マンションの他家に泥棒。白昼、ガラス窓をバーナーで焼き切ったというから荒っぽい。




2003ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032003

 車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて

                           寺山修司

司、十代の作。当時の彼の手にかかると、どんなに地味な日常的景観でも、たちどころに素敵なシーンに変貌してしまう。掲句の場合だと、男が馬車か荷車の下にもぐり込んで、ちょっとした車輪の不具合を応急的に繕(つくろ)っているにすぎない。昔の田舎道では、たまに見かけることのあった光景だ。この変哲もないシーンに、作者は「たんぽゝ」を咲かせ、男の「頬」をくっ「つけて」みせた。実際の男は車輪の修繕に懸命になっているわけだが、作者には修繕などは二の次で、その男が「たんぽゝに頬つけて」いることこそが重要なのだ。これで、泥臭い現実が、あっという間に心地よいそれに変換された。作者はよく「現実よりも、あるべき現実を書く」と言っていたが、そのサンプルみたいな句と言ってよい。さらには「あるべき現実」という点からすると、このシーンを丸ごと虚構と受け取っても構わないだろう。むしろ、そう読むほうが正しいのかもしれない。というのも、句の「車輪」は、どうもヘルマン・ヘッセの『車輪の下』から持ってきたような気がしてならないからだ。最近ではヘッセの国・ドイツでも読まれなくなっていると聞くが、作者の少年時代ころまでは、世界的に読まれた作品だった。車輪の下に押しつぶされていくような、青春期の柔らかい心の彷徨と挫折を描いた自伝的青春小説である。この小説を句の背景にうっすらと置いてみると、実景にこだわって読むよりも、切なくも甘酸っぱい青春性が更に深まってくる。『われに五月を』(1957)所収。(清水哲男)


March 0932003

 生き残りたる人の影春障子

                           深見けん二

く晴れた日。縁側に腰掛けているのか、廊下を通っていったのか。明るい障子に写った「人の影」を認めた。その人は、九死に一生を得た人だ。大病を患ったのかもしれないし、戦争に行ったのかもしれない。しかし作者は、ふだんその人について、そういう過去があったことは忘れている。その人は身内かもしれないし、遊びに来た親しい友人かもしれない。いずれにしても、作者はその人の影を見て、はっとそのことを思い出したのである。自分などとは比較にならぬ不幸な体験を経て、その人はいまここに、静かに生きている……。生き残っている。その人と直に向き合っているとわからないことを、束の間の影が雄弁に語ったということだろう。すなわち、障子一枚隔てているがゆえに、逆にその人の本当の姿がくっきりと浮かび上がったのだ。影は実体のディテールを消し去り抽象化するので、実体に接していたのではなかなか見えてこないものを、率直にクリアーに写し出す。この人は、こんなに腰が曲がっていたのか、等々。シルエット、恐るべし。さて、作者はこれから、その人と言葉をかわすのかもしれない。だとしても、いつもの調子で、何事も感じなかったように、であるだろう。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


March 0832003

 哲学科に入学の甥と詩の話

                           森尻禮子

語は「入学」で春。どんな話をしたのだろう。いささか気にはなるけれど、話の中身は作者が言いたいこととは、ほとんど関係はない。「哲学科」と「詩」との取りあわせから、何か生硬な言葉で「甥」が熱心に話している姿が想像できる。句としては、それで十分だ。掲句で作者が言いたいのは、彼の急速な成長ぶりである。ついこの間までは、ほんのちっちゃな子供でしかなかったのに、いつの間にか、こうして大学生になり、しかも詩の話までできるようになった。話はひどく理屈っぽいにしても、その理屈っぽさがとても嬉しく喜ばしいと、作者は目を細めている。身内ならではの感懐である。かつての私も一応「哲学科」に籍を置き「詩」を書いていたので、この「甥」の立場にあったわけだ。幸いにして(?!)、詩のことを話せる伯母(叔母)さんはいなかったのだが、この句に出会ったときには、赤面しそうになった。身内以外の人になら、いくらでも生硬な言葉で話したことがあるからだ。難解な言葉に憧れ、覚えるとすぐに使ってみたくなるのだった。その点で、哲学科は難解語の宝庫だからして、仕入れには困らなかった。西田幾多郎や田辺元の文章をせっせと引き写したノートの一冊を、まだ残してある。青春のかたみという思いもあるにはあるが、何事かを語るに際しての自戒のためという気持ちのほうが強い。『星彦』(2001)所収。(清水哲男)




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