自分の手書き文字をフォント化するソフトが登場した。面白いけど、主客転倒だね。




2003ソスN5ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0952003

 舗装路に黒穂東京都に入れり

                           中島まさを

語は「黒穂(くろほ)」で夏。病気にかかった麥を言うので、分類は「麥」に。いつごろの句だろうか。高度成長期ではあろうが、まだ初期の段階と思われる。作者は地方から列車で出てきて、句の光景を車窓から見ているのだと思う。マイ・カー時代は少し先の話である。東京周辺部ではまだ「舗装路」が珍しかったころなので、舗装路が見えたときに「東京都」に入ったことに気がついたのだ。周辺にはまだ昔ながらの麥畑が広がっているのだが、そのところどころに黒い穂が混じっている。とにかく、畑に勢いがない。環境破壊や公害が表立って問題にされることもなかったころに、いちはやく田舎の人の目はこのようにして、病んでいく東京に気がついていたのだった。「東京」ではなくて、故意に「東京都」としたところが句の眼目であり、痛烈に皮肉が効いている。現在だと、どうだろう。どんな光景に「東京都」に入ったことを感じられるだろうか。もはや、広がっている光景の変化だけで感じ取るのは無理かもしれない。他県との境界にある何らかのモニュメントを知っているか、あるいは山や川の地勢に通じているかしないと、行政区分上の「東京都」への入り口はわからなくなってしまったようだ。「東京都」が周辺に膨張しつづけた結果であり、いまなお膨張はつづいている。『新改訂版俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


May 0852003

 谺して山ほととぎすほしいまゝ

                           杉田久女

女の名吟として、つとに知られた句。「谺」は「こだま」。里ではなく、山中という環境を得て自在に鳴く「ほととぎす」の声の晴朗さがよく伝わってくる。読者はおのずから作者と同じ場所に立って、少しひんやりとした心地よい山の大気に触れている気持ちになるだろう。おもわずも、一つ深呼吸でもしたくなる句だ。作者は下五の「ほしいまゝ」を得るまでに、かなりの苦吟を重ねたといわれる。確かに、この「ほしいまゝ」が何か別の言葉であったなら、この句の晴朗さはどうなっていたかわからない。よくぞ思いついたものだが、なんでもある神社にお参りした帰り道で白い蛇に会い、帰宅したところで天啓のようにこの五文字が閃いたのだそうだ。となれば、句の半分は白い蛇が作ったようなものだけれど、白い蛇と言うから何か神秘的な力を想像してしまうのであって、詩歌の創作にはいつでもこのような自分でもよくわからない何かの力が働くものなのだ。ついに理詰めには行かないのが詩歌創作の常であり、とりわけて俳句の場合には、言葉はむしろ自分から発するというよりも、どこからか降ってくるようなものだと思う。作者が動くのではなく、対象が客のように向こうからやってくるのだ。やってくるまで辛抱強く待つ状態を指して、苦吟と言う。その苦吟の果てに、この五文字を感得したときの久女の喜びはいかばかりだったろう。咄嗟にあの白い蛇のおかげだと思ったとしても、決して頭がどうにかなったわけではないのである。『杉田久女句集』(1969)などに所収。(清水哲男)


May 0752003

 郭公や夜明けの水の奔る音

                           桂 信子

語は「郭公(かっこう)」で夏。私の田舎ではよく鳴いたが、いまでも往時のように鳴いているだろうか。どこで聞いても、そぞろ郷愁を誘われる鳴き声である。掲句は、旅先での句だろう。というのも、慣れ親しんだ自分の部屋での目覚めでは、ほとんど外の音は聞こえてこないはずのものだからだ。もちろん、四囲には常に何かの音はしている。が、それこそ慣れ親しんでいる音には、人はとても鈍感だ。鈍感になれなければ、とても暮らしてはいけない場所もたくさんある。でも、平気で住んでいる。私はこれまでに二度、街のメインストリートに面した部屋で寝起きしたことがあるけれど、すぐに音は気にならなくなった。たとえ郭公の声であれ「水の奔(はし)る音」であれ、同じこと。土地の人には、そんなには聞こえていないはずなのだ。それが旅に出ると、土地の人にはごく日常的な音にもとても敏感になる。旅人は、まず耳から目覚めるのである。だから、地元の人は、こういう句は作らないだろう。いや、作る気にもならないと言うべきか。作るとしても、郭公の初鳴きを捉えるくらいがせいぜいだ。それも、掲句のように、郭公の鳴き声が主役になることはないと思う。句意は明瞭で、こねくりまわしたような解釈は不要だろう。単純にして美しい音風景だ。その土地の音の美しさは、よその土地の人が発見する。私がこねくりまわしたかったのは、そこらへんの事情についてであった。『緑夜』(1981)所収。(清水哲男)




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