「現代詩手帖」が戦後関西詩を特集。惜しむらくは京都関連の年表が雑に過ぎる。




2003ソスN5ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2852003

 蟻地獄ことのあとさき静かなる

                           杉浦恵子

語は「蟻地獄」で夏。蟻などの小さな昆虫を捕らまえて食べることから、この名がついた。こやつは幼虫(成虫が薄羽蜉蝣)ながら、まことに無精にしてずる賢さに長けた虫だ。などと安易に擬人化してはいけないのだが、とにかく砂地に適当に穴を掘って、日がな一日じいっと獲物が落ちてくるのを待っている。昔は、縁の下などでよく見かけたものだ。句の「こと」は、獲物を引っかけた直後に起こる惨劇を指しており、なるほどその「あとさき」は何事もなかったように不気味に静まりかえっている。直接的には、この解釈でよいだろう。が、句はここで終わらない。惨劇を「こと」とぼかしたことにより、この「こと」について読者が自在にイメージをふくらますことができるからである。それでなくとも蟻地獄という言葉自体が連想を呼びやすく、加えて「こと」のぼかしなのだから、たとえ意識を直接的な出来事だけに集中したとしても、イメージはおのずからふくらんでしまうと言うべきか。つまり、読者は自然に虫の世界の出来事から浮き上がって、程度の差はいろいろあるにしても、人間世界のあれこれに思いが至ってしまうのだ。作者が、どこまでこの構造を意識して詠んだのかは知らない。が、そんなこととは無関係に、掲句は、いやすべての俳句は、このようにして勝手にひとりで歩いていく。『旗』(2002)所収。(清水哲男)


May 2752003

 昼酒や真田の里の青あんず

                           井本農一

語は「あんず(杏)」で夏。「真田の里」といえば、智将真田幸村(信繁)などで知られる真田家発祥の地の長野県真田町のことだが、近くの更埴市が杏の名産地であることを考え合わせると、必ずしも真田町で詠まれた句と限定しなくてもよいだろう。なによりも、ゆったりとした句柄に惹かれる。時間軸に真田家三代の歴史を置き、空間には鈴なりの杏の珠をちりばめ、そのなかの一点で、作者が静かに昼の酒を味わっている構図の取り方が、実にさりげなくも巧みと言うべきだ。まだ熟していない「青あんず」には、悲劇のヒーロー・幸村の、ついに一歩及ばず熟することのなかった夢が明滅しているかのようである。そして、いかにも旨そうな酒の味。こんな酒なら、日本酒を飲まない私も、少しは付きあってみたくなった。でも、駄目だろうな。とても、こんなふうには詠めないという自信がある。元来が短気でせかせかした性格だから、とりわけて旅行中などは、なかなかゆったりとその場その場を味わうことができないからだ。次へ次へと、旅程のことばかりが気になるのである。逆に、そんな性格だからこそ、掲句のゆったりした世界に惹かれるということだろう。泰然たる人を見かけると、いつだって、つくづく羨ましいと思ってきた。それこそ、ついに熟することのない私のささやかな夢が、掲句にくっきりと炙り出された格好だ。作者の井本農一は、中世・近世文学、特に俳文学が専門の学者で、『日本の旅人・宗祇』『おくのほそ道をたどる』『芭蕉=その人生と芸術』など多くの著書がある。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


May 2652003

 尺蠖に瀬戸大橋の桁はずれ

                           吉田汀史

語は「尺蠖(しゃくとり・尺取虫)」で夏。パソコン方言(?!)で言うならば、普通の(笑)を通り越した(爆)の句だ。「瀬戸大橋」は見たことがないけれど、先日、その三分の一ほどの長さの明石海峡大橋を眺めてきたばかりなので、句集をめくっているうちに、句が向こうから飛び込んできた。瀬戸大橋の構想は既に明治期にあったそうだが、架橋によって発生した諸問題はひとまず置くとして、人間というのは何とどえらいことを仕出かす生き物なのだろうか。というのが、明石大橋を間近に見ての実感だった。この句に企んだような嫌みがなく素直に笑えるのは、作者がまず、そのどえらいこと自体に感嘆しているからだ。全長約10キロに及ぶ長い橋に体長5センチほどの「尺蠖」を這わせて長さを測らせるアイデアは、簡単に空想はできても、空想だけでは「桁はずれ」とは閉じられない。なぜなら、「桁はずれ」とはあまりに出来過ぎた言葉だからだ。空想句の作者だと、そのことがひどく不安になり、なんとか別の言葉で少しでもリアリティを持たせようとするだろう。が、掲句の作者は堂々と「桁はずれ」とやった。大橋のどえらさを、実感しているからこその措辞である。このどえらさを前にしては、出来過ぎも糞もあるものか。そんな心持ちが伝わってくる。あるいは読者のなかには、「桁はずれ」に「(橋)桁外れ」の黒いユーモアを読もうとする人もありそうだが、そこまで斟酌する必要はないだろう。直球一本句として読んだほうが、よほど愉快だ。『一切』(2002)所収。(清水哲男)




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