東京ではようやく明日から日が射し暑くなるという予報です。本当かなと半信半疑。




2003ソスN7ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3172003

 ふだん着の俳句大好き茄子の花

                           上田五千石

語は「茄子の花」で夏。小さくて地味な花だが、よく見ると紫がかった微妙な色合いが美しい。昔から「親の意見となすびの花は千に一つの無駄がない」と言われるが、話半分にしても、見た目よりはずっと堅実でたくましいところがあるので、まさに「ふだん着」の花と言えるだろう。作者は、そんな茄子の花のような句が「大好き」だと言っている。作者のような俳句の専門家にはときおり訪れる心境のようで、何人かの俳人からも同様の趣旨の話を聞いたことがある。技巧や企みをもって精緻に組み上げられた他所行きの句よりも、何の衒いもなくポンと放り出されたような句に出会うと、確かにホッとさせられるのだろう。生意気を言わせてもらえば、私もこのページを書いていて、ときどき駄句としか言いようのない句、とんでもない間抜けな句に惹かれることがある。それもイラストレーションの世界などでよくある「ヘタウマ」の作品に対してではない。「ヘタウマ」は企む技法の一つだから、掲句の作者のような心持ちにあるときには、かえって余計に鼻についてしまう。純粋無垢な句と言うのも変だろうが、とにかく下手くそな句、「何、これ」みたいな句がいちばん心に染み入ってくるときがあるのだ。私ごときにしてからがそうなのだから、句歴の長いプロの俳人諸氏にあってはなおさらだろう。そしてこのときに「ふだん着」は、みずからの句作のありようにも突きつけられることになるのだから、大変だ。茄子の花のように下うつむいてひそやかに咲き、たくましく平凡に結実することは、知恵でできることではない。「大好き」とまでは言ったものの、「さて、ならば、俺はどうすんべえか」と、このあとで作者は自分のこの句を持て余したのではあるまいか。『琥珀』(1992)所収。(清水哲男)


July 3072003

 統計的人間となりナイターに

                           中村和弘

球には勝率だの打率だのと、いろいろな数字がつきものだ。他のスポーツに比べて、だんぜん多い。「統計」という文字から、作者は球場でそうした数字をあれこれと浮かべながらゲームを楽しんでいる。と、最初は思ったが、どうやらそういうことではないらしいと思い直した。そうではなくて、今夜の入場者数は五万人だとか三万人だとかと言うときの、その統計的数字に自分も入っているという意味だろう。たしかに、同じ目的で集まった何万人もの人のなかにいると、なんとなく自分が無機的な存在になったような気がする。それを称して「統計的人間」と言ったのだと思う。その試合がたまたま歴史に残るような好ゲームだったりすると、あとで「あのときの三万人のなかに俺もいたんだ」と回顧したりするから、決して自嘲的な意味で「統計的人間」と言っているのではないことに留意しておきたい。ところで、掲句の季語はむろん「ナイター」で夏季だが、ドーム球場が増えてきた現在では、だんだん実感が伴わなくなってきた。ドームに季節は関係ないからだ。いつの日かすべての球場がドーム化されてしまえば、この季語も消滅する。そうなると、野球に関連した季語で残るのは一部の歳時記や当サイトで採用している「日本シリーズ」くらいのもので淋しいかぎりだ。野球季語といえば、戦前から戦後しばらくにかけて「(東京)六大学リーグ戦」という季語が歳時記に採用されたことがあるという。村山古郷が1968年に書いた文章から引用しておく。「新季題として登場したが、流行の脚光を浴びることなく、廃れてゆく運命にあるように思われる。句に詠み込むに不適だという点があるのだろうか。現代俳人は『春闘』や『メーデー』を句にする。『ナイター』や『サッカー』が季題として詠まれている以上、『六大学リーグ戦』だけが不適とは思われない。季題として長すぎるというならば、『リーグ戦』と俳句的略称もできる筈だ。にもかかわらず、この季題がほとんど句にされていないのは、不思議である」。あの江川卓が早慶戦に憧れて慶応を受験するのは1977年のことだから、まだ六大学野球の人気が高かったころの文章だ。人気薄のいまなら詠まれないのもわかるが、当時としてはやはり不思議と言わざるを得ない。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 2972003

 鱶の海青きバナヽを渡しけり

                           杉本禾人

語は「バナヽ(バナナ)」で夏。「バナヽ」の表記からもわかるように、古い句だ。虚子が書いた「ホトトギス」の雑詠評『進むべき俳句の道』(角川文庫・絶版)に出てくるから、どんなに新しくても大正初期までの作品である。虚子はこの句を「繪日傘に百花明るき面輪哉」などとともに、作者が色彩に敏感な例として選んでいる。以下は、虚子の解釈だ。「鱶(ふか)のたくさんゐる大洋をたくさんの青い芭蕉の實を乘せた船が航海しつつあるといふのであるが、それを大洋ともいはず、汽船ともいはずただ鱶の海といひ、青きバナヽを渡したといふところにこの句の特別な感興はある。これも畢竟作者の感興は、バナヽの青い色にあつて、それを乘せてゐる船などはこれを問ふ必要はなく、また大洋もこの場合他の性質を持出す必要はなく、鱶のたくさんゐるやうな恐ろしい海であることだけを現はせば十分なのであつて、その鱶のゐるやうな大洋の上を、もぎたての青いバナヽは南の島から北の國へと運ばれつつある、といつたのである」。とくに異議をさしはさむところのない解釈だ。ただ面白いなと思うのは、この句が発想を得た実際の光景がどんなふうであるのかを、虚子が躍起になって説明している点である。この句だけをポンと出されたとすると、瞬間、誰にもかなり特異なイメージが浮かんでくるはずだ。私などは句そのままに、凶暴な鱶の群れる海の上を呑気な感じで巨大な青いバナナが渡って行く絵を想像してしまった。つまり、シュルレアリスムの絵か、あるいは現代風なポップ感覚のそれをイメージしたわけで、その意味から悪くないなと思ったのだが、作者が句を書いたころには、むろんそんな絵は存在しない。だから虚子は、掲句をそのまんまに突飛なイメージとして読んではいけない、元はといえばごく普通の情景を詠んだものだからと、口を酸っぱくしているのだ。この句が現代に登場したとするならば、おそらくはそのまんまの姿で楽しむ読者が大半だろう。もはや、虚子の躍起の正論は通用しないのではあるまいか。すなわち、句の解釈もまた世に連れるということである。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます