箸ほどの棒のまわりに凍結させたアイスキャンデーだろう。いまでも似たようなバー状の氷菓はあるけれど、昔のそれとはかなり違う。昔のそれは、とにかく固かった。ミルク分が少なかったせいだろうが、出来てすぐには歯の立つ代物じゃなかったので、少し溶けるのを待ってから食べたものだ。ただし、溶けはじめると早く、うかうかしていると半分くらいを落としてしまうことにもなる。あんなものでも、食べるのにはそれなりのコツが要ったのである。大人よりも、むろん我ら子供のほうが上手かった。句の情景は、そんな氷菓を「百姓(ひゃくしょう)」たちが食べている。おそらく、自転車で売りにきたのを求めたのだろう。田の草取りなど激しい労働の間の「おやつ」として、一息いれている図だ。ただし、一息いれるといっても、彼らには寄るべき木陰などはない。見渡すかぎりの田圃か畑のあぜ道で、炎天にさらされながらの束の間の休息なのである。だから、彼らの手の氷菓はどんどんと、ぼたぼたと溶けていく。まさに「手に手に氷菓滴れり」なのであって、その滴りの早さが「百姓」という職業の過酷な部分を暗示しているかのようだ。休憩だからといって、お互いに軽口をたたきあうわけでもなく、ただ黙々と氷菓を滴らせながら口に運んでいる……。そしてまだまだ、仰げば日は天に高いのである。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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