2003N7句

July 0172003

 兄亡くて夕刊が来る濃紫陽花

                           正木ゆう子

先あたりに、新聞が配達される家なのだろうか。庭の隅には、紫陽花が今を盛りとかたまって咲いている。今日もまた、いつもと同じ時間に夕刊が配達されてきた。しかし、いつも待ちかねたように夕刊を広げていた兄は、もうこの世にはいないのだ。いつもと同じように夕刊は配達されてくるが、いつもと同じ兄の姿は二度と見ることは出来ない。なんでもない日常、いつまでもつづくと思っていた日常を失った寂しさが、じわりと心に「濃紫陽花」の色のように染み入ってくる。夕刊は朝刊に比べると、一般的にニュース性には欠けるエディションだ。昼間の出来事を伝える役割だから、よほど大きな事件があっても、それまでに他のメディアや人の話から、大略のことは承知できているからである。したがって、朝刊のように目を瞠るような紙面は見当たらないのが通常だ。だから、夕刊のほうがより安定した日常の雰囲気を持っていると言える。その意味で、掲句の夕刊は実によく効いている。作者はこの兄(俳人・正木浩一)とはことのほか仲良しであり尊敬もしていたことは、次の一句からでもよくわかる。「その人のわれはいもうと花菜雨」。また「帰省のたびに、私は兄とそれこそ朝まで俳句について語り合ったものだ」とも書いているから、俳句の手ほどきも受けたのだろうし、後年には良きライバルであったのだろう。亡き兄のことを思い出しつつ、作者は投げ込まれたままの白い夕刊に目をやっている。だんだん、夕闇が濃くなってくる。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)


July 0272003

 夜間飛行機子と七月の湯屋を出て

                           磯貝碧蹄館

間の汗を流して、さっぱりした気分で「湯屋(ゆや・風呂屋)」を出た。おそらく「子」が見つけたのだろう。指さす方向を見やると、小さな赤い灯を曳きながら、音もなく「夜間飛行機」が飛んでいる。しばし、立ち止まって眺めている親と子。七月の夜の涼風が心地よい。風呂帰りの句は数あるが、月や星ではなく飛行機をもってきたところに、新しい涼味が感じられる。もっとも新しいとは言っても、作句年は不明なれど、現代の句ではない。まだ夜間飛行がとても珍しく、ロマンチックな対象として映画や小説、詩歌などに盛んに登場した時代の句だと思う。したがって、飛んでいるのはジェット機ではなくプロペラ機だ。いまどきのジェット機では、風物詩というわけにはまいらない。ところで飛行機の話だから話は飛ぶ(笑)が、地上からは一見悠々と飛行しているようには見えても、夜のパイロットはいまでも大変のようだ。風呂上がりのさっぱり気分どころか、緊張で脂汗を滲ませての飛行である。日本航空機操縦士協会(JAPA)のHPを見ると、自家用機から商用機にいたるまで、夜間飛行の危険に対する共通の注意事項が縷々指摘されている。私にもわかる項目のいくつかを抜き書きしておくと、次のようだ。(1)夜間の離着陸は、飛行場灯火のながれを見て速度を判断するが昼間の速度感覚よりも遅く感じられる。(2)夜間飛行中に空間識失調に陥った場合には回復が困難。(3)緊急事態になった場合に、夜間の不時着は困難。(4)乱気流に入った場合には、その揺れは強く感じられて、不安感も大きい。(5)夕暮れに着陸するときには、上空はまだ明るくても地上は早く暗くなっている。(6)電気系統が故障した場合には緊急事態につながる、等々。私などはこれに高所恐怖症も加わるから、一挙に湯冷めしそうな恐ろしい世界に感じられる。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 0372003

 冷麥の氷返すがへす惜しき

                           中原道夫

語は「冷麥(ひやむぎ)」で夏。より冷たい状態で賞味してもらうべく、皿には適度に「氷」をあしらって出す。見た目にも涼やかだ。句の冷麦は、酒席などで出されたものだろう。いずれにしても、他人が同席している場である。作者はその場で、実は氷をひとかけら口にしたかった。しかし、まさか子供じゃあるまいし、人前でそんなことはできない。はしたないという意識が先に立って、逡巡しながらもあきらめたのである。そのことが「返すがへす」も残念だと、一人になってから悔しがっている図だ。「返すがへす」には、思い切って口にしようかと、箸の先で氷をさりげなく返したりした仕草に掛けられている。いっちょまえの男が、氷ごときでうじうじするとは何たることか。読者は笑ってしまうかもしれないが、でも、こういうことは誰にでも起きているのではあるまいか。この「氷」を他の何かに置き換えれば、思い当たることの一つや二つは、誰にもあると思う。ああ、あのときに食べとけばよかった、失敗したなあ。と、私などはしょっちゅうだ。たとえば、宴席でのデザート。句の氷とは違って、食べたってはしたなくも何ともないのだが、それでも口にするタイミングというものがある。さてお開きとなり、みなが立ち上がるところで食べたくなったら、慌てて口に持っていくのはみっともないから、未練がましくもあきらめるしかない。こうなると、いかに豪勢なメロンでも、句の氷と同格になってしまう。宿酔気味で喉が乾いて深夜に目覚め、ふっと思い出して「返すがへす惜しき」と何度思ったことか。掲句の収められている句集のタイトルは『不覺』(2003)と言う。(清水哲男)


July 0472003

 金魚えきんぎょ錠剤とりおとし

                           大野朱香

魚売りの声「金魚えきんぎょ」を聞かなくなってから、久しい。昔はこの季節になると、天秤棒で荷をかついだり、屋台の曳き売りがやってきたものだった。それももはや懐しい夏の風物詩として、記憶のなかに存在するだけになった。むろん、作者にとっても同様だ。ところがある日、不意にどこからか「金魚えきんぎょ」と聞こえてきた。一瞬「えっ」と作者は耳を疑い、声の方向に意識をやったとたんに、手元の「錠剤」を「とりおとし」たと言うのである。それだけの情景なのだが、なかなかに奥深い句だ。というのも、作者は金魚売りの声に、そんなにびっくりしているわけではないからだ。「まさか」くらいの軽い心の揺れである。なのに、錠剤を落としてしまった。何故だろうか、と掲句は考えさせる。いや、まず作者自身がややうろたえて考えたのだろう。強い地震が発生したわけでもなく、火事になりかけたわけでもない。ただ物売りの声が聞こえてきただけなのに、思わぬヘマをしでかしてしまったのだ。何故なのか。考えるに、錠剤をつまんだり掌に受けたりする行為は、ほとんど意識的なそれではない。半ば習慣として身体になじんでいるので、手順も何も意識せずにする行為だ。逆に言えば、だから少々の突発的な出来事があったとしても、習慣の力が働いて行為を中断させることはないだろう。ぐらっと来たくらいでは、まず「とりおとす」ことはあるまい。でも、仰天しているわけでもない作者はちゃんと(と言うのも変だが)落としてしまった。つまり、実は人はこういうときにこそ手元が狂うのだと、掲句は言っているように思える。心理的に十分な余裕があるなかで、些細なことに意識が向くことが、いちばん習慣の力を崩しやすいのだと。敷衍しておけば、無意識の力は非常事態のときには十全に発揮されても、日常的には句のように案外と脆いところがあるということだ。そのあたりの意識と無意識との微妙な関係を見事に捉えた句として、唸らされた。俳誌「童子」(2003年7月号)所載。(清水哲男)


July 0572003

 外掛けで父を倒せし夏みじかし

                           八田木枯

要があって、このところ父母兄弟姉妹など肉親を詠んだ句を眺めて暮らしていた。すぐに気がついたのは、なかでも父親の句が極端に少ないという事実だった。母親の句は無数にあれど、父句は本当に少ないのだ。それも自分が父親である感慨を詠んだ句が大半で、直接当人の父親を対象にしたものとなると微々たるものと言ってよい。したがって、掲句なども珍重すべき作品である。たわむれに「父」と相撲を取り、生まれてはじめて父親に勝った。しかも「外掛け」だから、勝ったときの父の身体は惨めにも作者の真下にあった。勝ったと言うよりも、倒してしまったというのが実感だ。肉体的にも精神的にも強き者の象徴のような父親が、こんなにも脆かったとは……。あまりにも哀しく複雑な衝撃で、あの年の夏のことは、この相撲のことしか覚えていない。「夏みじかし」と詠んだ所以である。話は遠回りになるが、昨日、二年前に急逝した友人・宮園洋の遺著『洋さんのあっちこち』(れんが書房新社)が届いた。宮園君は優れたイラストレーターであるとともに、多くの詩集などのブックデザインも手がけ、晩年は岡山で活動した。この本には、遺児である姉弟の父親追悼文が栞として挟み込まれており、タイミングがタイミングだっただけに、私はアッと思った。姉の望見さんの文章のタイトル「お父ちゃん、わかっているよ」にはっきりしているように、弟の一文もまた、生前の父を理解していたかどうかにこだわっているのだった。宮園君が子供たちにどんな具合に振る舞っていたのかは知らないが、すなわち、それほどに父親とは理解しにくい存在なのではあるまいか。と、一般論としても言えるような気がしたからだ。掲句に戻れば、このときに作者は間違いなく父親のある側面を理解した。しかし、一度理解したらいつまでも記憶として残るほどに、裏返せば、句は平生の父親を理解するのが困難なことをも示唆している。『あらくれし日月の鈔』所収。(清水哲男)


July 0672003

 乳いろの水母流るるああああと

                           吉田汀史

語は「水母(くらげ・海月)」で夏。もしも「水母」が鳴くとしたら、あるいは啼くとしたら、なるほど「ああああ」でしかないように思える。「ああああ」は「ああ」でもなく「あああ」でもなく、人間にとっての究極的かつ基本的な絶望感の表現に通じている。おのれの弱さ、無力を自覚させられ、絶望の淵に沈み込んだとき、言葉にならない言葉、言葉以前の言葉である「ああああ」の声を発するしかないだろう。その意味では、この「ああああ」は、逆に言葉を超えた言葉でもあり、あらゆる言葉の頂点に立つ言葉だとも言える。水母の身体の98パーセントは水分であり、寿命の短い種類だと誕生後の数時間で死んでしまうという。まことにはかなくも希薄な存在だ。そんな水母が波に漂い翻弄され、「ああああ」と声をあげている様子は哀切きわまりない。多くの水母は、実は自力で泳いでいるのだけれど、私たちにはそうは見えない。また、獰猛としか言いようのない肉食生物なのだが、そうも見えない。見えないから、私たちには「ああああ」の声が自然に聞こえてきてしまうのである。となれば、たとえば反対に、水母から見た人間はどうなのだろうか。私たちは自力で歩いているのだが、彼らにはただ風に漂い翻弄されているだけと映るかもしれない。それも、やはり「ああああ」と啼きながら……だ。句からは、水母のみならず、生きとし生けるものすべてが「ああああ」と流されていく弱々しい姿が、さながら陰画のように滲んで見えてくる。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


July 0772003

 今年より吾子の硯のありて洗ふ

                           能村登四郎

日は陽暦の七夕。七夕の前日に、日ごろ使っている硯(すずり)や机を洗い清める風習から、季語「硯洗(すずりあらい)」が成立した。ただし、季節は七夕とともに秋に分類されるのが普通だ。このあたりが季語のややこしいところで、梅雨期の七夕はいただけないにしても、現実には保育園や幼稚園、学校などの七夕は今日祝うところが大半だろう。陰暦の七夕だと、夏休みの真っ最中ということもある。私は戦時中から敗戦後にかけての小学生だけれど、学校の七夕行事はやはり陽暦で行われていた。すなわち、陽暦七夕の歴史も短くはない。だから、私たちのイメージのなかで七夕が夏に定着してもよさそうなものだが、どうもそうじゃないようだ。いま行われている平塚の七夕祭などはむしろ例外で、仙台をはじめ大きな祭のほとんどは陰暦での行事のままである。やはり、梅雨がネックなのだろう。私が小学生のころは、風習どおり前日にはきれいに硯を洗い、七夕には早く起きて、畑の里芋の葉に溜まった朝露を小瓶に集めて登校した。この露で墨を擦って短冊を書くと、なんでも文字がとても上手になるという先生のお話だったが……。さて、掲句では、子供がまだ小さいので父親が洗ってやっている。洗いながら「吾子」も自分の硯を持つようになったかと、その成長ぶりを喜んでいる。控えめで静かな父親の情愛が感じられる、味わい深い句だ。実際、学校に通う子は学年が上がる度に新しい道具が必要になる。それを見て、親は子供の成長を認識させられる。私の場合には、娘が水彩絵の具とパレットを持ち帰ったときに強く感じた。あとはコンパスとか分度器とか、すっかり忘れていた算数の道具のときも。いずれも「どれどれ」と手に取って、しげしげと眺めた記憶がある。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


July 0872003

 レンジにてチンして殺そか薔薇の花

                           宮嵜 亀

語は「薔薇(ばら)」で夏。句集に寄せた一文で、坪内稔典が書いている。「レンジでチンする、というはやりの言葉(俗語)を取り込み、『殺そか』の後に何が来るのか、オカンかトカゲか、あるいはアブラムシか、と予想していたら、なんと『薔薇の花』が来た意外さ ! もちろん、この意外さによって俳句(詩)が成り立ったのである。ともあれ、レンジでこともあろうに薔薇をチンするという意外さは、同時に少しきざっぽくもある。あるいは少年めいていると言ったらいいか」。そのとおりで、俳句になったのは確かに意外さの効果である。でも、こうした句の場合、何でもかでも意外なものを持ってくれば即俳句になるのかと言えば、そうはいかないところが厄介だ。当て推量だけれど、作者当人は案外意外とは思っていないのだと思う。何か豪奢で美々しいものに対しての故無き殺意。これは、誰の心にも微量にもせよ潜在しているのではあるまいか。それが作者にとってはたまたま「薔薇の花」だったのであり、掲句に共鳴した読者は「薔薇の花」には何とも思わなくても、瞬間的に自己に固有の殺意の対象にずらして読むということをしたのではないか。その対象は、むろん他人にとっては意外なものだ。だが、当人にとってはそれほど意外さのないものである。そうした咄嗟の読み替えを、読者にうながすことができるかどうか。できれば俳句になるのであり、できなければ駄句以下となってしまう。作者に贔屓して言っておくならば、「少しきざっぽく、少年めいて」映る発想だからこそ、逆に読者のなかで眠っている故無き殺意に思い当たらせる力が出たのである。『未来書房』(2003)所収。(清水哲男)


July 0972003

 夏迎ふペプシの缶を振りながら

                           櫂未知子

の「夏迎ふ」は立夏など暦の上の夏ではなくて、これからの季節、盛夏を迎える意味だろう。さあ、暑い夏がやってくるぞ。「ペプシの缶を振りながら」、作者はわくわくした気持ちになっている。この屈託の無い青春性や、よし。また糞暑く糞長い夏が来るのかと、仏頂面で焼酎なんかを啜っているおじさんには、もうこんな句は作りたくても作れない。溌剌とした若さに満ちたまぶしい句だ。素朴に若さが羨ましい。と、ここまで書いてきて、ふっと気になったことがある。何故「ペプシ」なのだろうか、と。単に、作者がペプシ銘柄を好んでいるだけにすぎないのかもしれない、でも、日本におけるペプシ・コーラのシェアは客観的に見てとても低い。コカ・コーラに圧倒されている。販売機を探すのも難しいほどだ。だから掲句は、たとえば調味料で「味の素」と言わずに、わざわざ「旭味」(旭化成が食品部門から撤退したいまでは、消えてしまったようだが)と言ったようにもとれなくはない。もっとも「コカ・コーラ」では字余りになってしまい具合が悪いが、ならば「コーラ」でも差し支えはないはずだ。が、そうするとほとんどの読者はコカ・コーラを思い浮かべてしまう。それは困るということだろう。では、ペプシのロゴや缶のデザインが盛夏に相応しく涼しげだから選んだという理由も考えられなくはない。しかし、ペプシのロゴやデザインは実によく変わるので、読者にはイメージが結びにくい。にもかかわらず、あえてペプシとしたのは何故だろう。あくまでもこだわってペプシとしたのだったら、マイナーな飲料水だからこそという意識が、作者のうちで働いたからだろうと思われる。簡単に言えば、私は私だ、他人と一緒にはされたくないという自我主張が込められているペプシなのだ。迎える夏も、私ならではの夏なのである。深読みかもしれないが、このペプシへのこだわりもまた青春特有のそれとして、好ましく受け取っておくことにする。セレクション俳人06『櫂未知子集』(2003)所収。(清水哲男)


July 1072003

 仲良しのバナナの皮を重ね置く

                           草深昌子

語は「バナナ」で夏。いまでこそ年中見られるが、昔は台湾や南洋を象徴する珍しい果物だった。さて、房のバナナは「仲良し」に見えるが、掲句ではバナナが仲良しなのではないだろう。食べている二人が仲良しなのだ。「仲良しの」の後に「二人」や「友だち」などを意味する言葉が省略されているのだが、この省略が実によく効いている。「の」の効かせ方に注目。ちなみに「仲良し『は』」などとやると、はじめから仲良しとはこういうものだと規定することになって面白くない。作者の意図は、あくまでも二人の行為の結果から二人の仲を示すことにあるのだ。互いに示し合わせたわけでもなく、意識してそうしているわけでもないのに、ごく自然にそれぞれが剥いた「バナナの皮を重ね置」いている。まだ、そんなに大きくはない子供同士だろうか。傍らで見ていた作者は膝を打つような思いで、「ああ、こういう間柄が本当の仲良しというものだ」と感じ入っている。なんと素晴らしい観察力かと、私は作者の眼力のほうに感じ入ってしまった。俳句を読む喜びの一つは、句のように、言われてみて「なるほど」と合点するところにある。バナナの皮を重ねて置こうが離して置こうが、別に天下の一大事ではないけれど、そうした些細な出来事や現象から、人間関係や心理状態の綾を鮮明に浮き上がらせる妙は、俳句独自の様式から来ているのだと思う。俳句でないと、こうはいかないのである。むろんそのためには、作者の観察眼の鋭さとセンスの良さが必要だ。同じ句集から、もう一句。こちらも掲句に負けず劣らずの佳句と言えるだろう。内容のほほ笑ましさと、作者の眼力の確かさにおいて……。「校門の前は小走り浴衣の子」。『邂逅』(2003)所収。(清水哲男)


July 1172003

 盆踊ピッチャーマウンドに櫓建て

                           渡辺善夫

盆踊り大会■ボーイスカウト三鷹2団主催。7月12日(土)午後5時〜7時30分、ナザレ修女会境内広場(井の頭公園西口そば、玉川上水沿い)で。流しそうめん、焼き鳥などの出店も。▼当日、直接会場へ。」(三鷹市広報HP)。……いきなりローカルな告知で申しわけなし。東京のお盆は陽暦で行われるので、こうした告知が今あちこちでなされている。13日(日)が迎え火だけれど、土曜日の夜のほうが人が集まりやすいので、明日が盆踊りのピークになるのだろう。もう、そんな季節を迎えたのだ。掲句の作者は大阪は吹田市在住なので、「盆踊」は陰暦のそれとして詠まれていると思うが、中身は陰暦でも陽暦でも同じことだ。「ピッチャーマウンド」とはあるが、ちゃんとした野球場ではないと思う。そんなところを下駄で踏み荒らされたら、後の整備が大変だ。おそらく、学校の運動場ではあるまいか。たいてい、こんもりと土を盛ってマウンドが作ってある。そのマウンドを中心にして、盆踊りのための「櫓(やぐら)」が「建て」られた。句は、ただそう言っているだけなのだが、読む人によってはほほ笑ましく思う人もいるだろうし、しかし、そうではない人もいるはずだ。私などは後者で、読んだ途端に「痛っ」と感じた。べつにグラウンドを神聖視しているつもりもないけれど、なんだか無関係な人に勝手に踏み荒らされるのかと思うと、イヤな感じがしてくるからだ。だから逆に、たまさか学校の運動場を通ることがあっても、なるべくイン・フィールドは避けて歩くことにしている。さて、作者の作句意図はいずれにありや。読者諸兄姉は如何に解するや。『明日は土曜日』(2002)所収。(清水哲男)


July 1272003

 かはほりや夕飯すんでしまひけり

                           清水基吉

語は「かはほり」で夏。蚊を欲するから「かはほり」と言ったようだ。発音が転じて「蝙蝠(こうもり)」に。私の子供のころは、夕方になると盛んに飛んでいた。夏の日は長い。それぞれの事情に合わせて、各家庭の夕食の時間はほぼ一定しているから、作者の家のように「夕飯」がすんでも、夏場にはまだ明るいということが起きる。私にも経験があるけれど、この明るさにはまことに中途半端な気持ちにさせられてしまう。夕飯が終われば、一日が終わったも同然だ。しかし、表はなお明るくて、終わったという気になることができない。まことに頼りなく所在なく、ぼんやりと「かはほり」の飛び交う様子でも眺めているしかないような時間帯となる。この不思議なからっぽの時間帯のありようを、句は誰にも見えるような空間に託して、さりげなく述べている。見事なものだ。テキストのみからの解釈ではこれでよいと思うが、句集の構成からすると、この句が敗戦直後に作られていることがわかる。となれば、句の「夕飯」の中身にも自然に思いが及んでいく。決して楽しんで食べられる中身じゃなかったはずだ。同じ作者の戦争末期の句には「飯粒の沈む雑炊捧げ食ふ」がある。粗食も粗食、米粒を探すのが大変という食事では、楽しむも何もないだろう。テキストのみから受ける印象に、あっという間に食べ終わった粗末な夕食と、やり場の無い心の空しさとを付け加えて鑑賞してみると、戦後庶民の茫然自失ぶりがひしひしと迫ってくる。ちなみに作者は、敗戦の年の芥川賞受賞作家だ。だが、受賞したからといって、暮らし向きが好転するような時代ではなかったこともわかる。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


July 1372003

 百日紅きのうのことは存じませぬ

                           新田美智子

語は「百日紅(さるすべり)」で夏。「昨日のことは存じませぬ」とはまた、ずいぶんとシレッとした物言いであることよ。しかし、言われてみれば納得である。これからの暑い季節を物ともせずに咲き通すには、これくらいの図太さがなければ、やっていられないだろう。次から次へと新しい花を咲かせていくのだから、昨日のことなどにうじうじと拘泥していたのでは身が持たない。そりゃ、ときには失敗もあれば戸惑いもあるさ。でも、それらをいちいち反省したり内省したりしている余裕などは無いのである。常に、目の前にはやるべきことが待機している。それをやらなきゃ、身の破滅。人間で言えば、働き盛りの年代に通じる物言いが「昨日のことは存じませぬ」だ。私の感受性に従えば、百日紅は幹の独特な形状も手伝って、たとえ樹齢は若くても、あまり若さを感じさせない樹木の一つである。実際、百日紅を見て、青春性を感じる人はあまりいないのではあるまいか。同じ真夏の花でも、夾竹桃の元気さには青春の気があるというのに。そんな中年パワーに溢れた百日紅も、秋口の冷たい風が吹きはじめるころには、さすがに勢いが衰えてくる。それでも懸命にてっぺんの方にいくつかの花をつけつづける姿には、かつての猛烈サラリーマンの悲哀感が漂うようで、見ていて辛くなる。いや、そうなると、振り仰ぐ人もほとんどいなくなってしまうので、そのことも含めての哀れさが募るのである。百日紅の句は数あれど、衰えてきた姿を詠んだ句は見たことがない。掲句の作者は二十代だそうだが、秋の百日紅がいったいどんな台詞を吐くのか、十年後くらいにぜひとも「つづき」を書いてほしい。俳誌「里」(第3号・2003)所収。(清水哲男)


July 1472003

 花火待つ水と流れしものたちと

                           久保純夫

の週末あたりから、各地で花火大会が開かれる。子供たちの夏休みがはじまるし、ちょうど梅雨も明けるころだ。「梅雨明け十日」と言い、夏の天気が最も安定する時期である。そこをねらっての開催だろう。花火を待つ気分には、同じ屋外の催しでも、野球やサッカーなどとは違った独特のものがある。あれはおそらく、楽屋裏というか、下の準備の状況がまったく見えないからではないだろうか。おまけにプレイボールの声がかかるわけじゃなし、いきなりドカンとくるわけで、「さあ、はじまるぞ」という緊張感を盛り上げていくのが難しい。所在なく空を見上げたり腕時計を見てみたりと、まことに頼りなくも奇妙な時間が流れていく。掲句の「水と流れしもの」は「『水』と『流れしもの』」の並列ではなく、「水と(して)流れしもの」と読むべきだろう。そんな奇妙な時間のなかにいて、作者は眼前の川の流れを見ているうちに、この流れとともにこれまでに流れ去ったもの、既に眼前にはないもの、しかしかつてはここに明らかに存在したものに思いが至った。そのすべては、生命あるものだった。いつの間にか周囲の群衆よりも、そのような過去に存在したものたちのほうに意識が傾いて、それらのものと一緒にいる気持ちになったというのである。そして、いまこの場にいる私も周囲の群衆も、いずれはみな「水と流れしもの」と化してしまうのだ。これから打ち上げられる花火もまた、束の間の夢のようにはかない。水辺での幻想というよりも、もっと実質的にたしかな手応えのある抒情詩と受け取れた。『比翼連理』(2003)所収。(清水哲男)


July 1572003

 いちまいにのびる涼しさ段ボール

                           寺田良治

語は「涼し(さ)」。俳句では、暑さのなかに涼味を捉えて、夏を表現する。「月涼し」「草涼し」「海涼し」等々。多くの用例では、秋に入って身体に感じる涼しさとは違い、心理的精神的な涼しさの色が濃い。掲句も、その一つだ。その一つではあるけれど、いかにも現代的な涼しさを発見していて面白い。実際、押し入れや部屋の片隅に積んである段ボール箱は、見るだけで鬱陶しく暑苦しい感じがする。引っ越しのときの箱がいつまでもそのまんまだったりすると、苛々も手伝って、ことのほかに暑苦しい。最近では真っ白な段ボール箱も見かけるが、暑苦しいのは外見の問題じゃないのだ。なかの荷物の未整理への思いが、人の心をかき乱すのだからである。作者は、ようやくそんな段ボール箱の中身を取りだして整理しおえた。不要になった箱は、現今では、リサイクルのために「いちまいに」伸ばして出すことを義務づけている自治体がほとんどだろう。で、作者も丁寧に「いちまいに」伸ばしたのである。伸ばした経験のある読者ならばおわかりのように、あれは適度な紙の固さがあるので、実に簡単にきれいに伸びてくれる。紙封筒などを開いて伸ばすのとは、わけが違う。いままで暑苦しかった形状はどこへやら、たちまちすっきりと「いちまいに」伸びてくれる段ボールに、作者の気持ちもすっきりと晴れていく。そこに「涼しさ」を感じたというのであるが、むべなるかな。よくわかります。『ぷらんくとん』(2001)所収。(清水哲男)


July 1672003

 爛々とをとめ樹上に枇杷すゝる

                           橋本多佳子

語は「枇杷(びわ)」で夏。実の形、あるいは葉のそれが楽器の琵琶に似ていることからの命名と言われる。掲句の枇杷の樹は野生のものだろう。調べてみると、大分、山口、福井などで、いまでも野生種が見られるそうだ。少年時代、まさにその山口の田舎に枇杷の樹があった。我が家が飲み水を汲んでいた清冽な湧水池の辺に立っており、高さは十メートルほどもあったと思う。葉が濃緑色の長楕円形をしていたせいで、なんとなく陰気な感じを受ける樹だった。でも、その樹に登ったり、実を食べたことはない。池の辺といっても、向こう岸の深い薮のある斜面にあったため、とても子供が近寄れる場所ではなかったからだ。この句を読んで、はじめて枇杷が登れる樹であることを知ったのだった。木刀にするくらいだから、固くて折れる気遣いはない樹なのだろう。その頑丈な樹に、さながら猿(ましら)のようにするすると登って実をもぐや、一心に「すゝ」っている「をとめ」の姿。まるで映画の野生児ターザンの相棒のジェーンみたいだけれど、おそらくこの「をとめ」は少女のことだろうから、ジェーンよりはかなり年下だ。が、その姿はまさに「爛々(らんらん)」たる野性味に溢れていて、その存在感に作者は圧倒されつつも感に入っている。この場合、樹上の人物が少女ではなくて少年だとすると、さしたる野性味は感じられない。ターザン映画でも、なぜかジェーンのほうに野性味があった。不思議だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 1772003

 メロン掬ふ富士見え初めし食堂車

                           小坂順子

食堂車
語は「メロン」で夏。「掬ふ」は「すくう」。もう、こんな汽車の旅はできない。現在「北斗星」など一部の特別夜行列車にはあるが、「食堂車」を連結している昼行列車は完全に姿を消してしまった。新幹線から食堂車が無くなったのは、2000年初夏のことである。「のぞみ」には、最初から食堂車もビュッフェもなかった。初期の「のぞみ」に乗ったとき、隣席の人品卑しからぬ初老の紳士から「あのお、食堂車はどこでしょうか」と尋ねられたことを思い出す。句が作られた列車は、在来の東海道線特急だろう。東京大阪間を6時間半で走った。「メロン」は、デザートだろうか。食事も終わりに近づいたところで、富士山が見えてきた。何でもない句だけれど、楽しくも満ち足りた作者の旅行気分がよく出ている。昔の汽車旅行は目的地に着くまでにも楽しみがあった。ゆっくりと流れていく車窓からの風景を眺めながら、食事をする楽しみもその一つ。もっとも、私はいつもビールがメインだったけど(笑)。ただ、街のレストランなどに比べると、料金は高かった。その列車の乗客だけが相手の店なので、無理もないか。いったい、いくらくらいだったのだろう。かなり古い数字だが、たとえば1952年(昭和27年)の特急「つばめ」「はと」のメニューを見ると、こんな具合だ。「ビーフステーキお定食(ビーフステーキ野菜添え、コーヒー・パン・バター付) 350円」「プルニエお定食(鮮魚貝お料理野菜添え、コーヒー・パン・バター付) 300円」。ビール大瓶90円、コーヒー50円、サイダー45円、メロンなどの果物は「時価」とある。町で食べるソバが20〜25円のころだったと思うと、うーむ、やっぱり高いっ。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 1872003

 灼けし地にまる書いてあり中に佇つ

                           後藤綾子

語は「灼けし(灼く)」で夏。「砂灼ける」「風灼ける」などとも使う。真昼の炎天下、まったく人通りのない道を通りかかることがある。句の場合は、住宅街の一画だ。道には、まだ涼しい時間に遊んでいた子供が書いたのだろう。石けり遊びか何かの「まる」がぽつんと残されていた。その「中に佇(た)」ってみましたというだけの句だけれど、猛暑の白昼にある作者の精神的な空漠感がよく出ている。子供ならちょっとケンケンの仕草でもしそうな場面だが、大人である作者はただ佇っているのだ。「立つ」よりも「佇つ」のほうには、やや時間的に長いというニュアンスがあり、それが一種の空漠感を連想させる。最初は茶目っ気も手伝って、懐しい「まる」の中に立ってみようとした。が、実際に立ってみると、しばし佇立することになってしまった。と言っても、べつに「まる」の中でおもむろに来し方を回想したり、往時茫々の思いにとらわれたわけではないだろう。第一、暑くてそれどころじゃない。そういうことではなくて、微笑して見過ごしてしまえばそれですんだものを、わざわざ中に入ってみたばかりに、意外な精神状態の変化が起きたということだと思う。ナンセンスと言えばナンセンスな行為によって、ふっと人は思ってもみなかった別世界に連れていかれることがある。暑さも暑し、「まる」の中の作者の心はほとんど真っ白だ。いったいあれは何だったのかと、この句を作りながらも、なお作者は訝っているかのようである。『一痕』(1995)所収。(清水哲男)


July 1972003

 さかづきを置きぬ冷夏かも知れず

                           星野麥丘人

おかたの地方では、今日から子供たちの夏休みがはじまる。しかし、この夏の東京の感覚からすると、とても「暑中休暇」という気はしない。雨模様の日がなおしばらくはつづきそうだし、昼間でも気温はそんなに高くはならないからだ。気象庁の三ヵ月予報では、七月の後半には晴れる日が多く、気温も高いということになっていた。でも、どうかすると窓を開けていると寒い日さえある。ふっと「冷夏」かもしれないと思ったときに、嘘みたいに偶然この句に出会った。機嫌よく飲んでいたのに、それこそふっと「冷夏かも知れぬ」と思った途端に、不安な胸騒ぎを覚えて「さかづき」を置いたというのである。このときの作者の仕事は何だったのかは知らないが、冷夏によって被害をこうむる仕事は多い。最も直接的な打撃を受ける農業関係者はもとより、被服だとか電気製品だとか飲料水だとかの夏物を売る商売の人たち、はたまた観光地で働く人々など、そろそろこの天候には不安の色を隠せないころではあるまいか。消費者だとて、何年か前の米の不作でタイ米を買いに走ったことを忘れてはいないはずだ。だから、持った「さかづき」を置くという行為は、決してオーバーな仕草ではないし、句もまた過剰な表現ではないのである。私ひとりの杞憂に終わってくれればよいのだが……。なお、「冷夏」を独立した季語として扱っている歳時記は少ない。当サイトがベースにしている角川版にもないので、便宜上「夏」の項目のなかに入れておくことにする。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 2072003

 扇子の香女掏摸師の指づかひ

                           佐山哲郎

ろん「掏摸(すり)師」は立派な犯罪者だ。ただ空巣や強盗とは違って、昔から変な人気がある。というのも、常人にはとても真似のできない指技を、彼らが習得しているからだろう。フィクションの世界では、美貌の女掏摸師がよく活躍する。時代物では、擦れ違った瞬間に目にもとまらぬ早業で掏摸取った懐中物を手に、艶然と微笑する姿が定番でもある。犯罪者ではあるけれど、正義の味方の味方だったりする役どころはフィクションならではだが、これもやはり芸術的な指技を惜しんでの作者の人情からではあるまいか。掲句の女掏摸師ももとよりフィクションだけれど、そんな掏摸師に「扇子」を使わせたところが面白い。なるほど手練の掏摸師ともなると、扇子のあおぎようにだって微妙な指技が働くにちがいない。したがって、送られてくる「扇子の香」にもまた普通とは違うものがあるだろう。この句は、かつての都電の情景を系統別に詠んだ「都電百停」のなかの一句(33系統 信濃町)だから、いわば現代劇の一シーンだ。私の若い頃、ロベール・ブレッソン監督の映画『掏摸』(1960)を見た後の何日かは、街にいると、誰も彼もが掏摸に思えて仕方がなかったようなことがあった。その映画には、掏摸の手口が具体的に生々しく公開されていたので、余計にそんな気分にならされたと思うのだが、作者のこの発想も、何らかのフィクションに触発されてのことかもしれない。作者は単に、走る都電の中で扇子を使う女性客を見かけただけだ。それをあろうことか掏摸師に見立てたせいで、おそらくは俳句にはじめての女掏摸師が登場することになった。そんな自分だけの想像のなかの相手に、ちょっと身構えているようなニュアンスもあって可笑しい。でも、これからの行楽シーズン、本物の掏摸にはご用心を。我が家の短い歴史のなかでも、これまでに二度、芸術的な指技の餌食になっている。『東京ぱれおろがす』(2003)所収。(清水哲男)


July 2172003

 アカンサス凛然として梅雨去りぬ

                           吉村公三郎

アカンサス
かなか明けてくれませんね。長梅雨です。早く明けてくれとの願いを込めての今日の句の作者は、たぶん『偽れる盛装』『夜の河』などで知られる映画監督だろう。季語は「アカンサス」で夏だが、葉が春に咲く薊(あざみ)のそれに似ているので、和名を「葉薊」という。写真で見られるように、葉は薊よりも大きくて猛々しい感じがし、花は真っすぐな穂に咲き登る。そこが「凛然として」の措辞にぴたりと通じている。また、この「凛然として」は、アカンサスの姿の形容であると同時に、梅雨の去り際の潔さにも掛けられているのだと思う。今年のように、いつまでもうじうじととどまっていない梅雨だ。降るだけ降ったら(といっても、今回の九州豪雨のように過剰に降るわけじゃない)さっと引いて、あとにはまったき青空だけを残していく。そんなダンディズムすら感じさせる梅雨も、たしかに何年かに一度はある。ところで、アカンサスの元祖は南ヨーロッパだ。花よりも葉の形状が愛されていたようで、古代ギリシアやローマのコリント式やコンポジット式建築の柱冠の装飾に、アカンサス葉飾りとして図案化されている。そして、この葉飾りを、実は現代日本の私たちも日常的にしばしば目にしていることを知る人は、案外と少ない。手元に一万円札があったら、開いて表裏をよく見てください。上下の縁のところに細長くプリントされている文様が、他ならぬアカンサスなのです。あとは、賞状などの縁飾りにも、よくアカンサスが使われています。『俳句の花・下巻』(1997・創元社)所載。(清水哲男)


July 2272003

 斑猫やわが青春にゲバラの死

                           大木あまり

語は「斑猫(はんみょう)」で夏。山道などにいて、人が近づくと飛び立ち、先へ先へと飛んでいくので「道おしえ」「道しるべ」とも言われる。作者はこの虫に従うようにして歩きながら、ふっと革命家・ゲバラのことを思い出した。カストロなどとキューバ革命を成功させ、国立銀行総裁を振り出しとする中枢の地位にありながら、その要職を抛ってボリビアでの困難極まるゲリラ闘争に参加し殺された男のことを……。ゲバラがボリビア政府軍によって射殺されたのは1967年のことだった。アルゼンチンの中流家庭に生まれ医師となり、そこではじめて社会の激しい矛盾に出会ってから、すべてのエネルギーを革命に注ぎ込んだ男のことは、遠い日本にも鳴り響いていた。折しもベトナム戦争は泥沼の様相を露わにし、日本では全共闘運動がピークに達しようとしていた。大学という大学がバリケード封鎖されたといっても、今日の若者にはまったくピンと来ないだろうが、そんな異常事態が自然な状態に思えるほど、当時の世界は混沌としていた。右から左まで、どんな思想の持ち主でも、明日の世界を思い描くことはできなかったろう。このときに、あくまでも信念を曲げずに一ゲリラとして闘っていた男の姿は、多くの若者に偉大に写った。人間が人間らしくあることの、一つのまさに「道しるべ」なのであった。だから、彼の死がどこからともなく噂として流れてきたときには、私も作者と同じように重い衝撃を受けた。咄嗟に「嘘だっ」と反応した記憶がある。ボードレールとパブロ・ネルーダとシュペングラーをこよなく愛した革命家。ゲバラのような男は、もう出てこないだろう。「あのころ、世界で一番かっこいいのがゲバラだった」(ジョン・レノン)。『火球』(2001)所収。(清水哲男)


July 2372003

 美しい数式になるみずすまし

                           中山美樹

句で「みずすまし」と言えば、たいがいは「水馬」と書く「あめんぼう」のことだ。水面を細長い六本の脚で滑走する。が、生物学的分類では「鼓虫」と書く「まいまい」のこと。こちらは、水面に輪を描いて動き回る小さな黒い紡錘形の甲虫だ。ややこしいが、関西では今でも水馬を「みずすまし」と呼んでいるはずである。すなわち、昔の俳句の中心は京都だったので、歳時記的にも関西での呼称が優先されて残っているというわけだ。掲句の場合も、作者が「数式」に見えるというのだから、俳句で言ってきたほうの虫のことだろう。動きによっては、ルート記号やら微積分記号やら何やらに見えそうだからだ。この虫の動きは、じいっと流れに身をゆだねているかと思うと、突然ぱぱっと活発な動きを示す。句の趣旨に添って言うと、何か咄嗟に難しい計算をしているようでもある。たしかに数学に関心のある人だったら、一連の動きが「美しい数式」を生みだすように見えるだろう。見立てとは面白いもので、見立てた結果はその人の興味や関心のありようを、逆に照らし出すことにもなる。作者の数学的関心がどの程度のものかはわからないにしても、水馬の動きに数式をイメージする感覚はユニークと言わねばならない。先日、近々単行本になる『博士の愛した数式』を書いた小川洋子さんと対談した。この小説の中心素材も、まさに美しい数式である。実生活には何の役にも立たないはずの数式が、実は現実の人の心を最も深く結びつけるツールとなる展開は見事だ。私は下手の横好きでしかないけれど、俳句にもこうして数式が出てきたことを嬉しく思う。ついでに、その小説に出てくる数式ならぬ「数」の話を一つだけ。自然数nの、nを除くすべての約数の和がnに等しいとき、そのnを「完全数」という。例えば、6(=1+2+3)のように。そして、6の次の完全数は28(=1+2+4+7+14)である。この「28」こそが、博士の愛してやまなかった阪神・江夏豊投手の背番号だったという小川さんの設定は面白い。完全数は無限にあるそうだが、28の次は何だろう。時間に余裕のある方は探してみてください。『おいで! 凩』(2003)所収。(清水哲男)


July 2472003

 葛桜雨つよくなるばかりかな

                           三宅応人

葛桜
語は「葛桜(くずざくら)」で夏。当歳時記では「葛饅頭」の項目に入れておく。和菓子にうといので間違っているかもしれないが、一般的に葛饅頭を桜の葉で包んだものを葛桜と言うようだ。昔は東京名物だったという。「葛ざくら東京に帰り来しと思ふ」(小坂順子)。掲句の作者は小旅行の途中でもあろうか。折悪しくも雨模様の昼下り。一休みしようと入った店で、季節感の豊かな葛桜を注文したのだが、表を見るとだんだん雨は「つよくなるばかり」である。葛桜は見た目にも涼味を誘う菓子だから、すっきり晴れていてこその味なのに、降りこめられての葛桜はいわばミスマッチ。いっそう情けないような気分になって、降りしきる雨を恨めしそうに見やっている。さて、この店を出てからどうしようか……。私は雨男なので、似たようなことはしょっちゅう体験してきた。もはや、情けないとも感じなくなってしまった(苦笑)。今年の梅雨は長い。会社の暑中休暇を早めに取ったサラリーマンのなかには、こんなメにあっている人も多いのではなかろうか。逆に言えば、葛桜などを商っている人たちはもちろん、夏物商戦をあてこんでいた業者は大変である。東京の週間天気予報を見ると、晴れマークは来週の月曜日以降にしか出ていない。梅雨が明けると言われる雷も、鳴る気配すらない。やれやれ、である。なお、写真は「磯子風月堂」のHPより借用しました。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 2572003

 西からのドミノ倒しに夏怒濤

                           島本知子

語は「夏(怒)濤」だが、当サイトでは「夏の海」に分類しておく。打ち寄せる大波の高まっては崩れていく様子を、「ドミノ倒しに」と言ったところが新鮮だ。テレビでときどきドミノ倒しの模様を見かけるが、なるほど、あの行列の高まりやうねりは波のようである。同じような言い方で「将棋倒し」があるけれど、波に「将棋倒し」は似つかわしくない。ドミノ倒しが前進していくエネルギーを感じさせるのに対して、こちらは共倒れと言うか、挫折していくイメージの濃い言葉だからだ。「倒」の字が、ドミノではアクティブに、将棋では逆の意味で使われている。だから倒れる現象は同じでも、掲句では「将棋倒し」とは言えないのである。そして、この二つの相反する「倒」のイメージの差は、元はといえば、それぞれのゲームの本来の遊び方の差から来ているのだと愚考する。将棋はもちろんだが、ドミノもまた、並べて倒す遊びのために開発されたものじゃない。両者ともが知的なテーブルゲームであり、それぞれの駒はそれぞれのゲームのなかで、一つ一つに意味や価値が付与されている。決して同質同価値ではない。したがって、それぞれの駒にしてみれば、同質同価値として並べて倒されるなどは不本意だろう。それはともかく、両者のゲームの大きな違いは、ドミノがお互いの駒をつないでいくことに力点があるのに対して、将棋は相手の駒の関係を切断するところに勝負のポイントがある点だ。ドミノはつなげる、将棋は切る。この本質的なゲームとしての差が、同質同価値に並べて倒すときのイメージにも関わってくるという点が、実は回り回って掲句の解釈にも「つながって」くるのである。「俳句」(2003年8月号)所載。(清水哲男)


July 2672003

 桔梗や男に下野の処世あり

                           大石悦子

語は「桔梗(ききょう・きちこう)」。秋の七草に入っているので秋季に分類されてきたが、実際には夏の花だろう。関東地方などでは、もうとっくに散ってしまったのではなかろうか。歯切れよく咲くという感じ。凛然として鮮烈に花ひらく。一見そんな花の様子にも似て、世の「男」は潔く「下野(げや)」していくようには見えるが、実はその裏側で、ちゃっかりと「処世」の計算を働かせてのことなのだと手厳しい。官僚の天下りなどは典型だろう。後進に道をゆずると言えば格好はよろしいが、なあに、早い話が退職金をたんまりせしめて今よりも楽な仕事に就き、できるだけ遊んで暮らそうという魂胆なのだ。官僚にかぎらず、定年退職するサラリーマンでも、職場での地位が高い連中に多く見られる。「ま、当分はオンボロ子会社に籍だけ置いて……」などと、悠長にして姑息なことを言う。オンボロだろうが何だろうが、働きたくても働き口のない人で溢れている現代でも、一方ではこうした「処世」術のまかりとおる連中がいるのだ。……というようなことをよく知ってはいても、実は男はあまりそのようなことについて指摘したり指弾することを好まない。少なくとも、私はそうである。この野郎とは思っても、そんな連中に何かを言い立てれば言い立てるほど、自分が惨めになる気がするからだ。だから掲句を見つけたときには「よくぞ言って下さいました」と一も二もなく賛同はしたのだったが、ここに書くまでには相当の時間を要した。おのれのひがみ根性があからさまになるようで、ずうっと躊躇していた。もはや世間的な対面なんぞはとっくに捨てたはずなのに、いつまでも駄目なんだなあ。それこそ「桔梗」のように凛としてみたいよ。『百花』(1997)所収。(清水哲男)


July 2772003

 土用鰻劉寒吉の歌と待つ

                           八木林之助

日は土用丑の日。夏バテ防止に鰻(うなぎ)を食べる風習かある。いつもの夏なら鰻屋さん大繁盛の日だが、梅雨寒の東京あたりではどうだろうか。作者は、しかるべき店で注文し、料理が運ばれてくるのを待っている。箸袋にか、あるいは店内に飾られている色紙にか、劉寒吉(りゅう・かんきち)の歌が書かれているのだから、店のある場所は九州の鰻の名産地・柳川だろう。天然鰻で昔から有名なのは、利根川産の「下総(しもうさ)くだり」、手賀沼産の「沼くだり」、そして柳川産の「あお」と言われる。もっとも、最近はどこへ行っても、まず天然鰻にお目にかかることはないけれど……。現在の柳川では年間50万匹以上の鰻が食べられるため、河畔に鰻の供養碑が建てられており、その碑に刻まれているのが九州の著名作家・劉寒吉直筆の次の歌だ。「筑後路の旅を思えば水の里や柳川うなぎのことに恋しき」。供養の意味などどこにもない歌だし、なぜ供養のための碑に刻まれたのかは不可解だけれど、とりあえず他に適当な柳川の鰻を詠んだ歌がなかったので、これにしちゃったのだろう。むしろ句にある店のように、鰻の宣伝に使うほうが正しい使い方だ(笑)。こんな歌を読んで待っていると、どんなに美味い料理が出てくるのかと期待に胸が弾む。ちゃんとした店になればなるほど、出てくるまでに時間がかかるので、なおさらに歌の食欲助長効果は抜群と言わざるを得ない。ちょっとわくわくするような気分で待っている感じが、よく出ている。今日も柳川のどこかの店では、こんなふうにして待つ人がいるのだろう。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


July 2872003

 梅雨明けや胸先過ぐるものの影

                           吉田鴻司

日までに、東海北陸地方以西で梅雨が明けた。関東甲信地方も昨日の空の様子からして、やっと今日あたりには明けてくれそうである。今年はあまり梅雨の晴れ間もみられず、長い雨期だったというのが実感だ。九州では、大出水による被害が甚大だった。これからは一気に暑さが高まるのだろうが、鬱陶しい梅雨の明ける解放感は心地よい。梅雨明けの喜びを何に感じるかは人さまざまだろうけれど、私は作者と同様に、まずは日の光りに感じる。強い日の光りは濃い影を生む。「胸先」を過ぎてゆくあれやこれやの「ものの影」は、つい昨日までのぼんやりとした影とも言えないような影とは違って、鮮明である。その鮮明さが楽しく、作者は胸をしゃんと張って歩いている。というわけで、掲句は喜びを視覚的に捉えた句だが、聴覚的、臭覚的に詠んだ句も多い。一つずつ例をあげておこう。本宮銑太郎の「梅雨明けのもの音の湧立てるかな」は、掲句の視覚的な素材をそっくり聴覚的に置き換えたような作品だ。朝の時間だろう。久しぶりに開け放った窓から入ってくる「もの音」は、世の中にはこんなにいろいろとあったのかと驚くほどに、次から次へと湧き立ってくるのであった。臭覚的に捉えた作品のなかでは、林翔の「梅雨明けや深き木の香も日の匂」が好きだ。ひとり、山中にある情景か。上掲の二句が胸弾むように詠んでいるのに比べて、この句は静かに染み入るような感情を醸し出している。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


July 2972003

 鱶の海青きバナヽを渡しけり

                           杉本禾人

語は「バナヽ(バナナ)」で夏。「バナヽ」の表記からもわかるように、古い句だ。虚子が書いた「ホトトギス」の雑詠評『進むべき俳句の道』(角川文庫・絶版)に出てくるから、どんなに新しくても大正初期までの作品である。虚子はこの句を「繪日傘に百花明るき面輪哉」などとともに、作者が色彩に敏感な例として選んでいる。以下は、虚子の解釈だ。「鱶(ふか)のたくさんゐる大洋をたくさんの青い芭蕉の實を乘せた船が航海しつつあるといふのであるが、それを大洋ともいはず、汽船ともいはずただ鱶の海といひ、青きバナヽを渡したといふところにこの句の特別な感興はある。これも畢竟作者の感興は、バナヽの青い色にあつて、それを乘せてゐる船などはこれを問ふ必要はなく、また大洋もこの場合他の性質を持出す必要はなく、鱶のたくさんゐるやうな恐ろしい海であることだけを現はせば十分なのであつて、その鱶のゐるやうな大洋の上を、もぎたての青いバナヽは南の島から北の國へと運ばれつつある、といつたのである」。とくに異議をさしはさむところのない解釈だ。ただ面白いなと思うのは、この句が発想を得た実際の光景がどんなふうであるのかを、虚子が躍起になって説明している点である。この句だけをポンと出されたとすると、瞬間、誰にもかなり特異なイメージが浮かんでくるはずだ。私などは句そのままに、凶暴な鱶の群れる海の上を呑気な感じで巨大な青いバナナが渡って行く絵を想像してしまった。つまり、シュルレアリスムの絵か、あるいは現代風なポップ感覚のそれをイメージしたわけで、その意味から悪くないなと思ったのだが、作者が句を書いたころには、むろんそんな絵は存在しない。だから虚子は、掲句をそのまんまに突飛なイメージとして読んではいけない、元はといえばごく普通の情景を詠んだものだからと、口を酸っぱくしているのだ。この句が現代に登場したとするならば、おそらくはそのまんまの姿で楽しむ読者が大半だろう。もはや、虚子の躍起の正論は通用しないのではあるまいか。すなわち、句の解釈もまた世に連れるということである。(清水哲男)


July 3072003

 統計的人間となりナイターに

                           中村和弘

球には勝率だの打率だのと、いろいろな数字がつきものだ。他のスポーツに比べて、だんぜん多い。「統計」という文字から、作者は球場でそうした数字をあれこれと浮かべながらゲームを楽しんでいる。と、最初は思ったが、どうやらそういうことではないらしいと思い直した。そうではなくて、今夜の入場者数は五万人だとか三万人だとかと言うときの、その統計的数字に自分も入っているという意味だろう。たしかに、同じ目的で集まった何万人もの人のなかにいると、なんとなく自分が無機的な存在になったような気がする。それを称して「統計的人間」と言ったのだと思う。その試合がたまたま歴史に残るような好ゲームだったりすると、あとで「あのときの三万人のなかに俺もいたんだ」と回顧したりするから、決して自嘲的な意味で「統計的人間」と言っているのではないことに留意しておきたい。ところで、掲句の季語はむろん「ナイター」で夏季だが、ドーム球場が増えてきた現在では、だんだん実感が伴わなくなってきた。ドームに季節は関係ないからだ。いつの日かすべての球場がドーム化されてしまえば、この季語も消滅する。そうなると、野球に関連した季語で残るのは一部の歳時記や当サイトで採用している「日本シリーズ」くらいのもので淋しいかぎりだ。野球季語といえば、戦前から戦後しばらくにかけて「(東京)六大学リーグ戦」という季語が歳時記に採用されたことがあるという。村山古郷が1968年に書いた文章から引用しておく。「新季題として登場したが、流行の脚光を浴びることなく、廃れてゆく運命にあるように思われる。句に詠み込むに不適だという点があるのだろうか。現代俳人は『春闘』や『メーデー』を句にする。『ナイター』や『サッカー』が季題として詠まれている以上、『六大学リーグ戦』だけが不適とは思われない。季題として長すぎるというならば、『リーグ戦』と俳句的略称もできる筈だ。にもかかわらず、この季題がほとんど句にされていないのは、不思議である」。あの江川卓が早慶戦に憧れて慶応を受験するのは1977年のことだから、まだ六大学野球の人気が高かったころの文章だ。人気薄のいまなら詠まれないのもわかるが、当時としてはやはり不思議と言わざるを得ない。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 3172003

 ふだん着の俳句大好き茄子の花

                           上田五千石

語は「茄子の花」で夏。小さくて地味な花だが、よく見ると紫がかった微妙な色合いが美しい。昔から「親の意見となすびの花は千に一つの無駄がない」と言われるが、話半分にしても、見た目よりはずっと堅実でたくましいところがあるので、まさに「ふだん着」の花と言えるだろう。作者は、そんな茄子の花のような句が「大好き」だと言っている。作者のような俳句の専門家にはときおり訪れる心境のようで、何人かの俳人からも同様の趣旨の話を聞いたことがある。技巧や企みをもって精緻に組み上げられた他所行きの句よりも、何の衒いもなくポンと放り出されたような句に出会うと、確かにホッとさせられるのだろう。生意気を言わせてもらえば、私もこのページを書いていて、ときどき駄句としか言いようのない句、とんでもない間抜けな句に惹かれることがある。それもイラストレーションの世界などでよくある「ヘタウマ」の作品に対してではない。「ヘタウマ」は企む技法の一つだから、掲句の作者のような心持ちにあるときには、かえって余計に鼻についてしまう。純粋無垢な句と言うのも変だろうが、とにかく下手くそな句、「何、これ」みたいな句がいちばん心に染み入ってくるときがあるのだ。私ごときにしてからがそうなのだから、句歴の長いプロの俳人諸氏にあってはなおさらだろう。そしてこのときに「ふだん着」は、みずからの句作のありようにも突きつけられることになるのだから、大変だ。茄子の花のように下うつむいてひそやかに咲き、たくましく平凡に結実することは、知恵でできることではない。「大好き」とまでは言ったものの、「さて、ならば、俺はどうすんべえか」と、このあとで作者は自分のこの句を持て余したのではあるまいか。『琥珀』(1992)所収。(清水哲男)




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