暑中お見舞い申し上げます。やっと、この挨拶ができるようになりました。晩夏也。




2003ソスN8ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0482003

 いつも二階に肌ぬぎの祖母ゐるからは

                           飯島晴子

語は「肌ぬぎ(肌脱)」で夏。私の子供のころにも、近所にこんなお婆さんがいたような記憶がある。掲句のモデルは作者の曽祖母だというから、明治の女だ。以下は、最近出た飯島晴子エッセイ集『葛の花』(富士見書房)より。「この人は、自分の一人娘が十二人の子供を産んで死んでからも長い間生きていた。毎日晩酌を欠かさず、夏は肌脱で酒を呑んだという。夢多き少女であった母の眼に、その姿が嫌わしいものに映ったのは当然である。母の話に出てくる私の曽祖母は、肌脱で暗い家の中にとぐろを捲いている醜悪な因業婆であった」。ついでに思い出したが、こういうお婆さんは表でも平気で立ち小便をしたものだ。「しかし」と、作者はつづけている。「私につながる遠い過去の光の中に浮び上ってくる肌脱の活力は、私には頼もしいものに思われる。私の子供の頃、田舎で見かける肌脱のお婆さんの垂れたおっぱいは、夏の風物としてごく自然で、決してわるい感じではなかった印象もあるが……」。句は「ゐるからは」で止められていて、だからどうなのかということについては、読者に解釈をゆだねている。エッセイを読むと作者自身の解釈はおのずから定まっていたことが知れるわけだが、読まなくても「肌ぬぎの祖母」の存在を否定的に読む人は少ないだろう。やはり読者も、頼もしく思うはずなのである。ただ、その頼もしさはカラリとしたそれではない。この肌脱がじめじめとした因習を破るといった進取の気性からではなく、あくまでも老いたがゆえに陰湿な因習からも見放されかかってのそれだからである。そのことにひとり気づかぬ婆さんは、まるで永遠に生きつづけるかのように、今宵も二階でとぐろを捲いて酒を呑んでいる。第三者にはともかく、家人には鬱陶しいような活力が夏の家の湿度をいっそう高めている。『八頭』(1980)所収。(清水哲男)


August 0382003

 夏雲へ骨のかたちの膝立てて

                           谷野予志

んな情景を詠んだ句だろうか。いろいろに想像できる。「骨のかたちの膝」というのだから、痩せた膝を思い浮かべて、縁側などで老人か病者がひとりぽつねんと空を見ている様子を思い浮かべることができる。その人は、あるいは作者自身かもしれない。活気に満ちた「夏雲」に対するに弱々しげな人間との対比が、人の生命のはかなさの想いのほうへと連れてゆく。毎日ここを書いていて思うことは、当たり前といえばそれまでだけれど、どのような句と向き合っても、私自身の性癖としか言いようのない内向的な感覚に引き込んで読んでしまいがちなことだ。早い話が、明るい句でも、そのどこかに暗さを見つけたくなるのである。見つけないと安心できない性分、すなわち性癖だ。そんな部分をあとで読み返すと、いやな気分になる。どうしてこうなのかと、情けなくなる。こうした性癖は、格好良く言えば近代的な病(やまい)の一つではあろうが、そんなビョーキにかかっても、何も良いことはない。なんとか逃れようと、何度も試みてはいるのだが、なかなかうまくはいかないものだ。掲句についてもそう考えて、最初の解釈は捨て、情景を海水浴場に置き換えてみた。そうすると、かなり明るい感じにはなる。もくもくと湧く入道雲の下に、たくさんの人たちが膝を立てて沖のほうを眺めている。このときに「骨のかたち」にはもはや痩せたイメージはなく、人が人らしく見える特長をクローズアップしているのだと読めるのである。こんな具合に解釈してみると、先の鑑賞とは反対に、可笑しみさえ感じられる句に変身する。私にとってはどちらが正しいかというような問題ではなく、常にこの異った感覚を働かせることこそが大事なのだと、読者諸兄姉のご迷惑も省みず、本日は自戒のための一筆とはあいなり申し候。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 0282003

 豹つかひ夜は蚊を打ちて夫に寄る

                           橋詰沙尋

性が猛獣を手なづけるという芸は、古くから見られる。屈強な男よりも、かえってかよわい女性の芸としたほうが神秘的に写り、より魅力が増すからだろう。旅から旅へのサーカス暮らし。夫婦で一緒に働いてはいても、二人だけで過ごせる時間は短い。そんな一刻に、「蚊」を打つ仕草をきっかけとして「夫(つま)」に寄り添ったというのだ。ショーの仕事では「豹(ひょう)」を相手に鞭をしならせる手が、なにほどのものでもない蚊を打つという対照の妙。しかも、豹よりも蚊を打つほうにこそ、こまやかな神経を使っていると読ませる技術の冴え。想像句ではあろうが、嫌みのないリアリティが滲み出ていて楽しめる句だ。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)

{ 読者情報 ] 作者は実際に曲馬団の団長だった方だそうです。山口誓子がどこかで書いていたと、お知らせ頂きました。
[ 夏休みのおまけ話 ] ◆ドイツのサーカス団◆ドイツのサーカス団から、40歳代後半の女性の猛獣使いが、ライオン8頭、トラ2頭を乗せたトラックごと団長の息子(20)と駆け落ちした。警察によると、この女性は、団長の息子にライオンの調教法を教えているうちに親密な関係になったとみられる。「ライオンやトラを操れるのなら、20歳の男性とも問題はないだろう…」と警察の広報担当者。団長は”窃盗”の損害は10万ユーロ(1300万円)になるとして警察に届けた(スポニチ大阪版・April 2003)。




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