新潟行きのメンバーは東京駅の銀の鈴に集合と。えっ、どこだっけ。わかるかなあ。




2003年4月25日の句(前日までの二句を含む)

April 2542003

 春宵の外郎売の台詞かな

                           藤本美和子

舞伎を観ての句だろう。「外郎売(ウイロウうり)」は歌舞伎十八番の内で、1718年(亨保3年)森田座にて2代目市川団十郎が外郎売の物真似を雄弁に演じた事がはじまりと言われる。演じる役者には、立板に水というよりも、立板に瀧のような弁舌が要求される。中身は外郎(名古屋名産の「ウイロウ」ではなく薬の名前)を売る行商人の宣伝文句だから、かなりいい加減で怪しいのだけれど、それを承知で騙されてみる楽しさが「春宵」の気分とよくマッチする。とにかく、楽しいなあという句だ。いまではあまり上演されないようだが、この「台詞(口上)」は滑舌(かつぜつ)のトレーニング用として、役者やアナウンサーなどの訓練に、いまでもごく日常的に使われている。これを知らない芸能人や放送人は、一人もいないだろう。サワリの部分を紹介しておきますので、声に出して読んでみてください。案外と、難しいものです。「さて此の薬、第一の奇妙には、舌のまわることが銭独楽が裸足で逃げる。(中略)アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ、一つへぎへぎに、へぎほしはじかみ、盆まめ、盆米、盆ごぼう、摘蓼、摘豆、摘山椒、書写山の社僧正、粉米のなまがみ、粉米のなまがみ、こん粉米のこなまがみ、繻子、ひじゅす、繻子、繻珍、親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親かへい子かへい、子かへい親かへい、ふる栗の木の古切口。雨合羽か、番合羽か、貴様のきゃはんも皮脚絆、我等がきゃはんも皮脚絆、しっかわ袴のしっぽころびを、三針はりなかにちょと縫うて、ぬうてちょっとぶんだせ、かわら撫子、野石竹。のら如来、のら如来、三のら如来に六のら如来。一寸先のお小仏に、おけつまずきゃるな、細溝にどじょにょろり。京の生鱈奈良なま学鰹、ちょっと四五貫目、お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅で、お茶ちゃっと立ちゃ。……」。「俳句研究」(2000年5月号)所載。(清水哲男)


April 2442003

 囀りや良寛の寺手鞠売る

                           山田春生

敷市玉島にある円通寺での句だと、作者の弁にあった(「俳句」2002年10月号)。若き日の良寛が修業をした寺として知られる。近くの茶店では五色の糸でかがった美しい「手鞠(てまり)」が売っていて、折りからの鳥たちの「囀(さえず)り」と見事に明るく調和している。旅の春を満喫している句だ。良寛は子供たちと遊ぶために、いつも手鞠とおはじきを持っていたと伝えられてはいる。が、それは越後に戻ってからのことで、円通寺で鞠つきなどはしなかったろう。だから、ここの茶店で手鞠を売るのも変な話なのだが、ま、これ以上は言うだけヤボか。さて、幕が上がると、舞台ではひとり良寛が竹箒でそこらへんを掃いている。そこへ四、五人の女の子がばらばらっと登場して「良寛さん、遊ぼうよ」と口々に言う。と、すぐに箒の手を止めた良寛が「よしよし」と言いながら袂から手鞠を取りだした……。その良寛は小学四年生の私であり、女の子は同級生だった。懐しくも恥ずかしい学芸会の一齣だ。忘れたけれど、五色の手鞠などあるはずもないから、取りだしたのはゴムマリだったのだろう。むろん良寛の何たるかを知るはずもなく、先生の言うとおりに演じただけで、もう全体のストーリーも覚えていない。放課後に残されての練習のおかげで、上手くなったのはマリつきくらいだ。ところで、実は明日、その良寛の故郷を余白句会の仲間と訪ねることになっている。かつての子供良寛の目に、何が見えるのだろうか。楽しみだ。(清水哲男)


April 2342003

 春風や公衆電話待つ女

                           吉岡 実

電話ボックス
まから六十数年前、昭和初期の句。このことを念頭に置かないと、句の良さはわからない。現代の句としても通用はするけれど、あまりにありふれた光景で、面白味には欠けてしまう。写真(NTT Digital Museumより転載)は、当時の公衆電話ボックス。東京市内でも、せいぜい数十ヶ所にしかなかったようだが、明治期の赤塗り六角型のボックスよりも、はるかに洗練されたモダンなデザインだ。で、この前で待っている「女」は、流行の先端を行くモガ(モダンガール)か、あるいは良家の子女だろうか。とにかく、電話をかける行為は、普及度の低かった昔にあって、庶民には羨ましい階層に属していることの証明みたいなものだった。美人が電話をかけているというだけで人だかりができた時代もあったそうだが、それは明治大正の話としても、まだそんな雰囲気は残っていた時の句である。要するに、この句はとてもハイカラな情景を詠んでいるのだ。そよ吹く「春の風」とお嬢さんとの取り合わせは、見事にモダンに決まっていたにちがいない。作者ならずとも、通りかかった人はみな、ちらりちらりと盗み見たことだろう。吉岡実は現代を代表する詩人で、十代から俳句や短歌にも親しみ、詩に力を注いだ後半生にも、夫人によれば句集を開かなかった日はほとんどなかったという(宗田安正)。『奴草』(2003・書肆山田)所収。(清水哲男)




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