故郷では数人の級友が村会議員を勤めている。みな多選ゆえ今回の結果が気になる。




2003ソスN4ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2842003

 江戸留守の枕刀やおぼろ月

                           朱 拙

者は江戸期地方在住の人。「江戸留守」とは聞きなれない言葉だが、自分が江戸を留守にするのではなく、主人が江戸に出かけて留守になっている状態を指す。現代風に言えば、さしずめ夫が東京に長期出張に出かけたというところだ。その心細さから、枕元に護身用の刀を置いて寝ている。今とは違って、電話もメールもない時代だから、江戸での主人の消息はまったくわからない。無事到着の手紙くらいは寄越しても、毎日の様子などをいちいち伝えてくるわけじゃなし、そのわからなさが、留守居の心細さをいっそう募らせたことだろう。句の眼目は、しかしこの情景にあるのではなく、下五の「おぼろ月」との取りあわせにある。この句を江戸期無名俳人の膨大な句のなかから拾ってきた柴田宵曲は、次のように書く。「蕪村の『枕上秋の夜を守る刀かな』という句は、長き夜の或場合を捉えたものである。この句も或朧月夜を詠んだに相違ないが、江戸留守という事実を背景としているために、もっと味が複雑になっている。朧月というものは必ず艶な趣に調和するとは限らない。こういう留守居人の寂しい心持にもまた調和するのである」。同じ朧月でも、見る人の心の状態によって、いろいろに見えるというわけだ。当たり前のことを言っているようだが、古来朧月の句がほとんど艶な趣に傾いているなかにあって、この指摘は貴重である。柴田宵曲『古句を観る』(1984・岩波文庫)所載。(清水哲男)


April 2742003

 藤房に山羊は白しと旅すぎゆく

                           金子兜太

語は「藤(の)房」で春。立夏の後に咲く地方も多いから、夏期としてもよさそうだ。掲句は「藤房・伯耆」連作十句の内。大山(だいせん)に近い鳥取県名和町には、「ふじ寺」として有名な住雲寺があるので、そこで詠んだのかもしれない。だとすれば、五月中旬頃の句だ。「旅すぎゆく」とあるけれど、むしろ「もう旅もおわるのか」という感傷が感じられる。見事な花房が垂れていて、その下に一頭の山羊がいた。このときに「山羊は白しと」の「と」は、自分で自分に言い聞かせるためで、藤の花と山羊とを単なる取りあわせとして掴んだのではないことがわかる。作者には藤の見事もさることながら、偶然にそこにいた山羊の白さのほうが目に沁みたのだ。すなわち、この山羊の白さが今度の旅の一収穫であり、ならばこの場できっちりと心に刻んでおこうとした「と」ということになる。そして、この「と」は、まだ先の長い旅ではなくて、おわりに近い感じを醸し出す。とくに最後の日ともなれば、いわば目の欲が活発になってきて、昨日までは見えなかったものが見えてきたりする。この山羊も、そういう目だからこそ見えたのだと思う。そうすると、なにか去りがたい想いにとらわれて、自然に感傷的になってしまう。今月の私は二度短い旅行をして、二度ともがそうだった。だから、兜太にしては大人しい作風の掲句が、普段以上に心に沁みるのだろう。『金子兜太集・第一巻』(2002)所収。(清水哲男)


April 2642003

 行く春やほろ酔ひに似る人づかれ

                           上田五千石

っかり花も散った東京では、自然はもう初夏の装いに近くなってきた。そろそろ、今年の春も行ってしまうのか。これからは日に日に、そんな実感が濃くなっていく。しかし、同じ季節の変わり目とはいっても、秋から冬へ移っていくときのような寂しさはない。万物が活気に溢れる季節がやってくるからだ。それにしても、寒さから解放された春には外出の機会が多くなる。花見をピークとして人込みに出ることも多いし、人事の季節ゆえ、歓送迎会などで誰かれと会うことも他の季節よりは格段に多い。春は、いささか「人づかれ」のする季節でもあるのだ。その「人づかれ」を、作者は「ほろ酔ひに似る」と詠んだ。うっすらと意識が霞んだような酔い心地が、春行くころの温暖な空気とあいまって、決して不快な「人づかれ」ではないことを告げている。ちょっとくたびれはしたけれど、心地のよい疲労感なのである。この三月で、私はラジオの仕事を止めたこともあって、普段の年よりもよほど「人づかれ」のする春を体験した。作者と同じように「ほろ酔ひ」の感じだが、もう二度とこのような春はめぐってこないと思うと、う〜ん、なんとなく寂しい気分もまざっている、かな。『俳句塾』(1992)所収。(清水哲男)




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