青い空に白い雲。絵日記に描きたいような上空ですね。都立雪谷散る。相手が格上。




2003ソスN8ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1082003

 台風来屋根石に死石はなし

                           平畑静塔

の上で秋になったら、早速「秋の季語」の「台風」がやってきた。そんなに律義に暦に義理立てしてくれなくてもいいのに……。被害を受けられた方には、お見舞い申し上げます。写真でしか見たことはないが、昔は地方によっては板葺きの屋根があり、釘などでは留めずに、上に石を並べて置いただけのものだった。その石が「屋根石」だ。一見しただけでは適当に(いい加減に)並べてある感じなのだが、そうではない。少々の風雨などではびくともしないように、極めて物理的に理に適った並べ方なのだ。台風が来たときの板屋根を見ていて、はじめてそのことに気づき、一つも「死石(しにいし)」がないことに作者は舌を巻いている。ところで「屋根石に死石はなし」とは、なんだか格言か諺にでもなりそうな言い方だ。と、つい思ってしまうのは、もともと「死石」が囲碁の用語だからだろう。相手の石に囲まれて死んでいる石、ないしはもはや機能しない石を言うが、私の子供のころには別に囲碁を知らなくても、こうした言葉がよく使われていた。大失敗を表す「ポカ」も囲碁から来ているそうだけれど、将棋からの言葉のほうが多かったような気がする。囲碁よりも将棋が庶民的なゲームだったからだと思う。「王より飛車を大事がり」「桂馬の高飛び歩の餌食」「攻防も歩でのあやまり」「貧乏受けなし」「形を作る」等々、最近ではあまり使われない「成り金」も将棋用語だ。もう十数年前の放送で「桂馬の高上がり」と言ったら、リスナーから「何のことでしょうか」という問い合せがあった。ついでに、もう一つ。野球中継などで「このへんでナカオシ点が欲しいところですね」などと言うアナウンサーがいる。囲碁では「チュウオシ(中押し)」としか言わないのになア。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


August 0982003

 百姓の手に手に氷菓滴れり

                           右城暮石

語は「氷菓(ひょうか)」で夏だが、種類はいろいろとある。この場合はアイスクリームといったような上等のものではなく、果汁を箸ほどの棒のまわりに凍結させたアイスキャンデーだろう。いまでも似たようなバー状の氷菓はあるけれど、昔のそれとはかなり違う。昔のそれは、とにかく固かった。ミルク分が少なかったせいだろうが、出来てすぐには歯の立つ代物じゃなかったので、少し溶けるのを待ってから食べたものだ。ただし、溶けはじめると早く、うかうかしていると半分くらいを落としてしまうことにもなる。あんなものでも、食べるのにはそれなりのコツが要ったのである。大人よりも、むろん我ら子供のほうが上手かった。句の情景は、そんな氷菓を「百姓(ひゃくしょう)」たちが食べている。おそらく、自転車で売りにきたのを求めたのだろう。田の草取りなど激しい労働の間の「おやつ」として、一息いれている図だ。ただし、一息いれるといっても、彼らには寄るべき木陰などはない。見渡すかぎりの田圃か畑のあぜ道で、炎天にさらされながらの束の間の休息なのである。だから、彼らの手の氷菓はどんどんと、ぼたぼたと溶けていく。まさに「手に手に氷菓滴れり」なのであって、その滴りの早さが「百姓」という職業の過酷な部分を暗示しているかのようだ。休憩だからといって、お互いに軽口をたたきあうわけでもなく、ただ黙々と氷菓を滴らせながら口に運んでいる……。そしてまだまだ、仰げば日は天に高いのである。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


August 0882003

 師の芋に服さぬ弟子の南瓜かな

                           平川へき

語は「芋」と「南瓜」で、いずれも秋。ああ言えばこう言う。師の言うことに、ことごとく反抗する弟子である。始末に終えない。私も、高校時代にはそんな気持ちの強い生徒だったと思う。『枕草子』を読む時間に解釈を当てられ、我ながら上手にできたと思ったのだが、今度は文法的な逐語訳を求められた。勉強してないのだから、わかりっこない。が、私は言い張った。「古文でも現代文でも、意味がわかればそれでいいんじゃないですか。第一、清少納言が文法を意識して書いたはずもありませんしね」。まったく、イヤ〜な生徒だ。先生、申し訳ありませんでした。そんなふうだったので、二十代でこの句をはじめて読んだときには、とてもこそばゆい感じがしたのだった。ところで、作者は「ホトトギス」の熱心な投句者だったというが、虚子はこの人に辟易させられていたようだ。というのも、この人は一題二十句以下という投稿規定があるにもかかわらず、いろいろと見え透いた変名を使っては百句以上も投稿してきた。それも「ことにその句は随分の出鱈目で作者自身が慎重な態度で自選をさへすればその中から二十句だけ選んで、他はうつちやつてしまつても差支えないものであると分つた時には、いよいよ選者の煩労を察しない態度を不愉快に思ふのであつた」。その人にして、この句あり。にやりとさせられるではないか。虚子は一度だけ、秋田の句会で平川へきに会っている。「あまり年のいかないやりつ放しの人」と想像していたところ、なんと「端座して儀容を崩さない年長者」なのであった。高浜虚子『進むべき俳句の道』(1959・角川文庫)所載。(清水哲男)




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