当分は良い天気がつづきそうだ。早朝に目覚めて窓を開けるのが楽しみなのです。




2003ソスN6ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0362003

 何か負ふやうに身を伏せ夫昼寝

                           加藤知世子

語は「昼寝」で夏。昼寝というと、たいがいは呑気な寝相を思ってしまうが、掲句は違う。「身を伏せ」て寝るのは当人の癖だとしても、何か重いものを負っているかに見えるというのである。最近の夫の言動から推して、そんな具合に見えているのだろう。痛ましく思いながらも、しかしどうしてやることもできない。明るい夏の午後に、ふっと兆した漠然たる不安の影。この対比が、よく生きている。一つ家に暮らす妻ならではの一句だ。ちなみに、「夫」は俳人の加藤楸邨である。ただ実は、作者・知世子の夫を詠んだ句には、このようなシリアスな句は珍しい。例外と言ってもよいくらいだ。家庭での楸邨はよほどの怒りん坊であったらしく、その様子は多くカリカチュアライズされて妻の句に残されている。「怒ることに追はれて夫に夏痩なし」。これまた妻ならではの句だけれど、距離の置き方が掲句とは大違いだ。ああまた例によって怒ってるなと、微笑すら浮かべている。なかで極め付けは「夫がき蜂がくすたこらさつさとすさるべし」だろう。「き」と「く」は「来」で、なんと夫を「蜂」と同じようなものだとしているのだから、思わずも笑ってしまう。三十六計逃げるに如かず、君子危うきに近寄らず。と、楸邨の癇癪玉を軽く避けている図もまた、長年連れ添った妻ならではの生活模様だ。夫よりも一枚も二枚も上手(うわて)だったと言うしかないけれど、しかし読者には、これで結局はうまくいっている夫婦像が浮かび上がってくる。『朱鷺』(1962)所収。(清水哲男)


June 0262003

 紫陽花のパリーに咲けば巴里の色

                           星野 椿

来が、「紫陽花(あじさい)」は日本の花だ。日本から中国を経由して、18世紀末にヨーロッパに渡ったと言われる。しかし、皮肉なことに、日本では色が変わることが心変わりと結びつけられ、近世まではさしたる人気はなかった。『万葉集』には出てくるけれど、平安朝の文学には影も形も見られない。ところが、逆にヨーロッパ人は色変わりを面白がり、大いに改良が進められたので、現代の日本には逆輸入された品種もいくつかある。だからパリの紫陽花は改良品種ゆえ、「パリーに咲けば巴里の色」は当たり前なのだが、もちろん作者は、そんな植物史を踏まえて物を言っているわけではない。同じ紫陽花なのに、巴里色としか言いようのない色合いに心惹かれている。この街に「日本色」の紫陽花をそのまま持ってきたとしても、たぶん似合わないだろう。やはり、その土地にはその土地に似合う色というものがあるのだ。いや、その色があってこそのその土地だとも言える。ヨーロッパで紫陽花を見たことはないが、たとえば野菜の色だって微妙に異っている。そこらへんの八百屋の店先に立っただけで、なんとも不思議な気分におちいってしまう。トマトやらジャガイモやら、お馴染みの野菜たちの色合いが日本のそれとは少しずつ違うからだ。その微妙な色合いの差の集積が店内の隅々にまで広がっている様子に、よく「ああ、俺は遠くまで来てるんだ」と思ったことだった。私には、そぞろ旅情を誘われる句だ。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


June 0162003

 冷し中華運ぶ笑顔でぞんざいで

                           星川佐保子

近はあまり見かけなくなったが、以前は食堂の表に「冷し中華はじめました」とか「生ビールはじめました」などの張り紙が出た。これを見ると、夏近し……。なんとなく明るい気分になったものだ。「冷し中華」を季語として採用している歳時記はまだ少ないけれど、これから編まれるものには不可欠な項目となるだろう。掲句の舞台は、既に夏の盛りの大衆的な食堂だ。混みあっている雰囲気を、よく伝えている。注文した冷し中華の皿を、女店員がまことに「ぞんざいに」卓上に音立てて置いたのだ。思わずもムッとして顔を見上げると、そこにあったのは屈託のない笑顔だった。これじゃ、憎めない。見るともなく見ていると、彼女はどのテーブルにも同じような調子で運んでいる。こうしたところの店員のマナーの悪さは、いまにはじまったことではないけれど、あくまでも笑顔を絶やさずに運んでいるのだから、彼女に悪気はないのである。むしろ、活気のある働き者なのだ。この明るいぞんざいさも、また夏の風物詩。と、作者が思ったかどうかは知らないが、私にはそんなふうに写る。こんな句もあった。「ヘルメット冷し中華の酢に噎せる」(後藤千秋)。食べるほうにしても、これだ。冷し中華をしみじみ味わおうなんて客は、そんなにいないのではあるまいか。ほとんどが、ぞんざいに食べている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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