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2003ソスN6ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1662003

 伯母逝いてかるき悼みや若楓

                           飯田蛇笏

語は「若楓(わかかえで)」で夏。楓の紅葉も見事だが、若葉青葉も美しい。句の読みどころは、むろん「かるき悼み」だ。訃報に接して、しくっと胸に来た。だが、それ以上の重い悼みの心は湧いてこない。おそらく「伯母」なる人は、長患いだったのだろう。親類縁者も、近い将来にこの日が来ることを予測していたのだと思われる。また、彼女の死によって、幼い子が遺されるといったような、周辺に直接的な不幸の種が芽生える気遣いもなかったのだ。そして、彼女自身にも死の覚悟ができていることを、作者は薄々ながら知っていた。だから「ああ、やつぱり……」という気持ちになった。こうした想像力を読者に呼び覚ます力は、すべて「かるき」の措辞にある。しくっとした心に若楓の明るさが染みとおるような句で、なまじな追悼句よりも鮮烈ではないか。ただ、作者にしてみれば、発表に際してはよほどの勇気が必要だったにちがいない。「かるき悼み」を不謹慎な表現と読むのが、世間一般というものの文法であるからだ。そして俳句は、世間一般に顔を向けている。この文法が如何に強力であるかについては、読者諸兄姉が先刻ご承知なので、いまさらくだくだしく述べる必要はないだろう。もしも自分が作者と同じような気持ちだったとしたら、こんなふうに詠めるだろうか。ちょっと想像してみるだけで、作者の勇気が実感される。しかも、作句されたのが大正四年(1915年)であることを思えば、なおさらである。『山廬集』(1932)所収。(清水哲男)


June 1562003

 パナマ帽へ手を当つ父の遠会釈

                           菊井稔子

パナマ帽
語は「パナマ帽(夏帽子)」。元気だったころの父親を偲んだ句だ。帽子にちょっと手をかけて「遠会釈」する仕草に、当時の作者はいちばん父らしさを感じていたのだろう。父というと、今でもまずその様子が浮かんでくる……。日本の男が帽子を大いに愛用したのは、明治期から戦後十年くらいまで。戦前の繁華街のスナップ写真を見ると、帽子姿の男が多い。私の父も、いくつか帽子を持っていた。ピーク時の着用率は昭和初期で九割だったというから、作者の父親の帽子姿も一般的だったわけだが、この帽子が「本パナマ」だとしたら、相当な洒落者だったと推測される。漱石も書いているように、本物のパナマはとても高価だった。となると、そんなダンディな父親を、娘は誇らしげに思っていたことになる。格好いいお父さんの格好いい挨拶。往時の父親の残像を通して、古き良き時代を懐かしんでいる。写真のポスターは句にふさわしくはないけれど、パナマ帽が世界的なダンディズムの象徴だった証拠として掲げておく。『BONNIE AND CLYDE(邦題・俺たちに明日はない)』(1967)。舞台は大恐慌時のアメリカで、主人公の若者は刑務所を出たばかりのちんぴらのくせに、パナマ帽を小粋にかぶっているという設定だ。このダンディな姿に女が一目ぼれするところから、映画が動き出す。意気投合した二人は強盗になり派手に暴れまくるのだが、最後には警官隊に包囲され猛烈な銃撃を浴びて死んでいく。警察に二人を売ったのは、途中から仲間に加わった男の父親だった……。今日は「父の日」。『花の撓』(2003)所収。(清水哲男)


June 1462003

 笹百合や嫁といふ名を失ひし

                           井上 雪

笹百合
語は「笹百合」(写真参照)で夏。葉が笹に似ている。山野に自生し、西日本を代表する百合の花と言われてきたが、最近はずいぶんと減ってしまったようだ。生態系の変化もあるけれど、根元から引っこ抜いていく人が後を絶たないからだという。でも、自宅で育てるのは非常に難しいらしい。さて、句の前書には「姑死す」とある。作者は寺門に嫁いだ人だから、それだけ「嫁」の意識は強かったのだろう。私の知人に、つい数年前に僧侶と結婚した人がいる。ごく平均的なサラリーマンの娘だった。で、話を聞いてみると、なかなかに戸惑うことも多いらしい。新婚当時、二人で寺の近所を散歩していたら、檀家衆から「並んで歩くのは如何なものか」という声が聞こえてきたという。以来、本当に三歩ほど下がって歩いているというのだから、この一事をもってしても、「嫁」を意識するなというほうが無理である。もちろん、掲句の作者の生活については何も知らない。が、やはり「姑」との関係は、世間一般の人のそれよりも濃密であったと想像される。亡くなられて、まず「嫁といふ名」を思ったことからも、そのことがよくうかがえる。このときに「笹百合」は、清楚な生涯を送った姑に擬していると同時に、ひっそりと、しかししっかりと咲く姿を、今後の自分のありように託していると読んだ。追悼句ではあるけれど、単なる悼みの句だけに終わっていないところは、やはり「嫁」ならではの発想であり発語だと言うべきか。『和光』(1996)所収。(清水哲男)




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