戦争情報に嘘がなかった例はない。情報の選り分けだけで神経がまいってしまう。




2003ソスN3ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2632003

 春の灯に口を開けたる指狐

                           牧野桂一

の燈火には、明るくはなやいだ感じがある。「指狐(ゆびきつね)」は子供の遊びで、人差指と小指を立て、残りの三本の指で物をつまむようにして影絵にすると、狐の形になる。ふと思いついて、作者はたわむれに壁に写してみた。大の男の影絵遊びだ。いろいろとアングルなどを変えたりしているうちに、すっと狐の口を開けてみた。まさか「コン」とは鳴きはしないが、何か物言いたげな狐がそこにいて、しばらく見つめていたと言うのである。いま実際に私も写してみたら、子供のときの印象とは違って、「口を開けたる指狐」の風情は、ひどく孤独で淋しげだ。光源がはなやいだ「春の灯」であるだけに、余計にそう感じるのだろう。子供のころの我が家はランプ生活だったので、当然光源は微妙にゆらめくランプの灯であり、影絵だけは電灯よりもランプの炎のほうが幻想的で面白かったなあ。けっこう熱中していたことを、思い出した。しかし、狐のほかに今でも作れるのは、両手を使って作る犬の顔くらいのものだ。あとは、何の形を作ったのかも忘れてしまった。でも、考えてみれば、影絵は生れてはじめて興味を抱いた映像である。いまだにシンプルで淡い「かたち」に惹かれるのも、あるいは当時の影絵の影響かもしれない。「俳句界」(2003年4月号)所載。(清水哲男)


March 2532003

 風光る白一丈の岩田帯

                           福田甲子雄

語は「風光る」で春。「岩田帯」は、妊娠した女性が胎児の保護のために腹に巻く白い布のこと。一般に、五ヶ月目の戌の日(犬の安産にあやかるため)に着ける。命名の由来は「斎肌帯」からとか、現在の京都府八幡市岩田に残る伝説からとか、諸説がある。心地よい春風のなかを、お祝いの真っ白な岩田帯が届けられたのだろう。新しい生命の誕生を待ちわびる作者の喜びが、真っすぐに伝わってくる。「白一丈(正確には七尺五寸三分)」とすっぱりと言い切って、喜びの気持ちのなかに厳粛さがあることを示している。純白の帯が、目に見えるようだ。ところで掲句の解釈とは無関係だが、だいぶ以前の余白句会で「風光る」が兼題に出たことがある。句歴僅少の谷川俊太郎さんが開口一番、「なんだか恥ずかしくなっちゃうような季語だねえ」と言った。一瞬、私は何のことかわからなかったが、考えてみればそうなのである。たとえば「風光る」と詩に書くとすると、かなり恥ずかしい。散文でも、同様だ。きざっぽくて、鼻持ちならない。逆に、ひどく幼稚な表現になってしまう場合もあるだろう。となると、俳句を詠まない人が、たまたま「風光る」の句を読んだとすれば、相当な違和感を覚えるはずである。俳人なら別になんとも思わないことが、そうでない人には奇異に写る……。こういう目で見ていくと、恥ずかしくなるような季語は他にもありそうだ。俳句が本当の意味での大衆性を獲得できない原因の一つは、ここらへんにもあるのだろう。『白根山麓』(1982)所収。(清水哲男)


March 2432003

 種痘日の教師を淡く記憶せり

                           藤田湘子

語は「種痘(しゅとう)」で春。天然痘にかかるのを防ぐための予防接種だ。生後一年以内、小学校入学前六か月以内、同卒業前六か月以内の接種が、法律によって義務づけられていた。揚句の「種痘日」は、入学を間近にした接種日だろう。会場の教室には医者や看護婦とは別に、当然もうクラス分けも決まっている頃なので、それぞれ担任の「教師」も立ちあっていたはずだ。つまり、生まれてはじめてセンセイなる存在を身近にする機会だったのだから、感受性の強い子には印象深い日であったにちがいない。具体的にはよく覚えていなくても、センセイの雰囲気などは「淡く記憶」している。懐かしくも、もどかしい遠い春の日の記憶である。私は鈍感なのか、六年生のときの記憶もない。が、この句に接して、入学前後の他のことは、やはりかすかながら思い出させてもらった。天然痘の根絶をWHOが宣言したのは、1980年。その四年前から、日本では副反応が問題化して、法律は生きていたけれど、事実上の接種は中止されている。したがって、新しい歳時記には「種痘」の項目はない。また、種痘の跡は二の腕に残るから、いくら若ぶっても、腕を見られたらおしまいですぞ(笑)。『黒』(1987)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます