夜ごとの空襲警報に叩き起こされ、疲れ切って、気づかないまま一家で寝ていたことも。




2003ソスN4ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1042003

 げんげ田や花咲く前の深みどり

                           五十崎古郷

語は「げんげ田」で春。「春田(はるた)」に分類。昔の田植え前の田圃には、一面に「げんげ(紫雲英)」を咲かせたものだった。鋤き込んで、肥料にするためである。いつしか見られなくなったのは、もっと効率の良い肥料が開発されたためだろう。これからの花咲く時期も見事だったが、掲句のように、「花咲く前の深みどり」はビロードの絨毯を敷き詰めたようだった。それがずうっと遠くの山の端にまで広がっているのだから、壮観だ。もう一度、見てみたい。句は単に自然の色合いをスケッチしたようにも写るけれど、そうではなくて、紫雲英の「深みどり」には、胎生している生命力が詠み込まれているのだ。むせるように深い、その色合い……。春夏秋冬、折々の自然の色合いは刻々と変化し、常に生命についての何事かを私たちに告げている。連れて、私たちの感受の心も刻々と動いていく。知らず知らずのうちに、私たちもまた、自然の一部であることを知ることになる。やがて紫雲英の花が咲きだすと、子供だった私たちにですら、圧倒的な自然の生命力がじわりと感じられるのだった。「げんげ田の風がまるごと校庭に」(小川軽舟)。校庭で遊ぶ私たちへの心地よい風は、農繁期の間近いことを告げてもいた。もうすぐ、遊べなくなるのだ。子供が、みんな働いていた時代があった。『五十崎古郷句集』(1937)所収。(清水哲男)


April 0942003

 乙鳥や赤い暖簾の松坂屋

                           夏目漱石

松坂屋
語は「乙鳥(つばくろ・つばくら・燕)」で春。東京にも、そろそろ渡ってくるころだろう。句は1986年(明治二十九年)に詠まれたもの。東京上野広小路にあって、まだ百貨店ではなく呉服屋だったときの「松坂屋」だ。図版からわかるように、大きな「暖簾(のれん)」を連ねてかけた和風の建物だった。店の前を鉄道馬車が通っていることからも、当時より繁華街に位置していたことが知れる。ただ「赤い暖簾」とあるけれど、まさか赤旗のような真紅ではなくて、そこは老舗の呉服屋らしく、渋い赤茶色(柿色)だった。昔の商家の暖簾は、たいていが紺地に白抜き文字のものだったというから、かなり派手に見えたに違いない。そんな暖簾が春風を受けて揺れているところに、ツイーンツイーンと低空で乙鳥が飛び交っている。いかにも晴朗闊達なスケッチで、気持ちのよい句だ。句の字面も座りがよく、いかにもどっしりとした松坂屋の構えも彷彿としてくる。漱石先生、よほど上機嫌だったのだろう。この建物が洋館に変わったのは、1917年(大正六年)のことで、設計者は漱石の義弟にあたる鈴木禎次であった。しかし、漱石はこの新建築を見ることなく、前年に没している。享年四十九。『漱石俳句集』(1990・岩波文庫)所収。(清水哲男)


April 0842003

 山ざくら曾て男は火の瞳持ち

                           櫛原希伊子

のはしくれとしては、面目まるつぶれと頭を垂れるしかない句だ。前書に「『山行かば草生す屍』の歌ありて」とあるから、「曾て(かつて)」とは、大伴家持が「海行かば水漬く屍山行かば草生す屍大皇の辺にこそ死なめ顧みはせじ」と詠んだ万葉の時代だ。微妙な言い方になるが、そのことの中身の現代的な解釈はともかくとして、「男とはかくあるべし」と多くの男も女もが思い信じていた時代があった。「山ざくら」との取り合わせの必然性は、本居宣長の「しきしまの大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」にある。まことに清冽な気概を持った男たちの瞳(め)は、一朝事あらば、たしかに火と燃えたであろう。その炎の色は、花ではなくて葉のそれである。深読みしておけば、山桜の花は女で葉が男だ。だから、女の介入する余地のない武士道にはソメイヨシノが適い、男の道には女とともにあるヤマザクラが似付かわしいと言うべきか。さて、それに引き換えいまどきの男どもときたら……などと、これ以上言うのはヤボである。大伴家持の歌は、第二次世界大戦の際に、戦死者を悼み顕彰する歌として大いに喧伝された。軍国主義者には、格別「大皇の辺にこそ死なめ」のフレーズが気に入ったからだろう。しかし、その気に入り方は歌の本意からは、はるかに遠いものだった。というのも「曾て」の「大皇(おおきみ)」は、いつも戦いの最前線にいたのだからだ。後方の安全地帯で指揮を取るなんてことは、やらなかった。大皇が実際に身近にいて、ともに戦ったからこその「辺にこそ死なめ」であったことを、軍国主義者は都合よく精神的な意味に曲解歪曲したのである。あるいは単に、読解力が不足していたのかもしれないけれど。『きつねのかみそり』(2002)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます