早朝の新幹線を使って久留米行き。飛行機には乗りません。久留米は晴れの予報!!




2003ソスN5ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1752003

 出立の彼を頭上に溝浚う

                           岡本信男

語は「溝浚う(みぞさらう)・溝浚へ」で夏。都会では蚊などの発生を防ぐため、田舎では田植え前の用水の流れをよくするため、この時期にいっせいに溝を浚う。現代の東京あたりでは、溝やらドブは全くと言っていいほどに見られなくなっている。したがって、町内いっせいの溝浚いも姿を消した。先日、神戸の舞子駅に降りたら、駅のすぐそばに奇麗な溝のある住宅街があり、懐しかった。細い溝ても、多少汚くても、町の中に水が流れているのは良い気分だ。対して、句の溝は田舎の溝である。道路よりもかなり低いところにあって、幅も広い。作者が浚っていると、これから「出立」する「彼」が挨拶に来た。同世代の友人だろうか。ちょっと旅行に行くというのではなくて、都会に働きに行くのか、あるいは大学などへの入学のためか。いずれにしても、もうちょくちょくは会えない遠いところに出かけていくのである。そんな彼を見上げるようにして、作者も挨拶を交わす。自分とは違って、彼のパリッとしたスーツ姿がまぶしい。お互いの今いる位置の高低の差が、なんとなくそのまま未来の生活の差になるような……。都会へ都会へと、田舎を捨てて出ていく人の多かった時代の雰囲気をよく捉えた佳句だ。その後の長い年月を経た今、出ていった「彼」はどうしているだろうか。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


May 1652003

 起し絵の男をころす女かな

                           中村草田男

起し絵
語は「起し絵(おこしえ)」で夏。昨日につづいて「死季語」の登場です。極彩色の錦絵、浮世絵に鋏を入れ、芝居の舞台などを立体的に組み立てる遊びで、江戸から大正にかけて流行した。言うなれば、元祖ペーパークラフト。関西では「立版古(たてはんこ)」と呼んだ。夏の縁側などにこれを置き、蝋燭の明かりで楽しんだことから夏季に分類されてきた。句は、子供時代の回想だろう。ゆらめく灯のなかに、いままさに「男をころす女」の姿が不気味に浮き上がっている。母親や近所のおばさん、お姉さんとは違って、こういう怖い女の人もいるのかと凝視した。でも、当時は自覚しなかったけれど、ただ単に怖いというのではなく、どこかでその女の人に魅かれていたことも確かだった。いまだに起し絵の情景を鮮かに思い浮かべられるのは、そんな仄かな性の目覚めがあったからである。と、単純な句柄ながら含蓄のある句だ。ところで、起し絵そのものは昭和期以降急速に廃れていったが、系譜はのちの少年雑誌の組み立て附録として受け継がれ、現代でも紙製ではないけれど、ジオラマ風の展示物として博物館などで見ることができる。図版は、園田学園女子大学のHPより借用した。ちょっと暗くて見にくいが、近松半二作『妹背山婦女庭訓』山の段(吉野川)の組み上げ絵である。『長子』(1936)所収。(清水哲男)


May 1552003

 をかしきや脚気などとは思へねど

                           星野麥丘人

ほど突発的な身体的変調をきたさないかぎり、病院に行く前に、私たちは自分の病気や病名の見当をつけていく。素人なりに、自己診断をしてから出かける。で、たいていの場合、自己診断と医師のそれとは合致する。外れても、大外れすることはあまりない。作者の病状はわからないが、なんとなくだるい感じがつづくので、診てもらったのだろう。ところが医師の口から出てきた病名は、自己診断の範囲から大きく外れていた。思いもかけぬ病名だった。ええっ「脚気(かっけ)」だって、それもいまどき。昔はよく聞いた病名だが、長らく忘れていた。周囲にも、脚気の人など誰もいない。それがよりによって我が身に発症するとは、信じられない。到底、そうは思えない。そんな気分を「をかしきや」と詠んだ。いぶかしくも滑稽に思えて、ぽかんとしているありさまがよく出ている。そういえば、私の少年時代には、膝頭を木槌でポンと叩く脚気の診断法があったっけ。それはそれとして、句の季語が「脚気」で夏に分類されていることをご存知だろうか。脚気はビタミンB1の欠乏症で、B1の消費が盛んな夏によく発症したからである。軽い場合には、食欲が減り疲れやすく脚がだるいといった症状で、作者もこの程度だったのかもしれない。さすがに現代では、一部の歳時記に出てくるだけだが、季語になるほど一般的な病気であったことが知れる。でもねえ、いまどき脚気を季語として扱うのはどんなものかしらん。よほど掲句を無季に分類しようかとも思ったが、かつての分類を知っている以上はそうもいかない。そこで一句(?!)。をかしきや脚気を季語とは思えねど。「俳句研究」(2003年6月号)所載。(清水哲男)




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