イラク法案着々。はたして若き自衛隊員に動揺はないのだろうか。ないはずはない。




2003ソスN7ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0372003

 冷麥の氷返すがへす惜しき

                           中原道夫

語は「冷麥(ひやむぎ)」で夏。より冷たい状態で賞味してもらうべく、皿には適度に「氷」をあしらって出す。見た目にも涼やかだ。句の冷麦は、酒席などで出されたものだろう。いずれにしても、他人が同席している場である。作者はその場で、実は氷をひとかけら口にしたかった。しかし、まさか子供じゃあるまいし、人前でそんなことはできない。はしたないという意識が先に立って、逡巡しながらもあきらめたのである。そのことが「返すがへす」も残念だと、一人になってから悔しがっている図だ。「返すがへす」には、思い切って口にしようかと、箸の先で氷をさりげなく返したりした仕草に掛けられている。いっちょまえの男が、氷ごときでうじうじするとは何たることか。読者は笑ってしまうかもしれないが、でも、こういうことは誰にでも起きているのではあるまいか。この「氷」を他の何かに置き換えれば、思い当たることの一つや二つは、誰にもあると思う。ああ、あのときに食べとけばよかった、失敗したなあ。と、私などはしょっちゅうだ。たとえば、宴席でのデザート。句の氷とは違って、食べたってはしたなくも何ともないのだが、それでも口にするタイミングというものがある。さてお開きとなり、みなが立ち上がるところで食べたくなったら、慌てて口に持っていくのはみっともないから、未練がましくもあきらめるしかない。こうなると、いかに豪勢なメロンでも、句の氷と同格になってしまう。宿酔気味で喉が乾いて深夜に目覚め、ふっと思い出して「返すがへす惜しき」と何度思ったことか。掲句の収められている句集のタイトルは『不覺』(2003)と言う。(清水哲男)


July 0272003

 夜間飛行機子と七月の湯屋を出て

                           磯貝碧蹄館

間の汗を流して、さっぱりした気分で「湯屋(ゆや・風呂屋)」を出た。おそらく「子」が見つけたのだろう。指さす方向を見やると、小さな赤い灯を曳きながら、音もなく「夜間飛行機」が飛んでいる。しばし、立ち止まって眺めている親と子。七月の夜の涼風が心地よい。風呂帰りの句は数あるが、月や星ではなく飛行機をもってきたところに、新しい涼味が感じられる。もっとも新しいとは言っても、作句年は不明なれど、現代の句ではない。まだ夜間飛行がとても珍しく、ロマンチックな対象として映画や小説、詩歌などに盛んに登場した時代の句だと思う。したがって、飛んでいるのはジェット機ではなくプロペラ機だ。いまどきのジェット機では、風物詩というわけにはまいらない。ところで飛行機の話だから話は飛ぶ(笑)が、地上からは一見悠々と飛行しているようには見えても、夜のパイロットはいまでも大変のようだ。風呂上がりのさっぱり気分どころか、緊張で脂汗を滲ませての飛行である。日本航空機操縦士協会(JAPA)のHPを見ると、自家用機から商用機にいたるまで、夜間飛行の危険に対する共通の注意事項が縷々指摘されている。私にもわかる項目のいくつかを抜き書きしておくと、次のようだ。(1)夜間の離着陸は、飛行場灯火のながれを見て速度を判断するが昼間の速度感覚よりも遅く感じられる。(2)夜間飛行中に空間識失調に陥った場合には回復が困難。(3)緊急事態になった場合に、夜間の不時着は困難。(4)乱気流に入った場合には、その揺れは強く感じられて、不安感も大きい。(5)夕暮れに着陸するときには、上空はまだ明るくても地上は早く暗くなっている。(6)電気系統が故障した場合には緊急事態につながる、等々。私などはこれに高所恐怖症も加わるから、一挙に湯冷めしそうな恐ろしい世界に感じられる。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 0172003

 兄亡くて夕刊が来る濃紫陽花

                           正木ゆう子

先あたりに、新聞が配達される家なのだろうか。庭の隅には、紫陽花が今を盛りとかたまって咲いている。今日もまた、いつもと同じ時間に夕刊が配達されてきた。しかし、いつも待ちかねたように夕刊を広げていた兄は、もうこの世にはいないのだ。いつもと同じように夕刊は配達されてくるが、いつもと同じ兄の姿は二度と見ることは出来ない。なんでもない日常、いつまでもつづくと思っていた日常を失った寂しさが、じわりと心に「濃紫陽花」の色のように染み入ってくる。夕刊は朝刊に比べると、一般的にニュース性には欠けるエディションだ。昼間の出来事を伝える役割だから、よほど大きな事件があっても、それまでに他のメディアや人の話から、大略のことは承知できているからである。したがって、朝刊のように目を瞠るような紙面は見当たらないのが通常だ。だから、夕刊のほうがより安定した日常の雰囲気を持っていると言える。その意味で、掲句の夕刊は実によく効いている。作者はこの兄(俳人・正木浩一)とはことのほか仲良しであり尊敬もしていたことは、次の一句からでもよくわかる。「その人のわれはいもうと花菜雨」。また「帰省のたびに、私は兄とそれこそ朝まで俳句について語り合ったものだ」とも書いているから、俳句の手ほどきも受けたのだろうし、後年には良きライバルであったのだろう。亡き兄のことを思い出しつつ、作者は投げ込まれたままの白い夕刊に目をやっている。だんだん、夕闇が濃くなってくる。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)




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