時間に余裕ができると一つのことに以前より時間をかけてしまう。凝り性なのです。




2003ソスN5ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0252003

 原節子・小津安二郎麦の秋

                           吉田汀史

優と監督と映画の題名(正確には「麦の秋」ではなく『麦秋』[1951・松竹大船]だが)を並べただけの句だ。しかし、こうして並べるだけで、ある世界がふうっと浮かんでくるのだから不思議だ。その意味で、手柄はやはり並べてみせた作者にあると言うべきだろう。良し悪しや好き嫌いはともかくとして、血縁や地縁などがまだ濃密に個人に関わっていた時代の世界。そこに漂っている静かな空気は、小津が好んだ中流以上の階級のものではあるけれど、常に懐しさと優しさに満ちていて、よくぞ日本に生れけりの感を観客にもたらしたものだった。ご存知のように、小津映画にはさしたるドラマ性はない。『麦秋』は、婚期を逸した原節子(といっても、二十八歳という設定だ)が、周囲の暗黙の反対を押しきって、妻を無くした医師の後添えとして結婚を決意するというだけの話だ。小津は、このようなどこにでもありそな日常をきめ細かく丁寧に描くことで、凡百のドラマ映画をしのぐ劇映画を撮りつづけた。ストーリー性よりもディテールの描写を大切にしたところは、どこか俳句作りに似ていないだろうか。事実、小津は俳句もよくした人であり、百句以上の句が残っている。たとえば「小田原は灯りそめをり夕心」などは、あまりにも小津映画的な句と言ってよいだろう。映画のタイトルに「麦秋」「早春」「彼岸花」「秋日和」「秋刀魚の味」など季節の言葉が多いのも、俳句との仲の良さを色濃く感じさせる。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


May 0152003

 燕の巣母の表札風に古り

                           寺山修司

司、十代の句。この人にしては、珍しく写生的で、情景のくっきりとした句だ。軒先に燕が巣を作った。子燕たちが鳴き立てているので、見るともなしに見やったというところか。当たり前のことながら、軒下には「表札」がかかっている。両者は、同時に視野の中にある。でも、たいていの感受性ならば、元気な子燕の姿に微笑して、表札などは気にも止めずに立去ってしまうだろう。たとえそこに、父親のいない家庭を示している「母の表札」がかかっていようともだ。平凡な日常にあって、親の名前の書いてある表札をしげしげと眺めるなど、少なくとも私には経験がない。だが、ここでしぶとく一粘りするのが修司少年の詩心なのである。元気な子燕と母親の表札との取りあわせから、何か普遍性のある物語が紡ぎ出せないものかと粘るのだ。この取りあわせ自体が、既に十分に物語性をはらんではいる。しかし、これを下手に読者に突き出すと、単に同情を買いたがっているかのような、ひどくあざとい句になってしまう。その臭みを消すためにはどうすればよいのかと、下五をだいぶ考えたのではなかろうか。で、しごく平凡に見える「風に古り」と置くことにした。故意に、凡庸と思われる言葉を置いたのである。これで取り合わせの臭みは消え、さりげない哀感が滲み出てくる仕掛けが完成したというわけだ。ま、こんなふうに句を分解して考えるのは悪趣味かもしれないが、掲句に限らず、さりげなさを演出する俳句のダンディズムは、おおかたこのような形をしているのだろうと思ったことである。『われに五月を』(1957)所収。(清水哲男)


April 3042003

 腹立ててゐるそら豆を剥いてをり

                           鈴木真砂女

語は「そら豆(蚕豆)」で夏。サヤが空を向くので「そらまめ」としたらしい。そのサヤを、むしゃくしゃとした気持ちで剥(む)いている。作者は銀座で小料理屋「卯波」を営んでいたから、剥く量もかなり多かっただろう。仏頂面で、籠に山なす蚕豆のサヤを一つ一つ剥いている姿が目に浮かぶようだ。妙な言い方になるけれど、女性の立腹の状態と単純作業はよく釣り合うのである。かたくなに物言わず、ひたすら同じ作業を繰り返している女性の様子は、家庭でもオフィスなどでもよく見かけてきた。一言で言って、とりつくシマもあらばこそ、とにかく近づきがたい。「おお、こわ〜」という感じは、多くの男性諸氏が実感してきたところだろう。怒ると押し黙るのは男にもある程度共通する部分があるが、怒りながら何か単純作業をはじめるのは、多く女性に共通する性(さが)のように思われる。したがって、仮に掲句に女性の署名がなかったとしても、まず男の作句と思う読者はいないはずだ。些細な日常の断片を詠んだだけのものだが、女性ならではの句として、非常によく出来ている。話は変わるが、東京あたりの最近の飲み屋では、蚕豆のサヤを剥かずに火にあぶって、サヤに焦げ目がついた状態でそのまま出す店が増えてきた。出された感じは、ちょっとピーマンを焼いた姿と似ている。あれは洒落た料理法というよりも、面倒なサヤ剥きの仕事を、さりげなく客に押し付けてやろうという陰謀なのではなかろうか。そうではないとしても、サヤの中の豆の出来不出来を見もしないで客に出す手抜きは、実にけしからん所業なのであります。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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