明石大橋より舞い戻り、今週末は余白仲間で新潟旅行。GWは大人しくしていよう。




2003ソスN4ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2142003

 永き日や石ぬけ落る愛宕山

                           湯本希杖

語は「永き日(日永)」で春。暦の上で最も日の長いのは夏至のころだが、春は日の短い冬を体験した後だけに、日永の心持ちが強い季節だ。さて、この「愛宕山(あたごやま)」はどこの山だろうか。愛宕山と名前のつく山は全国に散在している。作者は江戸期信州の人だから、いまの軽井沢駅から見える愛宕山かもしれないが、判然としない。とにかく、その山を削って作った道に、高いところから「石」が「ぬけ落」ちてくる情景だ。といっても、そんなにたいそうな落石ではないだろう。ときに、ぱらっと小石や拳大ほどの石が落ちてくる程度。雪深い冬の間は、そういうことが起こらないので、「ほお」と作者は目を細めている。落石に春の日の長閑さを感じているわけだ。昔の山国の人ならではの春の味わい方である。作者の希杖は湯田中温泉の湯元で、一茶に傾倒し、一茶のために「如意の湯」という別荘まで建ててやっている。つまり、パトロンの一人であった。一茶も好んでよく滞在したようだが、ある日別荘から女中に託した希杖宛の手紙に曰く。「長々ありありしかれば此度が長のいとまごひになるかもしれず今夕ちと小ばやく一盃奉願上候」。要するに、しばらく会えなくなりそうだからと希杖を強迫(笑)して、晩酌の一本を無心しているのだ。むろん、希杖は早速酒を届けただろう。希杖は一茶よりも一つ年上だった。栗山純夫編『一茶十哲句集』(1942・信濃郷土誌出版社)所載。(清水哲男)


April 2042003

 朧夜のポストに手首まで入るる

                           村上喜代子

語は「朧夜(おぼろよ)」で春。朧月夜の略である。実際、数日前に、私も同じ体験をした。朧夜だからといって、べつに平常心を失っているとも思わなかったけれど、投函するときになんだか急に手元が頼りなく思え、ぐうっとポストに「手首まで」入れて、確かに投函したことを確認したのだった。届かないと相手に迷惑のかかりそうな郵便物だっただけに、慎重を期したというところだが、普段だとすとんと入れて平気でいるのに、これはやっぱり朧夜のせいだったのかしらん。暖かくて妙に気分が良いと、かえって人は普段よりも慎重になるときがあるのかもしれない。このように郵便物だと手応えを確かめられるが、昨今のファクシミリやメールだと、こうはいかないので不安になることがある。本当に届くのだろうか。ふと疑ってしまうと、確認のしようもないので苛々する。とくにファクシミリは、相手の手元に手紙のように物理的具体的に送信内容が届くはずなので、逆に心配の度合が強いのだ。メールならば泡と消えても、もともとが泡みたいな通信手段だから、仕方ないとあきらめがつく。でも、プロセスはともかくとして、ファクシミリは限りなく手紙に近い状態でのやりとりだ。書留で出すわけにもいかないし、届いたかどうかを、あらためて電話で確認することもしばしばである(苦笑)。『つくづくし』(2001)所収。(清水哲男)


April 1942003

 桑の香にいとこ同志の哀しさよ

                           中北綾子

語は「桑」で春。「同志」は「同士」の誤記だろう。句の背景には、養蚕が盛んだった頃の農村風景がある。二人して桑を摘んでいるのか、あるいは桑畑の近くを歩いているのか。相手の「いとこ」は異性である。小さい頃には何の屈託もない遊び仲間だったけれど、異性であることを意識しはじめると、何かにつけてぎごちなくなってくる。口数も減ってくる。相手に好意を抱いているのだから、なおさらだ。そんな気持ちを「哀しさよ」と言いとめた。「悲しさ」と「愛しさ」が入り交じった、なんとも甘酸っぱい空間が広がってくる句だ。これも、美しい青春の一齣である。この句を読んでふっと思い出したのが、クロード・シャブロルの映画『LES COUSINS』(1959)だった。こちらは男同士で、パリに住むぐうたら学生(ジャン=クロード・ブリアリ)のところに、純情で勉強家の従兄弟(ジェラール・ブラン)が、田舎から頼って出てくるという設定だ。この正反対の性格の二人に一人の女(ジュリエット・メニエル)がからみ、やがて悲劇的な結末を迎えることになる。学生時代に見て感動し、めったに買わないパンフレットまで買ったので、よく覚えている。血の濃さゆえに、二人の反発しあう気持ちも強い。「従兄弟の味は鴨の味」と言うけれど、ひとたび反目しあったら、他人同士の関係では考えられないほどに、すさまじいことになる。血の繋がっていることの哀しさを、迫力満点に描いた傑作だった。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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