はじめて消火器の使い方を習った。簡単だが、体験しておかないと咄嗟にはできないな。




2003ソスN4ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1442003

 棚霞キリンの頸も骨七つ

                           星野恒彦

語は「棚霞(たながすみ)」で春。横に筋を引いたように棚引く霞とキリンの長い首。縦横の長い取り合わせが、まず面白い。句の註に「哺乳類の頸骨はみな七個」とあって、実は私はこれを知らなかった。知らないと「頸(くび)も」の「も」がわからない。そうか、あんなに長い首にも、人間の首と同じように「七つ」の骨しかないのかと思うと、なんだか妙な感じがする。逆に、人間の首に七つも骨があるのかと首筋を触って見たくなる。そんな感じで、作者は何度かキリンを見上げたのだろう。おあつらえ向きに、七つの骨の部分の背景に七つの筋を引いて、霞が棚引いている。と解釈してしまうと、かなりオーバーだけど(笑)。でも、詠まれた環境の理想的な状態は、そのようであればそれに越したことはないのである。あらためて調べてみたら、キリンの身長は肩高3.6メートル、頭頂高5〜5.5メートルほどである。体重ときたら、雄で800〜900キロ、雌で550キロ程度だという。これくらいデカいと、世の中の見え方も相当に違うのだろう。この句は上野動物園で詠まれているが、自慢じゃないが、東京に住みながら、私は一度も入園したことがない。この記録は、もったいなくて破る気がしない。そんなわけで、よくキリンを見たのは、大学時代の大阪は天王寺動物園でだった。そのころは長い首のことよりも、よくもまああんなに涎(よだれ)が垂れるものよと、いつも感心してたっけ。キリンの寿命は20年ほど。だとしたら、もうあのキリンはいない計算になる。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)


April 1342003

 「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク

                           川崎展宏

書に「戦艦大和(忌日・四月七日) 一句」とある。「大和」はかつての大戦の末期に、沖縄沖の特攻作戦で沈没した世界海軍史上最大の戦艦だった。このときに、第二艦隊司令長官伊藤整一中将、大和艦長有賀幸作大佐以下乗組員2489人が艦と運命をともにした。生存者は276人。米軍側にしてみれば、赤子の手をひねるような戦闘だったと言われる。掲句は、最後の時が迫ったことを自覚した戦艦より打電された電文の形をとっている。「ヨモツヒラサカ(黄泉平坂)」は、現世と黄泉(よみ)の境界にあるとされる坂のことだ。これ以上、解説解釈の必要はないだろう。しかし、この哀切極まる美しい追悼句に、同時代感覚をもって向き合うことのできる人々は、いまこの国にどれほどおられるのだろうか。また、生き残りのひとり吉田満が一晩で一気呵成に書き上げたという『戦艦大和ノ最期』は、いまなお読み継がれているようだが、若い読者はどんな感想を抱くのだろう。とりわけて、哨戒長・臼淵大尉の次の言葉などに……。「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ。負ケテ目覚メルコトガ最上ノ道ダ。日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ。私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、真ノ進歩ヲ忘レテイタ。敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ。俺達ハソノ先駆ケトナルノダ」。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


April 1242003

 襞の外すぐに曠き世八重桜

                           竹中 宏

語は「八重桜」。サトザクラの八重咲き品種の総称で、ソメイヨシノ」などの「桜」とは別項目に分類する。桜のうちでは、開花が最も遅い。東京あたりでは、そろそろ満開だろうか。近くに樹がないので、よくはわからない。ぶつちゃけた話が、掲句の大意は「井の中の蛙大海を知らず」に通じている。見事に美しく咲いた八重桜だが、込み入った花の「襞(ひだ)」のせいで、内側からは外の世界が見えないのだ。すぐ外には「曠(ひろ)き世」が展開しているというのに、まことに口惜しいことであるよと、作者は慨嘆している。慨嘆しながらも、作者は花に向かって「お〜い」と呼びかけてやりたい気持ちになっている。「井の中の蛙」よりもよほど世に近いところ、それこそ皮膜の間に位置しながら、何も知らずに散ってしまうのかと思えば、美しい花だけに、ますます口惜しさが募ってくる。といって断わっておくが、むろん作者は諺を作ろうとしたわけではない。だから、この八重桜をたとえば美人などの比喩として考えたのではない。あるがまま、感じたままの作句である。昔から八重桜の句は数多く詠まれてきたが、このように花の構造を念頭に置いた句には、なかなかお目にかかれない。その構造にこそ、八重桜の大きな特長があるというのに、不思議といえば不思議なことである。俳誌「翔臨」(第43号・2002年2月刊)所載。(清水哲男)




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