今日が日曜日みたいに思える。連続した休みの二日目だから。習慣とは恐いものだ。




2003ソスN4ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0242003

 百年のグリコ快走さくら咲く

                           泉田秋硯

京の桜は、この週末にかけてが見ごろ。ついこのあいだ咲きはじめたかと思ったら、あっという間に満開になってしまった。掲句は、桜前線がぐんぐん北上してくる速さを、「グリコ」のランナーのスピードに例えていて愉快。稚気、愛すべし。ただし「百年」はちょいとオーバーで、グリコの歴史は八十年ほど(1922年発売)であるが、ま、とにかく桜前線もグリコの青年も、昔から速いことになっているから、これでいいのだ。ところで、江崎グリコのHPを見ていたら、有名なコピー「一粒三百メートル」の解説が載っていた。「グリコ(キャラメル)には、実際に一粒で300メートル走ることのできるエネルギーが含まれています。グリコ一粒は15.4kcalです。身長165cm、体重55kgの人が分速160mで走ると、1分間に使うエネルギーは8.21kcalになります。つまりグリコ一粒で1.88分、約300m走れることになります」。「なるほどねえ」と感心するにはトシをとりすぎてしまったけれど、ポパイのほうれん草とは違って、甘いものを健康に結びつけて商売にするのは大変だっただろう。そこで「エネルギー」の補給に気がついたのは、まことに炯眼と言うべきで、それこそ百年の昔から、いまだに私たちは「エネルギー」を求めて四苦八苦、右往左往、国家的には戦争までしでかしている始末だ。『鳥への進化』(2003)所収。(清水哲男)


April 0142003

 ハーモニカ白布に包み渡り漁夫

                           山本 源

ハーモニカ
語は「渡り漁夫(「やんしゅう」とも)」で春。ニシンの漁期になると、東北地方の農民が出稼ぎに、ぞくぞくと北海道へ渡った。海の季節労働者だ。いまでは、ニシン漁もすっかり衰退してしまったという。が、「渡り漁夫携帯電話夜な夜なの」(菊池志乃)という句があることからすると、出稼ぎの人がいなくなったわけではないようだ。掲句は、まだ携帯電話などがなかったころの作。淋しさをまぎらわすための「ハーモニカ」を、その人は「白布に」包んでいる。どんなに大切にしている楽器かが、よくわかる。白布を解いて取りだすとき、吹き終わって包むときの仕草までが、目に浮かぶ。律義で真面目な人柄なのだ。その人の吹いた曲は、童謡だろうか、歌謡曲だろうか。きっと、とても哀切な響きを漂わせたことだろう。それでなくとも、ハーモニカの音色には哀愁がある。比較的安価な楽器ではあるけれど、安価だけでは人気を得ることはできない。やはり、日本人のウエットな心情にぴたりとくる音色が出るから、一時の流行もあったわけだ。掲句は、その人が吹いている情景を詠まずして、吹いている情景や心情も伝えているのであり、さらにはこの小さな楽器の持つ魅力の源泉も伝えている。ちなみに、図版は現在3800円で市販されているごく普通の21穴式。ひさしぶりに、吹いてみたくなった。私の扱える楽器は、ハーモニカしかない。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


March 3132003

 背のびして羽ふるはせてうぐひすの

                           瀧井孝作

者が、東京・八王子の自宅で飼っていた「うぐひす」を観察して得た句だという。「俳句は、見て見て見抜いて写生するもの」と言った人だけに、なるほど、見て見て見抜いている。全身の力を使って鳴いている健気さが、よく伝わってくる。だから、あんなに小さくても、よく透る声が出るのだ。その点、人間はどうだろうか。と、句は何も言っていないけれど、そんな問い掛けをされた気持ちになる句でもあるだろう。赤ん坊のころこそ全身を使って泣いたりはしても、成長するにしたがって、口先で物を言うことを覚えてしまう。どこか、うさんくさい存在に仕上がっていく。仕方のないこととはいえ、だからこそ私たちは逆に、たとえば句のウグイスのような欲も得もない全身的純粋表現に憧れるのだろう。下五の「うぐひすの」と流した押さえ方が、目を引く。これは句を、ここで完結させないための技法だと読める。つまり、「うぐひすの」は上五の「背のびして」に、おのずから循環していく。いつまでも、句をくるくると回しておく仕掛けなのだ。鳥籠のなかのウグイスの健気さや愛らしさを、いっそう読者に強く印象づけるためのテクニックだと言うべきか。なお、現在ではウグイスを簡単に飼育することはできない。メジロ、ウグイス、オオルリ、シジュウカラなどの小鳥や一定の動物は「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」により、環境庁長官又は都道府県知事の捕獲の許可がなければ、捕獲できない鳥獣とされているからだ。また、許可を得て捕獲した鳥獣も、都道府県知事の飼養(飼育)の許可がなければ飼養できないことになっている。『浮寝鳥』(1943)所収。(清水哲男)




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