部屋には未開封の真空管や機器類が積んであった。定年間近で急死した男の妻の話だ…。




2003ソスN3ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0932003

 生き残りたる人の影春障子

                           深見けん二

く晴れた日。縁側に腰掛けているのか、廊下を通っていったのか。明るい障子に写った「人の影」を認めた。その人は、九死に一生を得た人だ。大病を患ったのかもしれないし、戦争に行ったのかもしれない。しかし作者は、ふだんその人について、そういう過去があったことは忘れている。その人は身内かもしれないし、遊びに来た親しい友人かもしれない。いずれにしても、作者はその人の影を見て、はっとそのことを思い出したのである。自分などとは比較にならぬ不幸な体験を経て、その人はいまここに、静かに生きている……。生き残っている。その人と直に向き合っているとわからないことを、束の間の影が雄弁に語ったということだろう。すなわち、障子一枚隔てているがゆえに、逆にその人の本当の姿がくっきりと浮かび上がったのだ。影は実体のディテールを消し去り抽象化するので、実体に接していたのではなかなか見えてこないものを、率直にクリアーに写し出す。この人は、こんなに腰が曲がっていたのか、等々。シルエット、恐るべし。さて、作者はこれから、その人と言葉をかわすのかもしれない。だとしても、いつもの調子で、何事も感じなかったように、であるだろう。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


March 0832003

 哲学科に入学の甥と詩の話

                           森尻禮子

語は「入学」で春。どんな話をしたのだろう。いささか気にはなるけれど、話の中身は作者が言いたいこととは、ほとんど関係はない。「哲学科」と「詩」との取りあわせから、何か生硬な言葉で「甥」が熱心に話している姿が想像できる。句としては、それで十分だ。掲句で作者が言いたいのは、彼の急速な成長ぶりである。ついこの間までは、ほんのちっちゃな子供でしかなかったのに、いつの間にか、こうして大学生になり、しかも詩の話までできるようになった。話はひどく理屈っぽいにしても、その理屈っぽさがとても嬉しく喜ばしいと、作者は目を細めている。身内ならではの感懐である。かつての私も一応「哲学科」に籍を置き「詩」を書いていたので、この「甥」の立場にあったわけだ。幸いにして(?!)、詩のことを話せる伯母(叔母)さんはいなかったのだが、この句に出会ったときには、赤面しそうになった。身内以外の人になら、いくらでも生硬な言葉で話したことがあるからだ。難解な言葉に憧れ、覚えるとすぐに使ってみたくなるのだった。その点で、哲学科は難解語の宝庫だからして、仕入れには困らなかった。西田幾多郎や田辺元の文章をせっせと引き写したノートの一冊を、まだ残してある。青春のかたみという思いもあるにはあるが、何事かを語るに際しての自戒のためという気持ちのほうが強い。『星彦』(2001)所収。(清水哲男)


March 0732003

 袂より椿とりだす闇屋かな

                           多田道太郎

語は「椿」で春。われらが「余白句会」で高点を得た句だ。私も、一票を投じた。「闇屋」とは、敗戦後の混乱期に統制品などをどこからか手に入れてきて、高価で売りさばいた商人のこと。私は映画でしか知らないのだが、なぜかみな彼らは羽振りがよいことになっている。実際を知っている世代の小沢信男さんによれば、いわゆる「担ぎ屋」のおじさんなどとは違って、凄みのある男どもというイメージだったという。その凄みのある男が、さっと「袂」に手を入れたのだから、何か怪しげな物でも出てくると思うのが普通だ。が、意外や意外。取りだされたのは、可憐なる「椿」一輪。瞬間、その場に居合わせた人は、息を呑んだのではあるまいか。これは闇屋の演出なのか、それとも商売とは無関係な仕草だったのか。知る由もないけれど、この後で、人々はまじまじと男の顔を見つめたことだろう。この男は、いったいどういう人間なのか、と。「闇屋かな」の「かな」には、そんな思いと光景が込められていて秀抜だ。ところで、椿といえば、正木浩一句集『槇』(1989・ふらんす堂)に、次の一句がある。「椿咲くうしろ暗きを常として」。ここで掲句に戻り「ははあ……」と思うもよし、思わぬもよし。『多田道太郎句集』(2002・芸林書房)所収。(清水哲男)




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