送り火。東京のお盆は梅雨期だから、ひっそりとはじまりひっそりと終わっていく。




2003ソスN7ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1672003

 爛々とをとめ樹上に枇杷すゝる

                           橋本多佳子

語は「枇杷(びわ)」で夏。実の形、あるいは葉のそれが楽器の琵琶に似ていることからの命名と言われる。掲句の枇杷の樹は野生のものだろう。調べてみると、大分、山口、福井などで、いまでも野生種が見られるそうだ。少年時代、まさにその山口の田舎に枇杷の樹があった。我が家が飲み水を汲んでいた清冽な湧水池の辺に立っており、高さは十メートルほどもあったと思う。葉が濃緑色の長楕円形をしていたせいで、なんとなく陰気な感じを受ける樹だった。でも、その樹に登ったり、実を食べたことはない。池の辺といっても、向こう岸の深い薮のある斜面にあったため、とても子供が近寄れる場所ではなかったからだ。この句を読んで、はじめて枇杷が登れる樹であることを知ったのだった。木刀にするくらいだから、固くて折れる気遣いはない樹なのだろう。その頑丈な樹に、さながら猿(ましら)のようにするすると登って実をもぐや、一心に「すゝ」っている「をとめ」の姿。まるで映画の野生児ターザンの相棒のジェーンみたいだけれど、おそらくこの「をとめ」は少女のことだろうから、ジェーンよりはかなり年下だ。が、その姿はまさに「爛々(らんらん)」たる野性味に溢れていて、その存在感に作者は圧倒されつつも感に入っている。この場合、樹上の人物が少女ではなくて少年だとすると、さしたる野性味は感じられない。ターザン映画でも、なぜかジェーンのほうに野性味があった。不思議だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 1572003

 いちまいにのびる涼しさ段ボール

                           寺田良治

語は「涼し(さ)」。俳句では、暑さのなかに涼味を捉えて、夏を表現する。「月涼し」「草涼し」「海涼し」等々。多くの用例では、秋に入って身体に感じる涼しさとは違い、心理的精神的な涼しさの色が濃い。掲句も、その一つだ。その一つではあるけれど、いかにも現代的な涼しさを発見していて面白い。実際、押し入れや部屋の片隅に積んである段ボール箱は、見るだけで鬱陶しく暑苦しい感じがする。引っ越しのときの箱がいつまでもそのまんまだったりすると、苛々も手伝って、ことのほかに暑苦しい。最近では真っ白な段ボール箱も見かけるが、暑苦しいのは外見の問題じゃないのだ。なかの荷物の未整理への思いが、人の心をかき乱すのだからである。作者は、ようやくそんな段ボール箱の中身を取りだして整理しおえた。不要になった箱は、現今では、リサイクルのために「いちまいに」伸ばして出すことを義務づけている自治体がほとんどだろう。で、作者も丁寧に「いちまいに」伸ばしたのである。伸ばした経験のある読者ならばおわかりのように、あれは適度な紙の固さがあるので、実に簡単にきれいに伸びてくれる。紙封筒などを開いて伸ばすのとは、わけが違う。いままで暑苦しかった形状はどこへやら、たちまちすっきりと「いちまいに」伸びてくれる段ボールに、作者の気持ちもすっきりと晴れていく。そこに「涼しさ」を感じたというのであるが、むべなるかな。よくわかります。『ぷらんくとん』(2001)所収。(清水哲男)


July 1472003

 花火待つ水と流れしものたちと

                           久保純夫

の週末あたりから、各地で花火大会が開かれる。子供たちの夏休みがはじまるし、ちょうど梅雨も明けるころだ。「梅雨明け十日」と言い、夏の天気が最も安定する時期である。そこをねらっての開催だろう。花火を待つ気分には、同じ屋外の催しでも、野球やサッカーなどとは違った独特のものがある。あれはおそらく、楽屋裏というか、下の準備の状況がまったく見えないからではないだろうか。おまけにプレイボールの声がかかるわけじゃなし、いきなりドカンとくるわけで、「さあ、はじまるぞ」という緊張感を盛り上げていくのが難しい。所在なく空を見上げたり腕時計を見てみたりと、まことに頼りなくも奇妙な時間が流れていく。掲句の「水と流れしもの」は「『水』と『流れしもの』」の並列ではなく、「水と(して)流れしもの」と読むべきだろう。そんな奇妙な時間のなかにいて、作者は眼前の川の流れを見ているうちに、この流れとともにこれまでに流れ去ったもの、既に眼前にはないもの、しかしかつてはここに明らかに存在したものに思いが至った。そのすべては、生命あるものだった。いつの間にか周囲の群衆よりも、そのような過去に存在したものたちのほうに意識が傾いて、それらのものと一緒にいる気持ちになったというのである。そして、いまこの場にいる私も周囲の群衆も、いずれはみな「水と流れしもの」と化してしまうのだ。これから打ち上げられる花火もまた、束の間の夢のようにはかない。水辺での幻想というよりも、もっと実質的にたしかな手応えのある抒情詩と受け取れた。『比翼連理』(2003)所収。(清水哲男)




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