先日の明石行きも新潟旅行も雨。今週末に行く久留米も雨の予報。完全無欠雨男。




2003N515句(前日までの二句を含む)

May 1552003

 をかしきや脚気などとは思へねど

                           星野麥丘人

ほど突発的な身体的変調をきたさないかぎり、病院に行く前に、私たちは自分の病気や病名の見当をつけていく。素人なりに、自己診断をしてから出かける。で、たいていの場合、自己診断と医師のそれとは合致する。外れても、大外れすることはあまりない。作者の病状はわからないが、なんとなくだるい感じがつづくので、診てもらったのだろう。ところが医師の口から出てきた病名は、自己診断の範囲から大きく外れていた。思いもかけぬ病名だった。ええっ「脚気(かっけ)」だって、それもいまどき。昔はよく聞いた病名だが、長らく忘れていた。周囲にも、脚気の人など誰もいない。それがよりによって我が身に発症するとは、信じられない。到底、そうは思えない。そんな気分を「をかしきや」と詠んだ。いぶかしくも滑稽に思えて、ぽかんとしているありさまがよく出ている。そういえば、私の少年時代には、膝頭を木槌でポンと叩く脚気の診断法があったっけ。それはそれとして、句の季語が「脚気」で夏に分類されていることをご存知だろうか。脚気はビタミンB1の欠乏症で、B1の消費が盛んな夏によく発症したからである。軽い場合には、食欲が減り疲れやすく脚がだるいといった症状で、作者もこの程度だったのかもしれない。さすがに現代では、一部の歳時記に出てくるだけだが、季語になるほど一般的な病気であったことが知れる。でもねえ、いまどき脚気を季語として扱うのはどんなものかしらん。よほど掲句を無季に分類しようかとも思ったが、かつての分類を知っている以上はそうもいかない。そこで一句(?!)。をかしきや脚気を季語とは思えねど。「俳句研究」(2003年6月号)所載。(清水哲男)


May 1452003

 ナイターの黒人の眼にふと望郷

                           和湖長六

ょっと説明的かな。その点は惜しいけど、野球をテレビではなく球場でよく見ている人の句だと思った。サッカーなどとは違って、野球は休み休みやるスポーツだ。選手も観客も常にハイ・テンションでいるわけではなく、緊張感に緩急がある。そこが心地よい。だから観客は、ビールを飲んだり弁当を食べたりすることもできる。それがテレビで観ると、とにかく画面は無理にでも緊張を強いるように演出され作られているので、球場での楽しみの半分は減殺されてしまう。遠くの方で、ぽつんと取り残されているような選手の姿を写すことはない。作者は黒人選手の眼に、ふと彼の「望郷」の念を嗅ぎ取っているが、これも球場ならではの感じ方だ。テレビだと、どんな外国人選手も、仕出し弁当のようにそこに存在するのが当然だとしか見えないが、スタンドからは違う。「ああ、遠くからやってきた男なんだ」と、ひとりでに感じられる。だから、望郷という言葉にも違和感はない。掲句を読んで、それこそ「ふと」思い出されたのは、60年代の後半にヤクルトにいたルー・ジャクソン外野手のことだ。「褐色の弾丸」と言われて私も好きな選手だったが、グラウンドでの姿はいつもどこか寂し気だった。「助っ人」の哀しみを背負ったような男だった。そこそこの成績は残していたのだが、四年目の初夏のころだったか、突然打席のなかで倒れ、二度と立ち上がれずに死んだ。一説によると、日本の食事が口に合わず、焼鳥ばかり食べつづけた結果だという。遺体は、横田基地から軍用機でタンパに運ばれた。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)


May 1352003

 昂然と仏蘭西日傘ひらきけり

                           櫂未知子

まどきの男は「日傘」はささない(昔の関西では、中年以上の男もよくさしていた)ので、「ひらきけり」の主体は女性だ。ところで、開いたのは作者自身だろうか、それとも目の前の相手だろうか。ふつう「昂然と」は他者に用いる言葉だと思うけれど、この句では自分の気分に使われたと読むのも面白い。なにしろそこらへんの日傘とは違って、「仏蘭西(フランス)」製なんだもんね。周囲に人がいるかいないかに関わらず、これみよがしにさっと開く気持ちには、昂然たるものがあるだろう。いざ出陣という気分。これが目の前の相手が開いたとすると、どこか尊大に見えてイヤ〜な感じ……。どちらだろうか。いずれにしても、人が日ごろ持ち歩くものには、単なるツールを越えた意味合いが付加されている。愛着もあるしお守り的な意味があったり、むろん見栄を含む場合もある。掲句の主体が誰であるにしても、言わんとすることはそういうことだろう。日傘は、単に陽射しを遮れはいいってものじゃないんだ。掲句を読んですぐに思い出したのが、津田このみの一句だった。「折り合いをつけにゆく日やまず日傘」。これも良い句だ。この日傘もツールを越えて、防御用か攻撃用か、とにかく作者はほとんど武器に近い意味合いを含ませている。男で思いつく例だと、ニュースキャスターの久米宏がいつも持っているボールペン(かな?)がそうだ。彼はあれでメモをとるわけじゃない。そんな場面は一度も見たことがないし、そんな必要もない。でも、片時も手放さないのは、彼にはきっとお守りか武器の意味合いがあるからなのだろう。『蒙古斑』(2000)所収。(清水哲男)




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