国際法ではどうだか知らないが、こんなにも長期にわたる「宣戦布告」があったろうか。




2003ソスN3ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0532003

 鳥雲に子の妻は子に選ばしめ

                           安住 敦

語は「鳥雲に」で春。春になって、北方に帰る鳥が空高く飛翔し、やがて雲に入って見えなくなることをいう。本来は「鳥雲に入る」だった。「鳥雲に入るおほかたは常の景」(原裕)。が、長すぎるので「鳥雲に」とつづめて用いることが多い。息子の嫁は、多く親が決めていた時代があった。そんなに昔のことじゃない。たしか私の叔父も親が決めた女性と結婚したはずだし、子供心にそんなものかと思った記憶がある。極端な例では、親が決めた人の写真も見ずに承知して、結婚した人もいたという。そんな社会的慣習のなかで、作者は「子の妻は子に選ばしめ」た。子供の意志を最大限に尊重してやったわけだが、しかし一抹の寂しさは拭いきれない。北に帰る鳥が雲に入って見えなくなるように、これで我が子も作者の庇護のもとから完全に脱して、手の届かないところに行ってしまうのだ……。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」するという日本国憲法の条文が、風習的にもすっかり根づいた現今では、考えられない哀感である。いまどきの親でも、むろん子供を巣立たせる寂しさは感じるのだけれど、作者の場合にはプラスして強固な旧習の網がかぶさっている。おそらく、あと半世紀も経たないうちに、この句の真意は理解不能になってしまうにちがいない。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


March 0432003

 水浅し影もとどめず山葵生ふ

                           松本たかし

語は「山葵(わさび)」で春。「生ふ」は「おう」。曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』に「山葵、加茂葵に似て、其根の形・味、生姜に似たり。故に山葵・山姜の名あり。中夏(もろこし)の書にみえず。漢名しらず」とある。漢名がわからないのも道理で、日本だけにしか生えない植物だ。私の育った山口県の山陰側の渓流には、自生していた。山葵の句のほとんどは栽培してある山葵田を詠んだもので、なかなか自生している姿を詠んだものは見当たらない。なかで、掲句はどちらとも取れるけれど、どちらかといえば自生の姿ではなかろうか。春光の下、生えてきた「影もとどめ」ぬ、すっきりと鮮かな緑の姿が、私の郷愁を誘う。暗くて寒い農村にも、ようやく春がやってきたのだ。学校帰りに、よく小川をのぞき込んだものだった。小さな魚や蟹たちが動き回り、芹や山葵が点在し、浅い水はあくまでも清冽で、掬って飲むこともできた。そんな山葵しか知らなかったので、のちに信州穂高町の巨大な山葵田を見たときには仰天したが、あれはあれでとても美しい。以下は余談的引用。「すしとワサビの結び付きは江戸後期からで、1820年(文政3年)ころ江戸のすし屋・華屋与兵衛がコハダやエビの握りずしにワサビを挟さむことを考案し、評判となった。しかし、20年後には天保の改革により、握りずしはぜいたく品とされ、与兵衛は手鎖(てじょう)軟禁の刑に処せられ、一時衰退する。ワサビとすしの組合せが全国的に広がるのは明治になってからである〈湯浅浩史〉」。『新日本大歳時記・春』(2000)などに所載。(清水哲男)


March 0332003

 古雛をみなの道ぞいつくしき

                           橋本多佳子

年雛祭になると、詩人・高田敏子の小さい文章を思い出す(池田彌三郎監修『四季八十彩』所載)。なのに、毎年タイミングを逸して、ここに書けないできた。今年こそはというわけで、紹介しておく。詩人は、終戦までの三年ほどを、台湾で生活していた。「引揚げとなったのは、終戦翌年の三月末で雛は飾られたまま、(中略)リュックを背負って家を離れる私達を見送ってくれたのです。/戸口を出るとき振りむくと、家財道具もみな処分してしまった部屋に、雛は明るい静けさで座していられて……私はなぜあのとき、内裏さまだけでもかかえにもどらなかったのかと悔やまれています。雛だけは処分するのもつらく、最後まで飾っていたのですのに……。雛はその後どうなったのでしょう。雛の行くえが心にかかっています」。置き去りにせざるを得なかった雛は、長女の初節句に調えたものだった。その「長女に女の子が生まれて、初節句の雛を求めに売場をめぐっていたとき、娘がいいました。『お母さん、なるべくよいのにしてね、もう戦争もないでしょ。いつまでも大事にしてあげられるのですもの。』」。ところで、掲句の前書は次のようだ。「祖母の雛上野の戦火のがれて今も吾と在り」。多佳子の祖母は、彰義隊の戦いにあっている。戦争戦後の混乱のなかで、このほかにも、雛たちのたどった運命はさまざまだろう。いつくしき雛の歴史は、またいつくしき「をみな」の歴史そのものでもある。NO WAR !「古雛」は「ふるびいな」。『信濃』(1946)所収。(清水哲男)




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