東京では今日が花見のピーク。シートを敷いての花見はご無沙汰だ。来春こそは…。




2003ソスN4ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0642003

 直立の夜越しの怒り桜の木

                           鈴木六林男

ほどの「怒り」だ。一晩中、怒りの感情がおさまらない。それほどの怒りでありながら、怒りの主は夜を越して「直立」していなければならない。なぜならば、怒っているのは、直立を宿命づけられている「桜の木」だからだ。そして、この木の怒りはついに誰にもわからないのだし、花が散れば振りむく者すらいなくなってしまう。桜の木と日本人との関係について「五日の溺愛、三百六十日の無視」と言った人がいる。至言である。ところで、掲句を文字通りに解しても差し支えはないのだが、作者の従軍戦闘体験からして、桜の木を兵士と読み替えても、とんでもない誤読ということにはならないだろう。たとえば「夜越し」の歩哨などに、思いが至る。理不尽な命令に怒りで身を震わせながらも、一晩中直立していなければならない兵士の姿……。まさに桜の木と同様に、彼の内面は決して表に出ることはないのだと読める。それが兵士の宿命なのだ。こう読むと、たとえ諺的に「花は桜木、人は武士」などと如何にもてはやされようとも、実体はかくのごとしと、それこそ作者自身の怒りが、ようやくじわりと表に現れてくる。余談ながら、諺の「花は桜木……」は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の十段目から来ている。天河屋義平の義の厚さに感じ入った武士たる由良之助が、一介の商人の前に平伏して「花は桜木、人は武士と申せども、いっかな武士も及ばぬ御所存」と言うのである。『鈴木六林男句集』(2002・芸林書房)所収。(清水哲男)


April 0542003

 逃水に死んでお詫びをすると言ふ

                           吉田汀史

語は「逃水(にげみず)」で春。草原などで遠くに水があるように見え、近づくと逃げてしまう幻の水[広辞苑第五版]。ときに舗装道路などでも見られる現象で、蜃気楼の一種だという。掲句を読んですぐに思い出したのは、敗戦時、天皇陛下に「死んでお詫びを」した人たちのことだ。敗戦は我々の力が足らなかったためだと自分を責めて、自刃を遂げた。あれから半世紀以上が経過した今、彼らの死を無駄であったと評価するのは容易い。「逃水」のような幻的存在に、最高の忠誠心を発揮したことになるのだから……だ。戦時中の私はまだ幼くて、空襲の煙に逃げ惑い機銃掃射におびえたくらいの体験しかないけれど、すでに祖国愛みたいな感情は芽生えていて、皇居前の自刃の噂にしいんとした気持ちになったことを思い出す。少なくとも、無駄な死などとは感じなかった。そうなのだ。人はたとえ幻にでも、状況や条件の如何によっては、忠誠を誓うことはできるのだ。ここで、かつての企業戦士を思ってもよいだろう。掲句は、そうした人のことを「と言ふ」と客観視している。しかし、冷たく馬鹿な奴めがと言っているのではない。むしろ、その人の心持ちに同調している。同調しながらも、他方で人間の不思議や不気味を思っている句だと、私には読める。作者が句を書いたのは、イラクの戦争がはじまる前のことだし、戦争のことを詠んでいるのかどうかもわからない。つまり直接今度の戦争には関係ないのだけれど、いまの時点で読むと、こんな具合に読めてしまう。最近の戦争報道でも、やたらと「忠誠」という言葉が出てくる。俳誌「航標」(2003年4月号)所載。(清水哲男)


April 0442003

 山国を一日出でず春の雲

                           小島 健

くせくと働いた職場を離れてみると、見えてくることがたくさんある。あながち、年齢のせいだけではないと思われる。正直なところ、今はなんだか小学生のころに戻ったような気分なのだ。世間知らずで、好奇心のみ旺盛だったあの時代と、さほど変わらない自分が、まず見えてきた。大人になってからは、いっぱし世間を知ったような顔をして生きてきたが、そうしなければ生きられなかっただけの話で、そう簡単に世間なんてわかるはずもない。そんな心持ちで俳句を読んでいると、いままでならなかなか食指が動かなかったような句が、妙に味わい深く感じられる。掲句もその一つで、このゆったりした時間感覚表現を、素直に凄いなあと思う。あくせくとしていた間は、こうした時間の感じ方は皆無と言ってよく、したがって「呑気な句だな」くらいにしか思えなかったろう。作者については、句集の著者略歴に書かれている以外のことは何も知らない。私より、若干年下の方である。私が感銘を受けたのは、こうした時間感覚を日常感覚として十分に身につけておられるからこそ、句が成ったというところだ。付け焼き刃の時間感覚では、絶対にこのようには詠めません。小学生時代を山国に暮らした私には、実感的にも郷愁的にも、まことにリアリティのある佳作だと写った。寝ころんで、雲を見ているのが好きな子供だったことを思い出す。『木の実』(2002)所収。(清水哲男)




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