有事3法。我々の先輩方の血であがなった平和憲法をいとも簡単に捨てる能天気共。




2003ソスN6ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0762003

 経験の多さうな白靴だこと

                           櫂未知子

語は「白靴(しろぐつ)」で夏。昔から「足下を見る」と言う。駕篭やが旅人の足の疲れ具合を見て取って、駕篭賃を釣り上げたことによる。くたびれた草鞋なんぞを履いたりしていたら、たちまち吹っかけられてしまう。このようなこともあって、履物を見てその人のありようを読むことは、それこそ昔から行われてきた。作者もそのようなまなざしで他人を評しているわけだが、「経験の多そうな白靴」という表現は面白い。何の経験なのかと、問うのは野暮だろう。少なくとも、作者の価値観からすると、あまり讃められた経験ではなさそうだからだ。強引なセールスだとか、あるいはもっと個人的な神経に障るある種の言動だとか……。その人ではなくて別な人が履いていれば単なる白い靴でしかないものが、その人が履いていることによって曰くあり気に見えたというのである。つまり作者は、その人にパッと先入観を持ってしまい、それが当たっていそうだと、白靴を見て納得している。このときに、白靴は作者の先入観をかなり具体的に裏付けた(ような気がした)というわけだ。駕篭やが足下を見たのも同様で、最初から足下だけを見たのではない。あくまでも直感的な全体の印象から判断した上で、足下でいわばウラを取った。句のリズムも面白い。音数的にはきっちり十七音なのだが、いわゆる五七調的には読み下せない仕掛けだ。十七音に籠りながらも、故意にリズムを崩している。この故意が、句意をより鮮明にしている。「俳句研究年鑑」(2003年版)所載。(清水哲男)


June 0662003

 ぼうたんの夢の途中に雨降りぬ

                           麻里伊

語は「ぼうたん(牡丹)」で夏。やわらかい句だ。このやわらかさには、ホッとさせられる。作者が牡丹の夢を見ているのか、あるいは牡丹そのものが夢見ているのか。助詞「の」の解釈次第で、二通りに読める。どちらだろう……。などと考えるようでは、俳句は読めない。この二通りの読みが曖昧に重なっているからこそ、句のやわらかさが醸し出されてくる。いずれかに降る雨だとすれば、甘すぎる砂糖菓子のようなヤワな句になってしまう。すなわち、「の」の曖昧な使い方が掲句の生命なのである。先日の「船団」と「余白句会」のバトル句会に思ったことの一つは、詩人は句作に際して、言葉の機能を曖昧に使わないということだった。イメージを曖昧にすることはできても、言葉使いを意識して曖昧にはできないのだ。だから、どうしても「何が何して何とやら」みたいな句になってしまう。対するに、掲句は「何やらが何して何である」という構造を持つ。ポエジー的には、どちらが良いと言う問題ではない。三つ子の魂百まで。両者の育ちの違いとでも言うしかないけれど、掲句のように言語機能の曖昧な使い方を獲得しないかぎり、自由詩の書き手が俳句で自在に遊ぶところまでは届かないのではあるまいか。むろん、他人事じゃない。私にとっても、現在ただいま切実な問題なのである。『水は水へ』(2002)所収。(清水哲男)


June 0562003

 芸大の裏門を出てラムネ飲む

                           永島理江子

語は「ラムネ」で夏。大学とは限らず、どんな裏門にも、正門とは違った姿がある。そして、その姿には例外なく隙(すき)がある。正門は常に緊張していて隙を見せないが、裏門はどことなくホッとしているようで、力が抜けている。だから、裏門を通って外に出ると、人もまたホッとする。不思議なことに、正門から出たときにはあまり振り返ったりしないものだが、裏門からだと、つい振り返りたくなる。裏門は油断しているので、振り返ると門の中の真実が見えるような気がするからだ。実際、振り返ると、「ああ、こんなところだったのか」と合点がいく。そこで作者はホッとして、ラムネを飲んだというわけだ。何かクラシカルなイベントでも見てきたのだろう。クラシックなイメージの濃い「芸大」に対するに、ポップな「ラムネ」。学問としてのアートに対して、庶民の生んだアート。作者は自分の行動をそのまんま詠んだのだろうが、図らずもこんな取り合わせの面白さが浮き上がってきた。べつに「芸大」でなくたって同じこと、と思う読者もいるかもしれない。でも、たとえばこれを「東大」などに入れ替えてみると、どうなるだろうか。今度は、学問的知対庶民的知という格好になって、句がいささか刺々しくなってくる。どこかに、いわゆる象牙の塔に対する庶民の意地の突っ張りみたいなニュアンスが出てきてしまう。やはり、ラムネ飲むなら芸大裏がいちばんなのだ。「俳句研究」(2002年8月号)所載。(清水哲男)




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