我々はいつの間にか想像力を失った。馬鹿な法律にも反対できない馬鹿になってる。




2003ソスN6ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0862003

 まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる

                           西東三鬼

語は「まくなぎ」で夏。「めまとい」とも。夕方、野道などで目の前に群れ、うるさくつきまとう微小な虫。こいつが出てくると、夏だなあと思う。糠蚊(ぬかが)と言われ、世界には人の血を吸う種類も含んで4000種ほどいるそうだが、よく見えないのでどれがどれやら区別する気にもならない。とにかく、払いのけるだけである。このちっちやな虫の集団の羽音が聞こえたら、さぞや物凄いだろうと発想したのが、作者の凡ならざるところ。自註がある。「門の傍に楠が一本立つてゐてそれに添つて地上十尺の所にいつもまくなぎがかたまつて猛烈に上下してゐた。その微小な蟲共は全く狂つてゐた。然し彼等が生命を持つてゐることは疑へない。生命を持つものの大叫喚が聞こえないのは人間の耳が不完全だからだ」。不完全で結構、聞こえなくて大いに結構。まくなぎの阿鼻叫喚まで聞こえたら、こっちのほうが叫喚してしまうだろう。想像するだに慄然とする。一般的に人よりも昆虫のほうが聴覚に優れているそうなので、まくなぎ自身にはお互いの発する音が聞こえるのかもしれない。となると、彼らにとっての掲句は文字通りの糞リアリズム句ということになる。うるさくて、自分自身までをも払いのけたい衝動が、阿鼻叫喚の狂気を呼んでいるのかと想像すると、これまた慄然とさせられる。大袈裟な物言いの句だと、面白がってもいられない気分だ。『西東三鬼全句集』(1971)所収。(清水哲男)


June 0762003

 経験の多さうな白靴だこと

                           櫂未知子

語は「白靴(しろぐつ)」で夏。昔から「足下を見る」と言う。駕篭やが旅人の足の疲れ具合を見て取って、駕篭賃を釣り上げたことによる。くたびれた草鞋なんぞを履いたりしていたら、たちまち吹っかけられてしまう。このようなこともあって、履物を見てその人のありようを読むことは、それこそ昔から行われてきた。作者もそのようなまなざしで他人を評しているわけだが、「経験の多そうな白靴」という表現は面白い。何の経験なのかと、問うのは野暮だろう。少なくとも、作者の価値観からすると、あまり讃められた経験ではなさそうだからだ。強引なセールスだとか、あるいはもっと個人的な神経に障るある種の言動だとか……。その人ではなくて別な人が履いていれば単なる白い靴でしかないものが、その人が履いていることによって曰くあり気に見えたというのである。つまり作者は、その人にパッと先入観を持ってしまい、それが当たっていそうだと、白靴を見て納得している。このときに、白靴は作者の先入観をかなり具体的に裏付けた(ような気がした)というわけだ。駕篭やが足下を見たのも同様で、最初から足下だけを見たのではない。あくまでも直感的な全体の印象から判断した上で、足下でいわばウラを取った。句のリズムも面白い。音数的にはきっちり十七音なのだが、いわゆる五七調的には読み下せない仕掛けだ。十七音に籠りながらも、故意にリズムを崩している。この故意が、句意をより鮮明にしている。「俳句研究年鑑」(2003年版)所載。(清水哲男)


June 0662003

 ぼうたんの夢の途中に雨降りぬ

                           麻里伊

語は「ぼうたん(牡丹)」で夏。やわらかい句だ。このやわらかさには、ホッとさせられる。作者が牡丹の夢を見ているのか、あるいは牡丹そのものが夢見ているのか。助詞「の」の解釈次第で、二通りに読める。どちらだろう……。などと考えるようでは、俳句は読めない。この二通りの読みが曖昧に重なっているからこそ、句のやわらかさが醸し出されてくる。いずれかに降る雨だとすれば、甘すぎる砂糖菓子のようなヤワな句になってしまう。すなわち、「の」の曖昧な使い方が掲句の生命なのである。先日の「船団」と「余白句会」のバトル句会に思ったことの一つは、詩人は句作に際して、言葉の機能を曖昧に使わないということだった。イメージを曖昧にすることはできても、言葉使いを意識して曖昧にはできないのだ。だから、どうしても「何が何して何とやら」みたいな句になってしまう。対するに、掲句は「何やらが何して何である」という構造を持つ。ポエジー的には、どちらが良いと言う問題ではない。三つ子の魂百まで。両者の育ちの違いとでも言うしかないけれど、掲句のように言語機能の曖昧な使い方を獲得しないかぎり、自由詩の書き手が俳句で自在に遊ぶところまでは届かないのではあるまいか。むろん、他人事じゃない。私にとっても、現在ただいま切実な問題なのである。『水は水へ』(2002)所収。(清水哲男)




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