東京でも甲子園への予選開始。各校監督たちの監督の理想像は阪神・星野が圧倒的。




2003ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1172003

 盆踊ピッチャーマウンドに櫓建て

                           渡辺善夫

盆踊り大会■ボーイスカウト三鷹2団主催。7月12日(土)午後5時〜7時30分、ナザレ修女会境内広場(井の頭公園西口そば、玉川上水沿い)で。流しそうめん、焼き鳥などの出店も。▼当日、直接会場へ。」(三鷹市広報HP)。……いきなりローカルな告知で申しわけなし。東京のお盆は陽暦で行われるので、こうした告知が今あちこちでなされている。13日(日)が迎え火だけれど、土曜日の夜のほうが人が集まりやすいので、明日が盆踊りのピークになるのだろう。もう、そんな季節を迎えたのだ。掲句の作者は大阪は吹田市在住なので、「盆踊」は陰暦のそれとして詠まれていると思うが、中身は陰暦でも陽暦でも同じことだ。「ピッチャーマウンド」とはあるが、ちゃんとした野球場ではないと思う。そんなところを下駄で踏み荒らされたら、後の整備が大変だ。おそらく、学校の運動場ではあるまいか。たいてい、こんもりと土を盛ってマウンドが作ってある。そのマウンドを中心にして、盆踊りのための「櫓(やぐら)」が「建て」られた。句は、ただそう言っているだけなのだが、読む人によってはほほ笑ましく思う人もいるだろうし、しかし、そうではない人もいるはずだ。私などは後者で、読んだ途端に「痛っ」と感じた。べつにグラウンドを神聖視しているつもりもないけれど、なんだか無関係な人に勝手に踏み荒らされるのかと思うと、イヤな感じがしてくるからだ。だから逆に、たまさか学校の運動場を通ることがあっても、なるべくイン・フィールドは避けて歩くことにしている。さて、作者の作句意図はいずれにありや。読者諸兄姉は如何に解するや。『明日は土曜日』(2002)所収。(清水哲男)


July 1072003

 仲良しのバナナの皮を重ね置く

                           草深昌子

語は「バナナ」で夏。いまでこそ年中見られるが、昔は台湾や南洋を象徴する珍しい果物だった。さて、房のバナナは「仲良し」に見えるが、掲句ではバナナが仲良しなのではないだろう。食べている二人が仲良しなのだ。「仲良しの」の後に「二人」や「友だち」などを意味する言葉が省略されているのだが、この省略が実によく効いている。「の」の効かせ方に注目。ちなみに「仲良し『は』」などとやると、はじめから仲良しとはこういうものだと規定することになって面白くない。作者の意図は、あくまでも二人の行為の結果から二人の仲を示すことにあるのだ。互いに示し合わせたわけでもなく、意識してそうしているわけでもないのに、ごく自然にそれぞれが剥いた「バナナの皮を重ね置」いている。まだ、そんなに大きくはない子供同士だろうか。傍らで見ていた作者は膝を打つような思いで、「ああ、こういう間柄が本当の仲良しというものだ」と感じ入っている。なんと素晴らしい観察力かと、私は作者の眼力のほうに感じ入ってしまった。俳句を読む喜びの一つは、句のように、言われてみて「なるほど」と合点するところにある。バナナの皮を重ねて置こうが離して置こうが、別に天下の一大事ではないけれど、そうした些細な出来事や現象から、人間関係や心理状態の綾を鮮明に浮き上がらせる妙は、俳句独自の様式から来ているのだと思う。俳句でないと、こうはいかないのである。むろんそのためには、作者の観察眼の鋭さとセンスの良さが必要だ。同じ句集から、もう一句。こちらも掲句に負けず劣らずの佳句と言えるだろう。内容のほほ笑ましさと、作者の眼力の確かさにおいて……。「校門の前は小走り浴衣の子」。『邂逅』(2003)所収。(清水哲男)


July 0972003

 夏迎ふペプシの缶を振りながら

                           櫂未知子

の「夏迎ふ」は立夏など暦の上の夏ではなくて、これからの季節、盛夏を迎える意味だろう。さあ、暑い夏がやってくるぞ。「ペプシの缶を振りながら」、作者はわくわくした気持ちになっている。この屈託の無い青春性や、よし。また糞暑く糞長い夏が来るのかと、仏頂面で焼酎なんかを啜っているおじさんには、もうこんな句は作りたくても作れない。溌剌とした若さに満ちたまぶしい句だ。素朴に若さが羨ましい。と、ここまで書いてきて、ふっと気になったことがある。何故「ペプシ」なのだろうか、と。単に、作者がペプシ銘柄を好んでいるだけにすぎないのかもしれない、でも、日本におけるペプシ・コーラのシェアは客観的に見てとても低い。コカ・コーラに圧倒されている。販売機を探すのも難しいほどだ。だから掲句は、たとえば調味料で「味の素」と言わずに、わざわざ「旭味」(旭化成が食品部門から撤退したいまでは、消えてしまったようだが)と言ったようにもとれなくはない。もっとも「コカ・コーラ」では字余りになってしまい具合が悪いが、ならば「コーラ」でも差し支えはないはずだ。が、そうするとほとんどの読者はコカ・コーラを思い浮かべてしまう。それは困るということだろう。では、ペプシのロゴや缶のデザインが盛夏に相応しく涼しげだから選んだという理由も考えられなくはない。しかし、ペプシのロゴやデザインは実によく変わるので、読者にはイメージが結びにくい。にもかかわらず、あえてペプシとしたのは何故だろう。あくまでもこだわってペプシとしたのだったら、マイナーな飲料水だからこそという意識が、作者のうちで働いたからだろうと思われる。簡単に言えば、私は私だ、他人と一緒にはされたくないという自我主張が込められているペプシなのだ。迎える夏も、私ならではの夏なのである。深読みかもしれないが、このペプシへのこだわりもまた青春特有のそれとして、好ましく受け取っておくことにする。セレクション俳人06『櫂未知子集』(2003)所収。(清水哲男)




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