蟄」隱槭′陷倩屁縺ョ句

May 3052003

 蜘蛛の圍に蜂大穴をあけて遁ぐ

                           右城暮石

川博年が、神田の古本屋で見つけたからと、戦後十年目に出た角川文庫版の歳時記を送ってくれた。現在の角川版に比べると、例句はむろんだが、項目建てもかなり違っている。たとえば掲句の季語「蜘蛛の圍(くものい)」も、いまでは「蜘蛛」の項目に吸収されているけれど、その歳時記には独立した項目として建てられている。それほど、まだ蜘蛛の巣がポピュラーだったわけだ。ついでに、解説を引いておこう。「蜘蛛そのものは決して愛らしい蟲ではないが、雨の玉をいつぱいちりばめて白く光つている網は美しい。風に破れた網は哀れな感じがする。つくりかけてゐる網を見てゐると迅速で巧緻なのに驚く」。掲句の句意は明瞭で、解説の必要はない。誰にでも思い当たる親しい光景だった。網を破られた蜘蛛がかわいそうだというのではなく、作者はむしろ微笑している。蜘蛛の巣はそれこそ「迅速に」何度でも再生できるので、心配する必要がないからだ。田舎での少年期には、蜘蛛の巣にはずいぶんとお世話になった。針金を円状にして竿の先に付け、こいつに蜘蛛の巣を巻き付けて蝉捕りをやった。まあ、蜘蛛の餌捕りの真似をしていたわけだ。油蝉などはたいていの蜂よりもよほど強力だから、句のような弱い網だと、簡単に遁(に)げられてしまう。だから、太くて粘着力の強い蜘蛛の巣を見つけるのが一苦労で、実際の蝉捕りより時間がかかることも多かった。やっと見つけて、慎重にくるくると巻き付ける感触には何とも言えない充実感を覚えたものだ。本当はこんなことがお釈迦様に知れるとまずいのだけれど、ま、いいか。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


October 19102007

 がちやがちやに夜な夜な赤き火星かな

                           大峯あきら

夜同じ虫が同じところで鳴く。巣があるのか、縄張りか。がちゃがちゃの微かだが特徴のある声が聞こえ、夜空には赤い大きな火星が来ている。俳句は瞬間の映像的カットに適した形式だと言われているが、この句の場合はある長さの時間を効果的に盛り込んでいる。加藤楸邨の「蜘蛛夜々に肥えゆき月にまたがりぬ」と同じくらいの時間の長さ。この句、字数が十七。十七音定型を遵守した場合での最大、最長の字数になる。句は意味内容の他に、リズムや漢字、ひらがななどの文字選択、そして字数もまた作品の成否に関わる要素になる。音が同じで字数が少なければ一句は緊縮した印象を与え、字数が混んでいれば叙述的な印象を与える。がちゃがちゃという言葉が虫の名を離れてがちゃがちゃした「感じ」を醸し出すのもこの字数の効果だ。一句の中で文字ががちゃがちゃしているのである。十七音を遵守した上で、最少の字数で作ってみようとしたことがある。九字の句は作れたが、それが限度だった。もちろん内容が一番肝心なのだが。『牡丹』(2005)所収。(今井 聖)


July 2972008

 わが死後は空蝉守になりたしよ

                           大木あまり

いぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしていたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関に駄菓子屋さんで見かけるような大きなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに棒立ちになってしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻はこの世に残るものだから好き」なのだとも。その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろう。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれる。掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。石田郷子〈蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子〈水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子〈夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子)




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